儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

雑記:デジモンハリケーンについて

 この間、ニコニコ生放送にてデジモン劇場作品がまとめて放送されました。内容はデジモンアドベンチャーデジモンアドベンチャー02のそれぞれの劇場版アニメをまとめた四作。

 細田守監督の出世作も含まれている構成であることもあって、それなりの人数が鑑賞したようですが、やはり、四作の中でも、鑑賞した人たちを強烈に困惑させたのは、このブログでも紹介している、

デジモンアドベンチャー02 前編 デジモンハリケーン上陸!! 後編 超絶進化!!黄金のデジメンタル

 でしょう。

harutorai.hatenablog.com

 

 この作品、上記のレビュー記事でも挙げているように、かなり、アニメ映画として――というより、映画として――奇天烈な作品となっており、まあ、ライト層にとっては取っ付きづらい作品ではなかったのかなと思うのです。

 あまりにも、見慣れないのでどう鑑賞すればいいのかよく分からなかった人が多いのではないかと。人によっては「あーそういう、意識高い系が喜ぶようなやつね」と拒絶反応を示してしまう人もいるかもしれません。

 ただ、本作、実はそこまで難しい作品でもないのです。そもそも、子供向けのアニメ映画ですし、なので、子供でもなんとなく話を理解できてしまう子もいるかもしれません。

 取っ掛かりさえ、見つかってしまえば、意外と容易に読み解ける作品となっています。

 

 この記事では「デジモンアドベンチャー02 前編 デジモンハリケーン上陸!! 後編 超絶進化!!黄金のデジメンタル」を読み解く取っ掛かりを失っているあなたが、取っ掛かりを見つけられるようにアシストする記事を書いていきたいと思います。

(アシスト目的なので、いつもと違って形式も読みやすくしてみました)

 

デジモンハリケーンの本質は「ウォレスの心」

 さて、まずこの映画ですが、鑑賞された方なら分かる通り、一人ゲストとして物語の主役を務めるキャラクターが出てきます。チョコモンとグミモン、二匹のデジモンをパートナーにしていた少年、ウォレスです。

 ウォレスは、映画本編でもグミモンや大輔に何度も言われているように、年齢に反して、自分のママに反抗することが出来ない”マザコン”な少年として描かれています。マザコンな少年が「大人になる」と言って、一人で旅をしている、そういう話なのです。

 実はこの映画の本筋は、これです。

 この映画は「ウォレスが旅を経て、大人になるための一歩を踏み出す物語」であり、そのウォレス自身の心を描いた作品なのです。

 

チョコモン

 この映画の冒頭は、幼いときのウォレスとチョコモン・グミモンが一緒に遊んでいる場面から始まります。その場面の中で、チョコモンだけがよく分からない現象に見舞われ、はぐれてしまうわけですが、実はこの場面こそがウォレスという少年をよく表しているのです。

 幼いときに、はぐれてしまったチョコモンは本編でも分かるように、自分の成長に気づかないまま、ひたすら自分が幼かった時に戻ろうとそれを求め、デジモンに関わりのある子どもたちを次々に攫っては、彼らを幼児退行させながら「幼かったときのウォレス」を探して彷徨っています。

 これは本編中のウォレスも同じなのです。ウォレスもまた、大人になるために一人旅に出ると言いながらも、その実は自分が幼かったときに過ごしていた場所――サマーメモリーに向かっています。彼自身も、実は心の底で「幼かったときの自分」を求めているのです。実際、セリフでも「サマーメモリーに行けば、きっとなんとかなる」と彼は言っています。

 その姿は「幼い時に戻ればなんとかなる」と思っていたチョコモンと一致します。

 そうなのです。チョコモンは「ウォレスの幼さ」の象徴なのです。それはチョコモンが基本的に退行を起こす能力を持っていることからもよく分かります。

グミモン

 そして、グミモンはそんな「幼い心」とは正反対の、大人になりたい心を表しています。グミモンはウォレスの幼い部分を、いつも指摘し、事あるごとにウォレスのことを諭そうとしています。ウォレス自身も、グミモンの小言をうるさいと思いながらも、自分の幼さを自覚しているのは確かです。

 でなければ、そもそも、「大人になるための旅に出る」なんて行動をするわけがありませんから。常に母親に心配かけないように電話してしまうような、マザコン少年ですが、それと同時に母親から卒業したいという心も持ち合わせているわけです。

二匹のデジモン

 ウォレス自身の「幼くありたい心」と「成長したい心」は映画本編上で、よく矛盾した反応を起こしています。前述したように「大人になる」と言いながら、なぜか「幼い記憶の場所(サマーメモリー)」へと戻ろうとしていることからも分かるように、実はウォレス自身、認識の合わない心同士が分裂しているような状態だと言えます。

 元々は同じように過ごしていたのに、はぐれることで2つに別れてしまったチョコモンとグミモンは、ウォレス自身の心をよく表しているのです。

 

 

 この映画本編は、そんな、誰しも何度も経験する「成長したい心」と「幼くありたい心」の二つがぶつかりあう様子を描いたものなのです。そして、そんなぶつかり合いの中で「暴走してしまった幼い心」をどうにか、子どもたちが救い出そうとしている物語なのだと言えます。

幼さの救済

 しかし、これは社会の上でも、学校生活の上でもよくあることなのですが、「幼い心」というのは、なかなか他人がどうこうして変えられるものではありません。

 どこまで、他人が尽くしても、最後の一歩は「自分側から踏み出さなければいけない」のです。つまり、「幼い心」自身が自分のどうしようもなさに気がついて、幼さ自体から脱却しないといけないのです。

 そうしないと、成長したことにはなりません。

 つまり、幼い心自身が幼さを脱却する必要があるのです。

 

 しかし、よく考えてみてください。前述したように、チョコモンとは「幼さの象徴」であり、チョコモン自身が幼さそのものなのです。チョコモンにとって幼さの否定とは、同時に、自分自身の否定を意味します。

 だから、チョコモンはラストで、あの選択肢を取るしか無かったのです。

 

 

まとめ

 どうでしょう。意外と、こうして読み解いてみると、実はこの映画「難しい話は全くしていない」ことに気づけると思います。むしろ、どこにでもあるような、ごくごく当たり前の、普通の話をしているのです。

 成長するためには、幼い自分をどこかで否定しないと行けない。幼い自分を全肯定し続けることは出来ない。なぜなら、もう、自分は幼くないから。

 こんな、よくある物語を抽象的に描いているだけなのです。

 

映画感想:LOGAN/ローガン

 


映画「LOGAN/ローガン」予告E

 恒例の手短な感想から

ショック受けるほど、つまらないよ……

 といったところでしょうか

 

 面白いと思っていたんですけどね。見る前までは。

 前情報として入ってくる予告編や、設定云々の数々とそして西部劇オマージュらしいという噂……どれを取っても「面白そうだな」と興味を惹かれる内容で、これはもう映画館で見たらすぐに太鼓判押して、今年の当ブログ映画ランキングにも食い込んだりして――なんて、妄想を膨らませていたのです。

 まさか、こんなにダメな映画だとは……。

 

 本当にショックを受けすぎて、映画の良かった場面でさえ悪く思えてしまうほどに辛かったです。なんでしょう、この映画のしょうもなさというか。どうしようもない、つまらなさは。

 まず、ハッキリ言えるのは「これ、たぶんヒュー・ジャックマンが現場で相当ワガママ言ってるよね」ということです。なんというか、クライマックスの展開といい、ヒュー・ジャックマンの「俺様のためにある、俺様を盛り上げるための映画」感が半端じゃ無いんです。

 異様にヒロイズムに浸っている内容は、ハッキリ言って、ナルシスト過ぎて気持ち悪い領域に入っています。それほどに酷いです。喩えて言うなら「一時期のウィル・スミス級に酷い」のです。

 そして、その異様なヒロイズムに、ナルシズムのせいであの名作西部劇「シェーン」が見事に汚されていることに、個人的には憎悪と怒りを覚えざるをえないのです。今作は、これ見よがしに「シェーン」を長々と引用していますが、ハッキリ言います。

 本作はシェーンをまったく理解していない――どころか、正反対のことをしています。

 

「映画シェーンのなにが素晴らしかったのか」をこの映画の作り手たちは、まったく理解していないとしか思えないのです。なぜなら、シェーンは「本来ならば、映画のセオリー上、ヒーローと見做される人物が自分の死を隠し通したから素晴らしい作品足り得ている」のです。

 シェーンのラストでは、登場人物の誰も「シェーンが死ぬこと」を知らないのです。本当は重傷を負っていて、シェーンはやがて死ぬことが映画で暗示されているのですが、それでも登場人物たちは彼の死を知らない――だから素晴らしい映画なのです。

 なぜなら、シェーンは言っても人殺しだからです。

 ヒーローであっても、彼は所詮は人殺しなのです。だから、彼の死を誰にも悟らせなかったのです。誰かに彼の死を看取らせてしまったら、誰かが彼を弔ったりしたら、それは間接的な人殺しの肯定になってしまいます。

 それを登場人物たちにさせないために、シェーンはひっそりと死ぬことを選んだのです。

 

 さて、ここまで言えば分かると思いますが、本作は、それを見事に蔑ろにしています。第一に死を看取らせて、挙句に弔っています。第二にそもそも子どもたち自体が、残虐な人殺しを(それも明確に処刑と思われる描写で)行ってしまっています。

 シェーンのテーマをこの映画は、台無しにしているのです。

 この時点で、僕はこの映画を一切褒める気になりません。オマージュ元を無意識に毀損する映画なんて、どう擁護しようとも駄作としか言い様がないからです。

 

 このように、テーマの時点で相当に酷い映画なのですが、その上、脚本や撮影にも問題が多すぎるのがまた頭を抱えさせてくれます。

 まず、この映画を最後まで見て、僕が思ったことを素直に言わせてください。

「なんでもありか!」

 この映画の筋書きは、本当に、ご都合が過ぎます。理由もなく、ただ構成の都合だけで少女を延々と黙っている状態にさせ続け、これまた構成の都合で、急にベラベラベラベラ喋らせ始めたり、理由もなく構成の都合だけで子どもたちを逃げ回らせ、抵抗なく捕まったことにして、また構成の都合で子どもたちの能力を発揮させたり――もう全てがこの調子です。

「んー。この部分は、ちょっとド派手なことが起きるシーンがほしいなぁ」

「よし。プロフェッサーがやっぱ薬飲んでなかったことにして、暴走させるかー」

「どうしよう。そういえばプロフェッサーの薬ってこれ以上ない設定じゃなかったっけ」

「じゃあ、今作のラスボスでサクッと殺せばいいんじゃね?」

ウルヴァリンたち行き詰まっちゃったよ―」

「じゃあ、ローラが実は運転できる設定にして、ウルヴァリンを倒れさせてローラで病院まで運ばせようぜー」

 こんな感じのやり取りでいい加減に決められていったのではないかと疑いたいくなるほどに、この映画の話は、行き当たりばったりでいい加減なのです。

 その上、話は全体的に妙なほどにお涙頂戴もので、やたら終盤に愁嘆場が多くて、最終的に登場人物たちがテーマを演説し始める始末で「一体、君たちはこの映画をどこまでクソにするつもりなんだ?」と問い詰めたくなってしまったほどです。

 

 撮影も決して良い出来ではありません。特にクライマックスの戦闘シーンは編集の下手さと相まって人物の配置関係がよく分からない状態のまま続いていく上に、各登場人物がバラバラに行動しているので「この人は、この人から見てどっちに居て、何をやってるの?」という疑問が絶えない状態です。

 あえて言うならば、今回主役に抜擢されたダフネ・キーンの演技は良かったと思います。もちろん、基本的な今作の設定も好きです。ただ、設定が良いからこそ、活かすどころか、蔑ろにしたこの作り手たちが本当に酷いとも思いますが……。

 評価できるのはそこくらいでしょうか。あとは、評価できるのはこの映画が持つ政治性でしょうか。まあ、本作、どう見てもミュータントが移民のメタファーなのは見て分かりますから。

 ただ正直、僕は"政治的正しさ"だけで物事を評価するような、腐った人間ではないので「政治的に正しくても……」という感じですが。そもそも政治的に正しい話だからといって、映画として、物語として価値があるかというとそれは別です。

 むしろ「政治的に正しくはないが、実は倫理的には一理の正しさがある。あるいは納得できる理念がある。あるいは考えさせられる感情がある」とか、そういう話のほうが価値があるわけです。

 そういう意味でも、この映画はあまり良い映画ではありません。

映画感想:22年目の告白 -私が殺人犯です-

www.youtube.com

 映画『22年目の告白 -私が殺人犯です-』本予告

 恒例の手短な感想から

普通に面白かったよ

 といったところでしょうか。

 

 各所で藤原竜也がまた殺人犯役を演じるということで、それとなくネット上で盛り上がっていた本作品ですが、実は「SR サイタマノラッパー」シリーズで有名な入江悠監督の最新作でもあります。ついでに言うと韓国映画「殺人の告白」のリメイクでもあるわけです。

 まあ……正直な気持ちを打ち明けますと、入江悠監督に対しては、個人的には「これは本当に好き」という作品*1と「これは本当に嫌いだ」という作品*2が混じってる状態でして――なおかつ、最近はあまり良い評判を聞かなかったこともあって倦厭していたのですが、なんとなく本作については気になるものがあったので、見てきました。

 

 結果ですが、いや、なかなか普通に面白い映画でした。

 本作、よく出来ています。感心しました。90年代から現在という時代設定や、それの描写も非常に良かったですし、また、時間経過をタイムラプス風の映像で見せていくところなど、演出としての工夫も多く見られ、編集や撮影を含めても全体的に(そもそも、最近の邦画は、評判に似合わず頑張りがちなのですが)良いクオリティを持っていたなと。

 また、話も日本の時効に関する法律のアレやコレやなど、ものすごく細かいディテールまでキチンと考証がなされていて、こういった面でも、まったく文句がありません。

 

 合格点どころか、普通に値段の三倍くらいは楽しめる内容になっています。それも、この映画の面白さは、結構「元の韓国映画とは関係がない面白さ」を孕んでいるのではないでしょうか。

 つまり、端的に言ってしまって「他力本願」で面白い映画を作ったのではなく、自力でちゃんと面白い映画に出来ているのではないかと。

 

 リメイク元の「殺人の告白」については、自分は、なんとなく、あらすじのみを人から話として聞いているだけなのですが、まあ、正直、本作品と「殺人の告白」は似て異なる別作品と言ってしまってよいかと思います。あらすじの段階でも、それくらい話が違うことになっています。

 

 また、そもそも、元の「殺人の告白」のあらすじ自体、実はミステリーとしては結構ありがちな筋書きで、正直、この手の「逆転劇」は日本のミステリー小説でも嫌になるほど見かけます。その程度のものです。

 

 正直に言いますけど、上記の予告編を見た段階で「これ、藤原竜也が実は〇〇っていう筋書きなんじゃ……?」と想像した人も多いのではないでしょうか。で、実際本作の内容は、一切その予想を裏切りません。本当に藤原竜也が実は〇〇という筋書きです。

 映画本編を見てても、もう開始三十分くらいで「あぁ、こいつが本当の〇〇なのね」というところまで、なんとなく分かってしまうほどに、実はミステリーとしては古典的なネタです。

 

 しかし、それでも本作は面白いのです。

 元の韓国映画はアクションが大炸裂した内容として面白いようなのですが、むしろ、本作はアクションが控えめとなっており、むしろ人間模様や、周囲の人間の反応などのドラマ性、あとは見ていても苦しい殺人描写などの見せ方によって、グッと観客に「悔しい」という感情を覚えさせることで、深く物語へ感情移入出来るように作られています。

 また、作品自体のテーマも元の映画とは異なる結論に変遷しています。*3それは、ある場面などにクリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」そのものなテーマと、演出や描写を持ってきていることからも明白です。

 まあ、個人的には「今更、ダークナイトなのか」と問いたくなるところはあるのですが……ただ、日本のダークナイトオマージュ作品としても、結構本作は優秀な方です。

 

 かつて三池崇史監督の映画で「藁の楯」という映画がありました。*4あれが、日本で散見されたダークナイトオマージュ映画では「ギリギリ良いほうかな?」という出来でした。が、本作は、あれよりもずっと、遥かにダークナイト的な映画としてちゃんとしています。

 つまり、日本のダークナイトオマージュ映画の中では、間違いなくトップの出来なのです。

 

 そういった様々な観点から考えても、本作はスタッフたちが、入江悠監督が、プロデューサーが「頑張って面白い映画作ってやるぞ」と意気込んだ、その意気込みでここまでのものに仕上がったと言えるのではないでしょうか。

*1:SR3は良かったです

*2:かまってちゃんのやつは、本気でいろいろダメでした

*3:少なくとも、自分の知っているあらすじのかぎりでは

*4:ちなみに、本作のプロデューサーって、藁の楯と同じ方らしいです。映像作品って実は監督よりもプロデューサーが重要なんですよね。プロデューサーはいわば土台を作る人なのです。そして、その土台の上で踊るだけの人が、監督なのです。土台がダメだと監督は上手く踊れないのです

映画感想:美しい星


美しい星 - 映画予告編

 恒例の手短な感想から

人は選ぶが、心掴まれたら、もう最高

 といったところでしょうか。

 

 実のところ、今作、自分はそこまで大きく期待していませんでした。

 本作の監督、吉田大八氏は「桐島、部活やめるってよ」で、映画ファンの間で、その名を轟かせた監督です。ですが、イマイチ桐島、部活やめるってよ」以外の監督作品で、パッとしたものがありませんでした。

 個人的には「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」も「クヒオ大佐」も、全体的には良い出来なのに、最終的には「なんかなー」と言いたくなるところがあります。言ってしまえば「個性の押し売り」がうるさい、という評価がよくあっているのかもしれません。

 これは、最近の名のある映画監督ならば、全体的に当てはまることなのかもしれませんが。

 

 しかし、それでも本作「美しい星」は素晴らしい出来栄えです。いえ、むしろ、個性の押し売りがうるさい監督だからこそ、本作を素晴らしい出来栄えに出来たのかもしれません。ともかくとして、本作は見る人が見れば、ガッチリと心を掴まれてしまうであろう愉快な一作です。

 原作は宣伝にもある通り、三島由紀夫SF小説なのですが、非常に作品としては「逆噴射家族」や筒井康隆原作の諸作を思い出す、どこか懐かしささえあるような、往年の邦画を思わせる内容となっています。

また、リリー・フランキーの怪演を中心とした、各役者陣の演技も手伝っていることや、平沢進の音楽が大きくフィーチャーされていることもあって、今敏監督のアニメ映画を連想させる場面も多々あります。

 

 突然と、自分たちは火星人や金星人や水星人の生まれ変わりなのだと言い出した家族を中心に、次々と「本当に起こったのか起こってないのかよく分からんない」超常現象が起こり、様々な思惑が交錯していく内容は、ドラッグムービーと見紛う出来栄えであり、おそらく現在、映画館で上映されている映画の中では「夜明け告げるルーのうた」と並んで、作り手たちがキマってたとしか思えない一作でしょう。

 

 間違いなく、あの系統のトんでいる映画が大好きな方は、本作は相当に好きなはずです。自分としても、正直に言ってしまえば、あの「桐島、部活やめるってよ」よりも遥かに好きです。意味の分からないところも含めて、素晴らしい一作でしょう。

 もちろん、そういった「訳の分からないもの」を倦厭する方からすると、本作はだいぶつまらないものに感じてしまうかもしれません。

 

 ただ、本作は実のところ「極めてシンプルな話」をしていることに気づけると、そこまで「なにもかも、訳が分からない」という映画でもないと思います。

 まず、本作ですが――そもそも、原作の時点でそうなのですが――大抵の評において「政治的な皮肉が入っている」だのとか、「世の中の寓話化」だのとか語られることが多いように思いますが、むしろ、三島由紀夫という作家を考えると、それらは"賑やかし"として入れられていると考えるのが妥当ではないでしょうか。

 つまりは、ただ、小説の飾りとして入れられているに過ぎないのです。実際、皮肉の意も入れていたのでしょうが、そちらは本筋ではないでしょう。

 

 むしろ、本作の本質は、タイトルにハッキリあるように「美しい」にあるのです。

 三島由紀夫といえば、代表作である「金閣寺」でも分かるようにこの美意識というものにうるさい人でした。

 むしろ、うるさいどころではなく「世の中が忘れてしまった。世の中が失ってしまった"真の美しさ"というものを、自分はよく知っているのだ」と考えていた、そんな作家だったと言っていいでしょう。

 

 こう聞くと、この映画を見た方はハッとする方も多いのではないでしょうか。

 そうです。実のところ、この映画で行われていた数々のやり取りは「その人が信じている美しさ」の競い合わせに過ぎないのです。

 [自分はこれが美しいと思っている、あいつはこれが美しいと思っている、どちらが真の美しさなのか]という、ただそれだけの話をしているのです。

 

 だからこそ、自分はこの記事の冒頭で「個性の押し売りがうるさい監督だからこそ、素晴らしい出来栄えに出来た」と書いたのです。この映画が風刺しているのは、実は環境問題でも、経済でもなく、自意識過剰な社会なのです。

「自分が世の中の誰よりも、誰もが気づかない美しさを感じているのだ」という、過剰な自意識を持つ人々、そのものを風刺しているのです。

 実はそういう意味では、本作、アレハンドロ・イニャリトゥの「バードマン」に極めて近い作品です。

 

 

 果たして、彼らは本当に異星人であったのでしょうか。

 彼らの信じる美しさに真相はあったのでしょうか。

 それは、少なくとも、この記事を書く自分にはよく分かりません。

映画感想:武曲 MUKOKU


映画『武曲 MUKOKU』本予告編

 恒例の手短な感想から

頑張ってるから、貶したくないのに…でも、糞だわ

 といったところでしょうか。

 

 正直、映画の作り手は誰も悪くないと思っています。

 撮影や演出、脚本、細かい衣装に至るまで全てがかなりのクオリティで作られています。実際の剣道シーンも悪くありません。役者陣もまったく悪くありません。

 それどころか、いつもどおり、ヤサグレた演技が上手い綾野剛はもちろんのこと、それとまったく張り合えるほどの立ち振舞と演技を見せた村上虹郎、どちらも素晴らしかったと思っています。前田敦子も悪い演技をしていません。むしろ、作品の基調に溶け込んでしました。

 脚本も序盤などは、かなりテンポ良くまとめられていて、至って普通のやり取りで、ありがちな筋書きをなぞっているだけなのに、不思議と画面に惹きつけられてしまい、魅入ってしまうほどによく出来ています。

 撮影も、映画としての美しい構図や絵を心がけた、こだわりの感じられるクオリティであり、感嘆することはさすがにありませんでしたが、悪いところは特に見当たらず頑張ったんだなぁと思わせるものでした。

 演出も少し過剰すぎるところや、ちょっと機械的に感じてしまう変なところもありましたが、序盤の父親の髭を剃るところなど、思わず見ていてハラハラさせられるところがあったり、脇役の細かい演技にまでキチンと気を使っていたりと、ちゃんとリアリティを感じられるクオリティになっていました。

 音楽もわずかに出てきたのみでしたが、これも悪くありませんでした。

 特に序盤のラップシーンの音楽が素晴らしく――まあ、言ってしまえばモロにFlying Lotusそのものな出来なのですが*1、しかし、そもそもFlying Lotus系の音楽をここに持ってきたセンス自体が、優秀です。凡百の人ならば、ここにいかにもステレオタイプな、なんなら「チェケラッチョ」とか言い出すような音楽を持ってきかねないところですから。

 

 ここまで、褒めるところがいっぱいあるのです。

 素晴らしいところがいっぱいあるのです。 

 

 しかし。

 

 それでも、本作はかなり見ていてつまらない出来です。これはもう一重に言って「原作がクソすぎる」と言ってしまって良いのでしょう。それ以外にまったく悪い箇所が見当たらないからです。

 むしろ、これだけ優秀な人達が揃いも揃って、全力を出しまくってもなお、このレベルの出来に終止させてしまったのですから、罪と業の深すぎる原作だと言えるでしょう。

 薄っぺらすぎる仏教への理解。どっかで見たような親子関係で、どっかで見たような人物が、どっかで見たような苦悩をするだけの内容。話のご都合で、いつの間にか登場しなくなる登場人物までいる始末。

「糞は磨いても糞にしかならない」ことを、よく証明したと言えるでしょう。

5月見た映画

いつもの如く、鑑賞した映画を挙げていきます。

 

・空飛ぶゆうれい船

空飛ぶゆうれい船
 

 ・アンデルセン童話 にんぎょ姫

・SING/シング


映画『SING/シング』予告編

夜明け告げるルーのうた


『夜明け告げるルーのうた』予告映像

・メッセージ


映画『メッセージ』本予告編

帝一の國


「帝一の國」予告

・劇場版 ムーミン谷の彗星

 ・スノーマン

スノーマン

スノーマン

 

 ・どうぶつ宝島

どうぶつ宝島

どうぶつ宝島

 

 ・魔犬ライナー0011変身せよ

 

以上、10本です。

今月の記事数は四本。……案外、書いてますね。今年の最初らへんで躓きまくっていた分、反動で自分の映画熱が上がっているのかもしれません。

Amazonビデオ……プライムに入っていると便利すぎてしょっちゅう利用してしまいますね。特に昔のアニメ映画を鑑賞するとなると、これが最適すぎるのです。

 

ちなみに、そろそろ今年の上半期も終わりますが、既に上半期ベスト10位まで埋まっています。

意外に、邦画も洋画も選んで鑑賞すれば豊作というのが今年の映画傾向です。

選ばないと「うーん」な映画も多いんですけどね!

映画感想:帝一の國


「帝一の國」予告

 恒例の手短な感想から

最高じゃねぇか!

 といったところでしょうか。

 

 上記予告編を見た段階で、なんとなく気になっている映画ではありました。本作「帝一の國」。上手く言えないのですが、映画館で予告編を見ているうちから画面の作りがしっかりしている印象があったのです。

 ひょっとすると、少しくらいは面白い映画なのかもしれないなぁと、頭の片隅で「帝一の國」の名前をインプットしていたのですが、いや、本作、かなり面白いです。ここまで面白いとは予想していませんでした。

 

 まずなによりも、やはり、画面の作りがしっかりしているところが素晴らしいです。

 本当に海帝高校が実在するのではないかと思わせるレベルで、美術が作り込まれています。いえ、高校だけでなく、登場人物たちの衣装や、髪型はもちろんのこと、小さい小道具に至るまで全てが、ビジュアル的に納得できるレベルまで仕上げられているのです。

 おかげで、かなりありえない設定で、かなり性格が極端すぎる登場人物たちが出てくるというのに、不思議と映画を見ているうちに「ありえるかもしれない」と思えてしまうのです。

 画面が、この映画の説得力を補強しているのです。

 そして、その上で登場人物たちの描き方も上手いのです。

 いわゆる、自分が散々に邦画で辟易していた「説明的なセリフ」というものが、本作では滅多に出てきません。しかし、本作は見ているだけで、登場人物たちの性格や関係性まで把握できるようになっています。

 これは演じる役者たちの演技力が素晴らしいのはもちろんのこと、例えばちょっとある人が行動したシーンで、ワンカットだけ、他の人が表情を変えるカットを入れたりすることで、自然と「この人と、この人がライバル関係なのか」と観客に把握できるように作り手が工夫しているためです。

 ここまで極端な、ステレオタイプの、大味そうなコメディ映画なのに実は、細かいところの気配りが良く出来ているんです。

 細かいところの気配りで言うと、伏線等の張り方も素晴らしかったです。わざとらしく「はい。これ伏線ですよー」と思わせるような撮り方はせず、本当に一瞬だけ登場人物に伏線になることを言わせたりしているだけなのです。

 しかし、だからこそ、「アレ、伏線なのかよ!」と分かった瞬間の意外性が大きく、素直に「やられたー」と思えてしまうのです。

 

 そして、なによりも、普通に話が面白かったです。

 特にクライマックスの選挙シーンは、本当に話の運び方と、編集の仕方、そして、そのクライマックスに持ってくるまでの登場人物たちの心の揺れ動きの描写の積み重ねが上手く、ただの生徒会の、それも、たかだか規模にして100名以下の人しか投票しない選挙の、投票シーンなのについつい手に汗を握って見てしまうのです。

 本来、どうでもいいはずのシーンにここまで緊迫感を持たせられたら、もう映画としては申し分がありません。

 

 ――というか、こういう映画をこそ、傑作と呼称すべきでしょう。

 

 そして、全体の筋書きもキチンとしており、映画の基本である「主人公の挫折」をちゃんと入れ、そして、そのくだりになって初めて、それまで一切思いを言ってなかった帝一が本当の思いを明かす構成にしているなど「一体、作り手が何を描きたくて、何を観客に見せたいと思っているのか」が、ストレートに説明無しで伝わってくる出来になっています。

 最後に、"更にちょっと捻ったオチ"を持ってくるところも良いです。そのおかげで「少し長いな」と感じたエピローグ部分が、「あ、このオチのためだったのか」と納得できてしまい、エピローグが長くても許せてしまうのです。

 

 まあ、あえて言うなら、この映画は欠点として、少し序盤の描き方というか、観客の映画への引き込み方が上手くないところがあるのですが……それを加味しても、長い尺を感じさせない素晴らしい出来でした。

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