儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画レビュー:砂時計

砂時計 [DVD]

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 異様な雰囲気の漂う列車の中、車掌に揺り起こされてヨーゼフは目を覚ました。「到着します」と告げる車掌。列車はもうすぐ、ヨーゼフが降りる駅に近づいているという。

 「駅からは?」と、ヨーゼフは駅から先の道のりを尋ねる。ヨーゼフの父、ヤコブが療養中のサナトリウムは駅を降りた先だから、である。

 「道順ならご自分で見つけるはず」

 そう車掌に返され、怪訝そうな表情をしながらも、席を立ってヤーコブは列車を降りていく。

 雪景色を歩いて行くと、ヨーゼフはサナトリウムへと付いた。どこか殺伐とした建物には、巨大な黒い扉があるが、開けても中には入れない。仕方なく、横の窓から足を踏み入れた。

 サナトリウムの中は、埃まみれで荒れ放題だった。

 まるで廃墟のような建物をヨーゼフは歩き回る。と、廊下の扉から、胸をはだけた看護師が出てきた。ヨーゼフは彼女に「長旅でね。部屋を予約したものだ。誰に会えば?」と尋ねる。看護師は「睡眠の時間です。先生は後ほど」と答えた。

 だが、サナトリウムはまだ夜でもないはず。不思議に思うヨーゼフに、看護師は「常に睡眠中よ。ご存じない? 夜も昼もない場所なの」と言った。

 ヨーゼフは仕方なく、サナトリウムのレストランで待つことにする。

 やがて、看護師がやってきた。「先生がお待ちです」

 

 先生と対面するヨーゼフ。当然、ヨーゼフは父が生きているかどうかを尋ねるが、先生からはなんとも曖昧な返事が返ってくる。

 ヨーゼフの父は、サナトリウムの外界からしたら、手の施しようのなく死んでいる状態で既に故人なのだという。しかし、サナトリウムの中では父は生きているというのだ。

 ヨーゼフは、先生に案内され、父の寝ている部屋まで向かう。確かに、そこにはヤコブが生きていた。

 先生曰く、このサナトリウムは時間を戻しているのだという。一定の間隔を空けて、時間を戻すことで、外からすれば、既に死んでいる彼がサナトリウムの中では生きていることになっている……と。

 

 なんとも、レビュー冒頭のあらすじ紹介だけでも、これほどに文章を割いてしまうとは……。ですが、仕方のないことです。本作、ヴォイチェフ・イエジー・ハス「砂時計」のあらすじを説明しようとなると、これくらいの分量は絶対に必要です。

 いえ、むしろ、これでも、まったく足りないのです。本作品は、それほどになんとも説明し難い内容です。まず、冒頭の列車の様子からして異様なのです。列車のわりには、蔦が車内に蔓延っていたり、裸の人があちらこちらで寝ていたり、その美術の強烈さは、一瞬で見ている人を幻惑の世界へと叩き込んでしまいます。

 原作は、一応、ブルーノ・シュルツの短編「砂時計サナトリウム」なのですが……いえ、他のブルーノ・シュルツの短編が混じり合ったりしていますし、そもそも、描写とかいろいろな面が、大胆に変えられてしまっているので原作と呼んでいいのかどうかすら分かりません。

 喩えとして通じるのかは微妙ですが、本作と原作の関係性は、鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」と内田百閒の「サラサーテの盤」のようなものと理解して頂けるといいかと思います。

 

 実際、ヴォイチェフ・イエジー・ハスの美術と鈴木清順の美術には、どこか通ずるものがあるような気もしますし……無いような気もしますが。

 

 ともかくとして、鈴木清順を喩えに挙げたことからも分かるように、本作は、非常に前衛的な内容となっています。時系列を弄っているという、登場人物の説明にもあるように、本作は目まぐるしく時間が錯綜する構成となっています。いえ、錯綜するだけではありません。「時代そのもの」も錯綜するように作られているのです。

 冒頭の展開からは、とても想像していないような、壮大な世界がこの映画には詰まっています。まるでモンティ・パイソンのスケッチかのように、トントン拍子で時代や登場人物や背景が様変わりしていくのです。しかも、その一つ一つがとても作り込まれていて、なおかつ、なんとも不気味で美しいのです。

 しかも、なにが素晴らしいって、この映画は明らかに「観客の安直な解釈」を拒否しているところが素晴らしいのです。言うまでもないですが、主人公のヨーゼフとヤコブの名前を見たら、誰もがうっかりと「聖書関連」の読み解きをしてしまおうとするはずです。

 しかし、実はそれを映画本編中のあるシーンで、ハッキリと否定するんです。この映画は。冗談めかしたようなやり方で。

 おかげで、全然この映画を読み解くことが出来ません。ここまで何も分からない映画も珍しいです。そのわりに、これだけゴチャゴチャした構成の映画だと言うのに、「伏線」が貼ってあって、終盤で急に回収しだしたりするんですから、いや、「とんでもない」という一言しか出てこないでしょう。

 そんな、ヴォイチェフ・イエジー・ハスの傑作が「砂時計」なのです。

映画感想:ドント・ブリーズ

 

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 恒例の手短な感想から

えっと、その……なにこれ…?

 といった感じでしょうか。

 

 いやー、あの……一体、サム・ライミフェデ・アルバレスは、本作を通じて何がしたかったんでしょうか。確かに、エンターテイメントとして論理的に構築された話作りや、見るものを引き込む上手いカメラワークなど、この映画は、非常に高い技術が注ぎ込まれていることがよく分かります。

 分かるんです。

 しかし。

 それでも、あの……なんなんでしょう。この映画の、なんとも表現し難い不快感は。

 それも映画が不快な内容、というわけではないのです。まあ、ホラーなので不快なのは当たり前です。問題はそこではなく、作り手であるサム・ライミフェデ・アルバレスの傲慢さが透けて見えるところが、非常に、なんとも不快な映画なのです。

 

 まず、この映画は必ず問題になるところが一点あります。言うまでもないですが、視覚障害者をホラーの怪物に仕立て上げるという、とてつもなく大きな問題です。当然ですが、目が見えないだけの人を化け物扱いにするのは、かなり酷い話です。本作も、そこは気を使っていて、一応、殺人鬼役となるお爺さんには、様々な設定が凝らされています。

 イラクで失明した元軍人であったり、途中で明かされる秘密などによって、「視覚障害者じゃなくて、この”お爺さんが”怖いんだぞ」ということを前面に押し出しているのです。

 なるほど、確かにこうすれば、視覚障害者をホラーに持ってきても問題にはならないでしょう。……一見すると。

 

 しかし、同時にそうやって、お爺さんに設定を足せば足すほど「……え、じゃあ、なんでお爺さんを盲目にしたの?」という疑問が出てこざるをえないのです。「元軍人で、性格がアレなお爺さんが怖い話」なら、わざわざ視覚障害者なんて設定を足す必要がないでしょう。

 それも「盲目になった分、嗅覚が優れている」なんて、偏見丸出しなクソファンタジー設定までぶち込んでまで、お爺さんを盲目にした意味って……なんですか?

 

 主人公たちが、極限まで音を出せないという、その恐怖を描きたかった、とか、そういう理由なのでしょうか……?

 しかし、この映画、そのわりには主人公たちは、普通にバンバン激しく息してるんですよね。こそこそ話し合ったり、スマホバイブ鳴らしながら通信しあったり、音出しまくりなんですよね。むしろ、息に関しては普通のホラー映画と比べてもちょっと多すぎやしないか、と疑問に思うくらいです。ハッキリ言って、酷評された、実写版「進撃の巨人」の「音を出さないで移動しろ」シーンと同じくらいか、それ以上に酷い出来です。

 

 というわけで、「声が出せない状態を生み出すために視覚障害者を――」という言い訳をするにも、映画の内容が杜撰すぎるのです。で、話が戻りますが、わざわざ視覚障害者なんて設定を足した意味ってなんですか?

 盲目で、ウロウロ動き回るお爺さんが面白いからですか?

 あるいは、盲目だと、"怖さが増す"んですか?

 ……どちらも、自分にはまったく理解できない感覚ですが。

 

 ハッキリ言いますが、意味は無いですよね。

 ただ、見世物小屋的に「そうしたほうが、みんな興味持つから」という理由で、設定を出しただけでしょう?……いやぁ、スペルを撮ったサム・ライミが、こんなガッカリするような映画を作ってしまうなんて、本気で残念です。

 

 こういう映画を作る場合、普通は「視覚障害者に対する、世の中が思う偏見」を上手いことを利用しながら、ホラーに仕立て上げたりするものじゃないんですか?

 例えば「世の中の人たちは、視覚障害者のことを一律でまったく視覚がないと思いこんでいるけど、実はそうじゃない」ということを利用して、ある種、ゾッとする瞬間を生み出すとか。そういう作りにしないと、視覚障害者の設定を入れた意味がないでしょう。

 

 今回は、かなり世の中の反応と違う感想になっていると思います。が、どうしても自分は「視覚障害者をどこかで、軽蔑したり、偏見で見ている視点がないと、こんな映画は撮れない」と思うのです。

映画感想:ネオン・デーモン


『ネオン・デーモン』予告

 恒例の手短な感想から

ダサいよ。レフンマジダサい。

 といったところでしょうか。

 

 いや、これが本当にあのニコラス・ウィンディング・レフンの作品だというのでしょうか。信じがたいほどに、なんなんでしょう。この陳腐な比喩表現と、どっかで見たことあるような画面のオンパレードな映像集は……。

 粋がった、知ったか二流監督が撮る、どうしようもない芸術映画によくありそうな感じのイマジネーションが、所狭しと並ぶばかりのこれを、どうやって褒めろと言うのでしょうか。

 しかも、この映画は映像がダサいと言うのに、音楽も……なんの工夫もない、二束三文のトランス系の音楽が、ぴこぴこだらだら流されるだけで、ちっとも格好が良くないのです。フライング・ロータスなどの”イマドキの音楽”を知っている人が、これを先進的と見る向きはないでしょう。ニコラス・ウィンディング・レフンこんなに音楽のセンスがない人でしたっけ?

 

 まあ、所詮は映画音楽なので、そこまで先進的なものを求めてもしょうがないのは分かります。映像と物語のために、音楽があるのですから。しかし、この映画の場合、肝心の映像と物語がどうしようもないから、音楽のダサさまで光ってしまいます。

 で、肝心の映像と物語ですが、ニコラス・ウィンディング・レフンらしい感じは確かにあります。照明の独特さや、作風の雰囲気などは極めてニコラス・ウィンディング・レフン的ではあります。今回は「やたら真っ白な部屋」とかそういう画面づくりが多いので、鈴木清順の「東京流れ者」あたりでも意識してるんでしょうか。*1

 それ自体は嫌いではないのです。むしろ、好きな方です。

 実際、このブログでも過去作の「オンリー・ゴッド」などを扱ったりしたこともありますし、彼の作品の方向性は自分好みではあります。しかし、本作のこれは……繰り返しになりますが、ダサいのです。

 

 例えば、序盤、とある人が、とある女性の付けている口紅の名前を「レッドラム」だと言います。レッドラム。この時点で、「あー」と頭を抱えたくなった映画ファンも多いことと思います。REDRUMは逆さに読むとMURDER(殺人者)。スタンリー・キューブリックの「シャイニング」で出てきた”有名なネタ”ですね。

 このネタ……もう、いろんな映画で散々やり尽くされたネタなんですよね。ハリウッドのくだらない二束三文ホラー映画等々で、やったら引用されまくっていて、もはや「だ、ダセー……」としか言いようがないものとなってしまった表現です。「シャワーシーンで殺人が起こる」くらいに繰り返されすぎた、もはやギャグにしか使えないネタです。

 これを今更、堂々とやってしまう、ニコラス・ウィンディング・レフンって……。

 

 まあ、あえて言うならば、わざとシャイニングを引用することで「この映画の主人公は、そういう邪悪な意思に感応する性質がある」ということを、暗に示そうとしたのかもしれませんが……。

 そうです。どうもこの映画は「実際の世界で起こったことを映しているシーン」と「少女が感応して人の意思を幻視しているシーン」が交錯しているようなんです。*2実際、本編のクライマックスあたりに「彼女が夢でこれから起きることを幻視して、起きたら隣の部屋で実際に……」なんてシーンがありましたし。

 本編の途中、主人公のことを評して「彼女には光っているものがある」なんて感じの字幕のついたセリフがありましたが、あれ、原語では「彼女は"The thing"を持っている」って表現してるんですよね。ようするに、単に「スター性がある」と言っているのではなく、「なにか」を持っていると言っているんです。

 で、その、彼女の持つ"The thing"を奪い合おうとする、モデル業界の人達を描いた作品が本作、ということなんでしょう。写真に撮るという行為も、セックスも、カニバリズムも、ようは彼女のThe thingを自分のものにしようとしている、という意味では同じです。(ネタバレになりそうな部分だけは白字で表記)

 そして、"The thing"を奪い合おうとしている人たちーーそれ全体を含めた業界自体が、シャイニングにおけるホテルのような場所であり、様々な光で彼女の誘う姿はまさに「ネオンデーモン」なんだという。

 ようするに、そういう映画なのでしょう。

 そんな映画を、女優である奥さんのリブ・コーフィックセンのために作ったと。(なにがあったんだか、知らないですけど)

 

 ここまで。

 ここまで読み取った上で自分は言いますが、本作はダメです。

 アレハンドロ・ホドロフスキーの表現を究極にしょぼくしたような、ネオンライトの三角形ーーおそらくは、ネオンデーモンの象徴なんでしょうが、なんというか、ネオンライトの三角形自体が、そもそも、面白くもなんともないのです。

 鏡の使い方も、ちっとも面白くありません。たまに「あ、このシーン、実は鏡を撮っているんだー」と驚かされることはありますが、「で、だから?」と言いたくなってしまうところも事実です。実相寺昭雄の「鏡地獄」とか、世の中には鏡を利用して、なんとも面白い映像を取った作品なんてウジャウジャありますから。

 いやー、ホント、ニコラス・ウィンディング・レフン……どうしちゃったんでしょうね。

*1:追記:レフンが東京流れ者のオマージュをするのは、いつものことですけどね。それでも、今回は"濃いめ"にオマージュされている感じがするのです……というのを、書き忘れていました。

*2:もちろん、あくまで自分の憶測ですが…

映画感想:ブルーに生まれついて


Bunkamuraル・シネマ11/26(土)よりロードショー「ブルーに生まれついて」

 恒例の手短な感想から

語り尽くせぬ、大傑作

 といったところでしょうか。

 

 去年見ていたら、2016年のランキングに食い込んでいたであろうことは間違いないです。それくらいの傑作映画となっていました。ジャズトランペッター、チェット・ベイカーを描いた本作なのですが、いや、まさかここまでの傑作になっているとは。

 ある種、2015年に公開された傑作「セッション」と対極に存在するジャズ映画と言って過言ではないでしょう。セッションは「音楽の真髄」「ジャズの真髄」を結果的に見出だせない映画*1でしたが、本作は逆で「音楽の真髄」「ジャズの真髄」を見出す映画なのですから。

 まず、この映画は何が素晴らしいといっても、冒頭でしょう。メタ的な演出とも考えられる、この映画、冒頭に出てくる"ある仕掛け"は、言ってしまえばこの映画が「所詮は映画なのだ」ということを観客に強く印象づけるものとなっています。所詮、映画であり、チェット・ベイカーという人間の「ドキュメンタリー映画」や「伝記映画」を描くつもりはないのだと。

 チェット・ベイカーは、そのイケメンなマスクとトランペットの演奏技術、そして甘ったる~い歌声で人気を博しながらも、(ジャズ・ミュージシャンにはありがちですが)ドラッグで身をやつしていった、そんなジャズ・ミュージシャンです。

 そんな彼を「事実に脚色等を加えて」描くことにしたーーそう宣言するかのような"仕掛け"が映画冒頭に仕込まれているのです。実際、この映画は、あたかもチェット・ベイカーの実人生を追っているかのような映画ですが、その実、チェット・ベイカーの人生にかなり嘘を加えています。詳しい人が見たら「あれ?」と首をかしげるのは間違いないでしょう。確かに大枠では、チェット・ベイカーの人生を描いているのですが、細部を見ていくと「おかしい。そんなはずは……」と言いたくなるような部分があるはずです。

 

 しかし、そうしてでも、「チェット・ベイカーを使って描きたい物語」がこの映画にはあったのです。

 どん底まで堕ちた男が、再生し、どん底に堕ちたその男にしか出来ない「その男なりの本当の音楽」を獲得する……そんなシンプルなストーリーを描きたかったのです。チェット・ベイカーは、確かにその物語に入れる主人公として、最適な人物でしょう。

 

 チェット・ベイカーは「有名なプレイヤーは、ほぼ黒人しかいない」ーーそんな"ブラック音楽ネイティブ"しか通用しないような、バップの世界において*2明らかにネイティブとは言い難い白人でした。

 そんな彼が主人公だからこそ、彼にしか獲得できない「彼だけの音楽の真髄」があるのだという物語に、説得力が生まれ、何とも言えない感動が生まれるのです。……実在のチェット・ベイカーも、晩年になって「なんとも言えない何か」を音に獲得していたような気がしますし……。

 

 しかも、この映画はそんな「ただ心の音楽を手に入れて、ハイおしまい」という映画でもないところが素晴らしいのです。それと並行して、語られるある女性との愛の物語や、ドラッグ依存との葛藤が、なんとも切なく響くように作られてもいるのです。「彼だけの音楽」を獲得した先で、果たして彼は幸せであったといえるのか。

 普通の音楽映画ならば「本当の音楽を獲得したジャズ・ミュージシャンがいた」という話、あるいは「ドラッグにまみれたジャズ・ミュージシャンがいた」という片面だけを描いた話で終わってしまうものです。

 この映画はその両方を、同時に描いているのです。

 つまり、チェットベイカーを通じて、より様々な角度から見た「本当の音楽の姿」を描写しているのです。だからこそ、観客に「ミュージシャンが掴みたがっている、本当の音楽とは、一体なんなのか」ということを伝えることが出来ています。それは、感動したとか、泣けるとか、美しいとか、かっこいいとか、上手くできるとか、速く弾けるとか、正確に弾けるとか、音楽への愛とか、そんなものではないのです。

 もっと漠然とした、なにかなのです。

 それがハッキリと掴み取れる本作は、本当に素晴らしい音楽映画だと言えるでしょう。

*1:一応、誤解がないように付け加えると、セッションは見出すことができなかった視点からしか語れない「音楽に存在する恐ろしい事実」をまざまざと見せつけ、「音楽なんて死ね」と叫んでいる映画なのですが…

*2:バップとは、BEBOPのこと。ジャズの更に一ジャンル。一般的に言われている”小難しいジャズ”は、ほぼバップ、ビーバップのことを指している。チャーリー・パーカーマイルス・デイビスは、このジャンルの開拓者と言われている

2016年映画ランキング

2017年、あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

というわけで、早速、2016年に公開され、自分が鑑賞した映画からランキングを発表していきたいと思います。一応、上半期のランキングはこのようになっております。

 

harutorai.hatenablog.com

 


上半期はかなり荒れ気味でしたが、なんと2016年、蓋を開けてみたら思いの外、下半期に良い映画が多く、順位は18位からの発表となっております。

2016年映画ランキング


18.ブラックスキャンダル

感想記事はこちら

harutorai.hatenablog.com

だいたい、上半期に理由を話してしまった感がありますが、なかなか面白いグッドフェローズリスペクト映画です。少しテーマ性も違って、なんというか「色違いのグッドフェローズ」的な愉しみ方も出来る映画です。ただ……それ以上でも以下でもないんです。従って、どうしても、こうなるんです。


17.海よりもまだ深く

harutorai.hatenablog.com

これもここで十分でしょう。なんというか、是枝監督の作品はよく出来ていて、これも面白いのですが、ただ「いや、もういいだろ、こういうの」という気がしてしまうのも事実でして……。


16.ちはやふる -上の句-

感想記事はありません。

これもこの順位まで取れれば十分ではないかと思います。確かに、最初見たときは「邦画がここまで頑張るなんて!」という感動込みでだいぶ、評価しましたが、蓋を開けてみたら今年の邦画、結構、コンスタントに面白い映画が多くて……「ちはやふるで喜んでいた自分たちは一体何だったのか」と。


15.怒り

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邦画ラッシュが続いております。実は感想記事では、そこそこ苦言も呈しているのですが、ただまあ「この映画自体は面白い」というのも事実なので、この順位です。何度考えても「実は、あまりしっくりこない」下手な映画なのですが、その「しっくりこない」感じがテーマに偶然、ぴったり合っていて相乗効果を醸し出している偶然の傑作です。


14.シン・ゴジラ

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この映画も感想記事ではいろいろ言っていますが……まあ、この順位が妥当ではないでしょうか。本作はエンターテイメントとして本当によく出来ていると思います。意識高い連中に、ヘンテコな選民意識を植え付けさせ「恋愛要素のある映画などを生み出しているから邦画がつまらないのだ」と、言い出す知ったかバカどもが、よりにもよって邦画が面白かった2016年にはびこったのも、そこまで人を喜ばせられるのは、本作が優れたエクスプロイテーション映画だから、と言えるでしょう。


13.コウノトリ大作戦!

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本作がこれほどに面白い映画だったとは、鑑賞前はとても想像していませんでした。女性層が喜びそうなゆるふわ映画、くらいのテキトーな宣伝しか掛けられてしませんでしたから。しかし、中身はなんとも、よく出来たピクサーのパチもん映画。というか、スタッフはピクサーの人なので、似ているのは当たり前。なおかつ、なんともブラックなジョークが蔓延る子育て苦労映画なのです。赤ちゃんはかわいいけど、まあ大変だよ、という映画。子育ての苦労、というものは最近特にツイッターなどで盛り上がっている話題なわけで、もうちょっと上手く宣伝すれば、世の中に広まった可能性もあったのになぁ……となんだか歯痒い気持ちです。

 

 

12.アーロと少年

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本当はこの順位に入れたくないんですが、これより上は、個人的な思い入れとか、そういうものが多く詰まっている映画であるため、どうしてもこの順位に収めるしかありませんでした。冗談抜きで、様々な映画の影に隠されてしまった傑作アニメーション映画です。シンプルなストーリーと設定、なおかつ、古き良き映画を思わせる演出とキャラクターの数々……下手なアメコミ映画よりも全然、渋い良い映画です。


11.オデッセイ

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「あれ…上半期ベストじゃなかった?」
……記憶にございません。

 まあ、なんというか、思い直すとこれくらいが妥当な順位だった気がするなぁと……。


10.ズートピア

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話題になるのも納得の面白さの本作でした。しかも、なおかつ、ラプンツェル以降のディズニー映画と違い、自分のような厄介なディズニーファンも納得の出来栄えなのだから、本当に素晴らしいです。……その分、子どもがだいぶ置いてけぼりにされた感はありましたが。しかし、このディズニー自らがディズニーの闇に切り込んでいったこの映画。ある種、ディズニーが最後の切り札を切ってしまった感じもあり、以後、ジョン・ラセター体制は果たして生き残れるのか、と少し不安です。本作が良く出来ているだけに。


9.聖の青春

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いや、これはもう誰からどう見ても贔屓の9位ですよ。本気で「本作は、今年一番の地雷映画になりかねない」と危惧していましたから。例えば、ひたすら主人公の内省が続くような内容だったり……感動BGMだらけの代物になっていたり……と。本作は、その全ての危惧を破って、どうにかちゃんとした作品に仕上げていました。なにより、とても静かな本作には、映画として独特の魅力があります。ハンス・ジマー調の「どーん」が流行っている今だからこそ、余計に、この魅力は光っているようにも思うのです。


8.ひな鳥の冒険

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いや、なんで長編よりも短編のほうが上の順位なんだという話ですが……。しかし、それくらい評価したいほどに本作は素晴らしかったのです。実際、ディズニー/ピクサー側も本作を大きく評価していたのか、ディズニーの次回作「モアナと伝説の海」の内容は、ある意味で本作を、流用して、よりブラッシュアップさせたとも言える内容です。そういう意味も含めて、本作は必見の一作なのです。


7.五日物語 ~3つの王国と3人の女~

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寓話をここまで突き詰めて映像化できたのか、と、この順位も納得の一作です。ギレルモ・デル・トロに続く、ファンタジー映画のつくり手が現れた、と喜ばしい一作でもあります。実は、監督のマッテオ・ガローネ氏はどちらかというと、社会派の印象が強い監督なのですが、そんな印象など吹き飛ばしてしまうような素晴らしく作り込まれた美術と画面がそこにはありました。本作も見逃せない一作でしょう。


6.この世界の片隅に

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日本版「ヒューマン・コメディ」の大傑作です。魅力的なキャラクターと、多少の疵はあれどもリアルに描かれた人々の生活を描写した本作は、戦争映画の傑作として間違いなく、語り継がれていくことでしょう。宮﨑駿の後継者、とはるか前から目されていた片渕須直監督にようやくスポットが当たったという意味でも喜ばしい映画です。アニメ業界人の中で評判になるアニメ映画は、大抵「作画の実験とかそういうものばかりに注視していて、後は感動をぶち込んで煮しめればいいや」と言わんばかりの、不勉強な演出根性が垂れ流される映画も多いのですが、本作は、そういったこともありません。そこも大変素晴らしいのです。


5.ミラクル・ニール!

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モンティ・パイソンが苦手な人でも楽しめる、コメディ映画が5位です。理由は、だいたい上半期にも書いてありますが、なんといっても、パイソンズが最後に集結した一作であり、しかも、普通に面白いというここに尽きます。


4.ハドソン川の奇跡
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クリント・イーストウッドは化物か。そう言わざるをえないほどに、素晴らしい一作でした。なんとも、地味な映画ですが、しかし、だからこそいいのです。派手派手でいちいちBGMがギャーギャー喚き出し、馬鹿でも分かるように、これ見よがしにテーマを提示して……なんて無粋なことをしないから素晴らしい映画なのです。ひたすらに、実直な主人公や周りの人々の姿は、古き良き映画を見るかのようです。まだ、こんな映画を撮れてしまう末恐ろしいウェスタン爺に敬意を表して。


3.聲の形

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え、意外!?と思った方も多いかと思います。そうなのです。実は、自分の中では、今年は「アレ*1」よりも「ズートピア」よりも「この世界の片隅に」よりも、「聲の形」が一番アニメ映画で心に残っているのです。そこまで話題にはならなかった本作ですが、自分の個人的な人生経験なども重なる一作で、かなり、感情移入して見た一作です。思い入れも半端ではありません。なにより、ラストが「いかにも映画らしい、含みを残した終わり方」になるのも、今年のアニメ映画では本作だけなのです。


2.日本で一番悪い奴ら

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上半期ベストから順位が揺るぎませんでした。いや、何度考えても素晴らしい映画だったと思います。ヤクザのスパイと警察の間で描かれる、ただならぬ友情の関係性などにもよく見られる、嘘も本当も全て交えた複雑な人間関係。そして、複雑な人間関係が存在するがゆえに、組織というものが至ってしまう恐ろしい結論や、トチ狂った行動の数々。それらは、誰にとっても他人事ではないものです。だからこそ、本作は銃殺沙汰など一つもないのに、異様に怖いのです。


1.アイアムアヒーロー

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なんとこれが一位か、という感じかもしれませんが。年間のベスト・ワン、となると、自分の中では「普通に面白い映画」ではダメなわけです。欲を言えば、面白い以上の強烈な何かがあって欲しいのです。その何かが、強烈に合った映画は、間違いなく本作でした。本作には、下手したらシン・ゴジラさえ超えてるのではないかと思われるレベルでの「あぁ、この国、もう終わった。この人達はもう終わりだ」と思わせてしまう絶望と日常の崩壊があります。それも「決して幸せとは思えない、しかし、後からしてみたら十分に幸せだった」……そんな絶妙なバランスの日常が崩壊してしまう、という、この問答無用のリアリティに「喜怒哀楽」を超えた何か強い感情を覚えてしまうのです。しかも、そんな難しいことを、決して傑作を撮ってきたとはいえない、人たちが作り上げてしまったのです。
……なんだか、上半期と同じようなことを言ってしまっていますが。

ともかくとして、今年は「邦画が頑張っていた(それも、駄作を作っていたような人たちが特に頑張っていた)」ということもありますし、それの象徴として本作が一位というのがピッタリではないかと思うのです。

 

以上が、2016年ランキングになります。

 

 

総評としては……

「邦画は頑張った!」

ランキングも、上位3位が邦画な上に、全体的にも邦画が過半数という状態です。こんな年があろうとは、自分も想像していませんでした。しかも、どの映画もメジャー配給で公開館数の多い映画ばかりだったという驚き。こういう場合、今までは大抵アニメ映画だったのですが、今年は実写が多いのです。信じられない年があったものです。なお、来年からは、地雷案件が多数出てくるようなので、邦画が面白いのはひょっとすると今年までかもしれません。来年も面白い映画を作っていてほしいのですが……。

 

そして、

「洋画がヤバい……」

今年、対照的にクオリティが落ちていたのは洋画です。芸術映画もエンタメ映画も、全てひっくるめて今年の洋画はかなり危険な水準にありました。上半期では「ヨーロッパ映画のハリウッド化」を危惧しました。確かにそれも酷かったのですが、その上、下半期になってだんだんと露呈してきたのは「ハリウッドのゲームムービー化」です。
一体何度「うわーまるでゲームみたいな画面だなー」と思ったことか。演出のチンタラしている感じや、クライマックス付近の構成は、必ずと言っていいほど「中ボスが出てきて、その後でラスボスが出てくる」構成になっているところ、ゲームのミッション感あふれる「〇〇から攻撃して!」展開などなど、挙げればキリがないほど、あちらこちらが「ゲームっぽい」のです。戦場の描写はほとんどが、FPS/TPSゲームのそれっぽいことも挙げられるでしょう。
実際、来年にはゲームを映画化した作品で大きいものが出てきますし「ハリウッドのゲームムービー化」は今後、大きな問題になると思います。そのことも含めて、来年は「ひょっとすると洋画もつまらない年かもしれないな」と少し危惧しています。

 

 

そんな状況でも、なんとか、来年も面白い映画を拾っていきたいと思います。

*1:アレとは、アレである。アレと言ったら、その…アレなわけだよ。「僕の映画……ひょっとして……アレになってるーっ!?」とか、まあ、そんなとこだ。

12月に見た映画

2016年ランキングの記事は、いずれアップしますが、ひとまずは12月に鑑賞した映画を上げていきたいと思います。

 

・五日物語 3つの王国と3人の女

・シング・ストリート 未来へのうた

・ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

科学忍者隊ガッチャマン(1978年・劇場版)

・天使の分け前

・夜明けの牛 Edited ver.

 

以上、6つです。

さすがに年末の12月に何本も映画を見ようというのは無謀でした…。見れるかなと思っていたのですが…。ガッチャマンと五日物語以外は、どれもこれも「んー。悪いわけではないんだけれどもね…」という出来で、如何とも……。

映画感想:ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

『スター・ウォーズ』スピンオフ!『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』予告編

 

 恒例の手短な感想から

終わりよければ全て良……いわけねぇだろ!!

 といった感じでしょうか。

 

 それなりに期待していた自分としては、久々に、悪い意味で予測が外れてしまったことに、大変なショックを受けています。正直、これは巷では不評だった、JJエイブラムスのエピソード7よりも*1明らかに、ダメな出来ではないでしょうか。

 この映画……一体、どこからツッコミを入れればいいのでしょうか。いえ、白兵戦シーンや、クライマックスの展開などはよく出来ているのですが、しかし……それにしても、この映画全体の、矛盾とご都合主義の異様な多さは、一体どうしたらいいんでしょう?

 しかも、どの矛盾点も「それ、話としてはそこそこ重要なものじゃないのか」という部分が、ことごとく矛盾している状態です。

「え、お前、冒頭であのスパイは殺してたのに、こっちのスパイは保護するの?」とか「あれ、お前、頭の中を読み取られて、頭がパーになってたんじゃなかったっけ? そのわりには……あれ……?」とか「あれ、お前、序盤では『立ち向かったって意味ない』とか、そんなこと抜かしていたのに、成長した描写もなく、言ってることが180度変わってるってどういうこと?」とか、そんな感じの矛盾やご都合な場面が、まあ観ている端からボロボロと見つかってしまうのです。

 

 いえ、そもそも、この映画は矛盾云々を差し引いても、意味が分からないほど話がゴチャゴチャしすぎです。おそらく、序盤から話に追いつけなかった観客も多いのではないでしょうか。

 どの登場人物も場所も、変に設定が入り組んでいるのです。しかも、入り組んでいる設定なわりには、それが活かされたようなキャラ付けやビジュアル付けがなされているわけでもないので、入り組んだ設定を理解するのが難しくて仕方ありません。

 しかも、入り組んだ設定のわりに、ちゃんと設定が練り込まれているとはとても思えない部分も多いのです。重要なスイッチが、なぜか野ざらしになっている敵の施設など、「真面目に考えてないだろ!」と言いたくなってしまう部分が多すぎます。

 挙句にカメラワークの方も、アクションシーンは接写しすぎでゴチャゴチャしており、なおかつ、普通の会話シーンは(予算をケチったのか)妙に背景を隠すように群衆がゴチャゴチャしているという状態で、どっちにしても、ゴチャゴチャしています。

 いや、これで痛快な娯楽として、この映画を見ろというのは無理な話でしょう。

 

 辛うじて良かったのは、上述したように「白兵戦シーンや、クライマックスの展開」などです。まあ、正直、「白兵戦は最近のFPSゲームっぽすぎるだろー」とか、「クライマックスの展開は、十三人の刺客ワイルドバンチを意識しすぎじゃないか…」とか、気になる点がないわけでもないのです。

 ですが、全体的にどうしようもないこの映画にあっては、過ぎたものとしか言いようがない出来で、またラスト付近でエピソード4に巧みに繋げる部分も悪くはありません。サプライズとして、あるキャラクターが最後の最後で大立ち回りを見せるのも、ファンサービスとして、いいでしょう。

 逆に言うとここくらいしか、この映画で評価できるポイントは無いのですが……。あとは……「あ、耳動かすシーンは、座頭市オマージュだねー」とか、そこくらいでしょうか。

 

 いや、本当に、なんでこうなった……。

*1:ちなみに、このブログでも書いたとおり、自分はそこそこ評価しています

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