映画感想:スパイダーマン:ホームカミング
恒例の手短な感想から
素晴らしい!
といった感じでしょうか
久しぶりに見たマーベル映画のような気がしますが、久しぶりに見たものがこれで本当に良かったと思っています。正直に言いますが、最近、アメコミ映画に結構うんざりしていたからです。
確かにどの映画もコンスタントに、それなりに面白い内容なのですが、それと同時に妙なほどに暗かったり、変なほどにヒロイズムに浸りすぎていたり――なんだか同じような内容が多すぎじゃなかったでしょうか。
いえ、もっと僕の勝手なイメージを言ってしまうと、見ている観客層がそういう人たちばっかりなのか、やたら理系やら経済系の用語を頻発しまくって、「俺様、頭いいんだぜ?(キリッ」と言いたげな雰囲気が漂っている映画ばっかりじゃないかと。
それが僕にとっては本当に嫌だったんです。なぜなら、僕は別に映画を見て「こんな映画を見れる自分は頭が良い!」とか、そんな感慨に浸りたくはないからです。むしろ、映画中に出てくる理系用語が、明らかに誤用なことが気になって悶絶してしまう始末なわけです。*1
そんな状況の中では、今作のスパイダーマンは大変に珍しい試みであると言えます。まず、なんといっても、予告編を見ても分かる通り、明らかに本作は10年代前半に流行った「ポストヒーローもの映画」の流れを汲んでいることがとても珍しいです。
分かりやすく言ってしまえば「キックアスを、正統的なマーベルヒーローコミック映画が取り込んでみた」という映画なわけです。まさか、マーベルからこんな映画が出てくるとは想像していませんでした。その結果、本作は今までのアメコミ映画と比べても、非常に地に足がついているのです。
物語に生活感があるのです。主人公が15歳で学校に通っているということもあってか、日常があり、人々の営みがあり、その上でヒーローの戦いがあるということが映画のあちらこちらで強調されています。
実際、主人公が通う学校の生徒達の描写は、ヒーロー映画というよりは、他のコメディ映画やドラマ映画に出てくる描写に近いです。妙に搾取がどうだのと言い出す同級生や、人種の違うヒロイン、太った親友、ホームカミングパーティを話の主軸の一つに持ってくる構成などは「ハリーポッター*2」や「グレッグのダメ日記*3」「スーパー・バッド童貞ウォーズ*4」を思い出してしまうくらいです。
そのおかげで、本作、なんとも主人公の周りの人間模様が面白いのです。この手のヒーロー映画では珍しく「これからこの人はどういう人生を送っていくのだろう?」と思いを馳せてしまう内容になっているのです。
アントマンでも、こういう"登場人物の実在感"はありませんでした。あれらの映画で「まあ、言っても遠いどこかの、パラレルワールドでの、どうでもいい話だろ?」と思ってしまっている自分がいるわけです。しかし、本作は違います。
そして、その結果、サム・ライミ版のスパイダーマンを見た時に感じた「このスパイダーマンを応援したい!」と思う気持ちが久々に芽生える映画となっていました。今のようなアベンジャーズとか立ち上げてないときの、一作目のアイアンマンを見たときの「頑張れ!」と思う気持ちが芽生える映画になっています。
映画鑑賞後に、珍しく「この映画の続編が見たい!」と本気で思えた映画だったのです。*5
本当に久々に良いヒーロー映画を見ました。
*1:誤解のないように言っておくと、アメコミ映画以外でも、結構この「用語の誤用」に悶絶しています(笑) 例えば、今年公開された映画なら、メッセージの「非ゼロサム」という用語の誤用には悶絶しました。ゲーム理論を理解していないのに、なぜ出すのかと。いえ、確かに両者得も非ゼロサムなんですが、両者損も、片方損で片方得でも、非ゼロサムなケースはあるんです。なのに、なんで、両者得の言い回しで非ゼロサムとか言い出しちゃったかなと。
*2:まー、僕自身はハリポタそんなに好きじゃないんですが……
*3:映画版は……クロエ・グレース・モレッツ以外魅力がないですけど
*4:これは本気で好きです
*5:去年のナイスガイズ以来です!
映画感想:ウィッチ
恒例の手短な感想から
監督がノスフェラトゥのリメイクに抜擢されるのも納得
といった感じでしょうか。
これからどんな作品を撮っていくのか、楽しみなホラー映画監督が誕生しているような気がします。本作、「ウィッチ」はそれほどに今のホラーからすると特異な作品となっています。
現在、ホラーというジャンルは、往々にして「上手なびっくり箱」であることが多いと思います。もちろん、人を怖がらせるかぎりは多かれ少なかれ「びっくり箱」的な要素を入れざるをえないのですが――しかし、それにしても、だいぶ「びっくり箱」の要素に傾きすぎているのではないかと思うのです。特に洋画のホラーに関してはその傾向が異様に強い感じがします。
例えば、最近のホラー映画監督の中でも、最も有名であろう、ギレルモ・デル・トロ。彼が監督や製作総指揮した諸作は確かに優秀なホラーが多く、過去のホラーへのオマージュや、ゴシックな雰囲気などの見せ方も上手いのです。
が、そんな彼でさえ、いざ内容を見るとかなり「びっくり箱」要素が多いのです。パンズ・ラビリンス以外は、ほぼ観客の注意を惹きつけつつ「ワーッ!」といきなり驚かすシーンが必ず入っており、むしろ、それの目白押しとなっている作品もあるくらいです。
それくらいに、現代のホラー映画は「びっくり箱」の要素が強くなってしまっているわけなのですが、本作「ウィッチ」はそんな時代の流れに真っ向から挑むような作品となっています。
基本的に本作では、本当に最後の最後まで「びっくり箱」を使うことがないのです。むしろ、最近のホラー映画ならばここで「びっくり箱」要素を出すのがセオリーだろう、と思えるような場面でもそれを使うことがないのです。
決して本作は、大きな出来事など起こらないのです。人が死ぬときもスプラッタ的なシーン、グロテスクなシーンはほぼ存在していません。あったとしても、わずかに仄めかす程度です。
しかし、本作はそれでも、ここ数年でもかなり怖い部類のホラー映画です。
主人公一家の一人一人が発する一つ一つの言動から感じられる、彼らの異端な空気感や人間模様。ねじくれた枝葉一つとっても「これは異様な空間だ」と感じさせる、魔女たちが住まう森の様相の奇妙さ。
この映画の全ての要素が、この映画を見ている観客たちを幻惑していくのです。見ている間、ずっとこの映画の病的な雰囲気に――つまりはこの映画の呪いに――観客はどうやっても魅了され続けるのです。
話の筋書きも急激な起伏などはありません。少しずつ、些細な出来事を積み重ねるだけの筋書きです。出来事を積み重ねに積み重ね――そうして、観客たちが気が付かない間に、物語が狂った状況へと変遷していくように出来ているのです。
だからこそ、本当にこの映画は恐ろしいと言えます。
なにが恐ろしいって、冷静に考えればあまりにも狂っている、あまりにも正気を失っている一家の様相を、観客がまったく違和感なく受け入れてしまっていることが恐ろしいのです。
それどころか、見ている間中「確かにそう思ってしまうのも分かる」と、なぜだか共感を覚えてしまっている自分がいることに驚愕してしまうのです。そして、この映画で描かれた魔女を「本当に現実に存在しているのかも」などと、頭の片隅で思考してしまっている自分がいることに、愕然とさせられるのです。ゾッとしてしまうのです。
これほどまでに雰囲気や空気感、そして、些細な出来事と人間同士のやり取りのみで恐怖を演出していくホラー洋画は、大変に珍しいです。
時代設定や、キリスト教と悪魔の誘惑を強調している点など、本作は言ってしまえば古典的ホラーの再誕と言って良いのではないでしょうか。監督が、吸血鬼ノスフェラトゥのリメイクに抜擢されたのも納得です。
特殊雑記:佐藤竜雄監督の作家性
初めに、
「あなたは佐藤竜雄監督の作家性、と言われて、それがなにかを答えることが出来ますか?」と問われたとします。あなたはそれに対してなにか明確な返答ができるでしょうか。全く出来ない人もいることでしょう。佐藤竜雄監督は、アニメ監督の中では、言ってもそこまでメジャーではありません。
そもそも、佐藤竜雄監督って誰だと思っている人も多いことでしょう。
演出時代、「赤ずきんチャチャ」での活躍から「チャチャ三羽烏の一人」として耳目を集め、それから、TVシリーズで「飛べイサミ」「機動戦艦ナデシコ」と監督を務めた方ですが、「佐藤竜雄」という名前自体が広く浸透しているかというと、そんな感じはありません。
アニメに詳しい人であれば多少なりとも知っている名前ではあると思います。(2017年現在)最近も、「魔弾の王と戦姫」や「モーレツ宇宙海賊」などの監督を務めましたし、シリーズ構成で「白銀の意思 アルジェヴォルン」などにも参加していましたので、頭の片隅に覚えている人もいることでしょう。
ただ、そういった人でも答えるのは難しいかもしれません。
自分はかなりの佐藤竜雄監督ファンです。
しかも、どうかしていると周りが思ってしまうレベルでファンです。どれくらいかというと、アニメを見ていて数分で「あ、これ、佐藤竜雄監督の絵コンテだな」とか分かるくらいにどうかしているファンです。
事実、この映画ブログでも、度々彼の諸作品を挙げて記事にしてきました。
そんなファンからすると、佐藤竜雄監督の作家性というものが、ここまで表立ってハッキリと語られることが少ないのは納得がいかないのです。知らない人からすれば、この手のアニメ監督が、表立って語られないのは当然に思えるのかもしれません。
しかし、佐藤竜雄監督といえば、前述したように「チャチャ三羽烏」の一人であり、かつ、90年代、後世に強烈な影響を残した「新世紀エヴァンゲリオン、機動戦艦ナデシコ、少女革命ウテナ」という、スターチャイルドの三作品の一つを監督した人でもあります。しかも、星雲賞映画演劇部門・メディア部門を二度も受賞した監督でもあります。星雲賞映画演劇部門・メディア部門の二冠を達成しているのは「宮﨑駿、リドリー・スコット、ジョージ・ルーカス、金子修介、細田守、佐藤竜雄」のみです。
これほどの監督であって、それでも、あんまり目立った論がないというのは、ハッキリ言って変でしょう。
そして、ファンの方々は、佐藤竜雄監督が「毎回、どことなく同じ気がする/同じだと思える部分がある話を様々な視点から繰り返している監督」であることに勘付いている人も多いことだと思います。ただ、同時に「どこに共通点があるのか、いまいち分からない」「多少は分かるのだけど、完璧には分かっていない」という人も多いのではないでしょうか。
実際、巷の佐藤竜雄監督ファンはよく佐藤竜雄監督を「日常系の感覚を先取りした監督」と呼んでいることも多いのです。
しかし、単に日常系を先取りしただけの監督でないのも事実でしょう。日常系的な空気があると同時に、異様に熱い展開や熱血な展開が違和感なく挿入されたり、異様に怖い展開が挿入されていたり――上手く説明することが出来ないはずです。
この雑記は「イマイチ/まったく分からない」作家性を、この記事を読むあなたに「そうか。佐藤竜雄監督はそういうところにも共通点があるのか/そういうところに共通点があったのか」という納得ができるものを目指しています。
そのため、いくつか章立てて、佐藤竜雄監督の作家性を追求します。
まず、第一章に入る前に、フィルモグラフィーのおおまかな再確認を行います。それから、次に第一章で、「話の構成」上の共通点――佐藤竜雄監督の作品では、こういう話になりやすい、というところを追求します。続く第二章では、今度は話の構成等、物語に当たるところではなく「画面構成」や「演出」等の、表現的な共通点に着目していきます。第三章では、二章までの更に深層に当たる「作品のテーマ」についての共通点を述べていきます。そして、第四章で全てを統括した総評を行います。
全てを読み終わったとき、佐藤竜雄監督の作家性というものを、ぼんやりでも掴んでいたけたら、と思います。
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7月に見た映画
・ドリーマーズ
・ピープルvsジョージ・ルーカス
・ジョンウィック:チャプター2
・GAMBA ガンバと仲間たち
劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者 (通常版) [DVD]
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・メガマインド
・アリスVSモンスタースクワッド
・プリンス&プリンセス
・モンスター・ホテル
以上、11本になります。記事の方はわずか二本……。
すみません。仕事でトラブル続出で記事を書く暇がありませんでした。スプラトゥーン2が発売されたり、王ドロボウJINGが電子書籍化したり、他にもイベントが盛り沢山でした。
今年、僕は趣味に殺されるんじゃないかと思うほど、趣味に追われています。
ちなみに、モンスター・ホテルとメガマインドは、かなり面白いです。どっちも話自体が粗さも目立つ出来ですが、ピクサーに飽きた人には結構オススメできます。
映画感想:メアリと魔女の花
恒例の手短な感想から
大人の事情しか見えない映画
といった感じでしょうか。
突然ですが、告白します。このブログ、実はある時期だけ、やたらアクセス数が伸びる現象が起こるんです。
それまでは、当ブログは一日最大でも100アクセスが限界だろうという、(主にアフィリエイターからすれば)見下されていること間違いなしの、弱小ブログなのですが、ある時期だけはこれが10倍くらいに跳ね上がることがあるのです。
その時期とは「思い出のマーニーがテレビ放映された時期」です。
まー、「思い出のマーニー」という映画はそこそこ難しいというか、理解に手間のいる映画であるため、簡単なヒントを記した当ブログの感想記事に飛びついてくる人が多いわけです。
「思い出のマーニー」は多少の疵があるものの、自分も評価しています。脱ジブリという宣言に相応しい一作でした。
その「思い出のマーニー」の監督、米林宏昌監督の最新作が本作「メアリと魔女の花」になるわけですが、この映画、どうやら各所で激論を巻き起こしているようです。
確かに予告編の段階で嫌な予感のする映画でした。なんというか「第一報で見た予告編と、その後で伝わってくる情報に乖離がありすぎる」と言いますか。
予告編の段階で「普通の少女が、生活に退屈している中で魔法の花を見つけて、魔女になって魔法学校へ行って、でも、魔法学校はヤバいところで、だから、魔法学校から抜け出すんだ」というあらすじは分かるのですが、それはちょっと話を詰め込み過ぎじゃないのか、と。
そんなわけで、自分としても気になるので本作を見てきたのですが、いやーまさか!
予告編で想像した内容と正反対で、こんなに話がすっからかんだとは思ってませんでした。
この映画のすっからかんさをよく表しているのが、登場人物の数です。
ジブリといえば、個性的なキャラクターたちが画面を跋扈して、さながら「毎回が妖怪大戦争」みたいな状態になっているのが、定番です。――というか、児童向けの映画や童話というのは、基本的にはそういうふうに出来ているものです。
しかし、本作は登場人物の数が本当に少ない。チョイ役のキャラクターを含めても、両手で数えられる程度しか出てきません。それはエンドロールの出演クレジットを見ても明らかです。他の映画ならば、主役級の人たちが十数名、それにチョイ役がずらりという状態のはずのエンドロールが、本作は「え、これだけ?」という人数しかいないのです。
しかも、話の本筋に深く関わる登場人物まで絞ると、たったの四人しか出てきません。嘘かと思うかもしれませんが、本作、敵役である魔法学校の先生とドクター、主人公側の少年少女、メアリとピーターが延々と、小競り合いしているだけの内容です。
それ以外の人たちは、途中から思い出したようにちょっと出てきたりするだけです。
なんというか……この時点でこの映画の状況がよく分かると思います。
「あぁ、そうか。そんな多い人数に出演料も出せないほど予算に困ってるんだな」ということです。有名人にオファー出したら、もうそれ以上出演料出す予算がないのではないかと。だから、登場人物が極限まで居ないことになっているのではないかと。
本編の作画や構成に関しても、それが言えます。
宮﨑駿的な方向性の、登場人物たちがちょこまかと動き回ってリアクションしたりするのは枚数がかかるので、とにかく登場人物たちには、セリフで感情を表現させ、細かい動きはやめさせよう――。
そんな考えがあるのではないか、と疑うほどに実はアニメーションが動いてないのです。動いているように見せているだけのシーンが意外と多いです。
例えば、この映画の始まり。ここでは食卓のシーンでメアリたちが延々と会話をしてメアリの状況を説明しています。
宮﨑駿ならば、ここでメアリを街で散歩でもさせて、場面を次々変えながら、いろんな登場人物を登場させて、メアリの性格を描写し――などという構成を考えそうなものですが、そんな場面をちょこまか変えられるほど予算がないのか、ずっと同じ食卓シーンで、長々としたセリフでメアリの性格を説明して終わらせてしまうのです。
また、ジブリのように細かい作画修正を掛ける予算もなかったのか、よぉく見ると作画がミスってる箇所もそのままになっています。
実はこの映画、ずっとこの状態が最後まで続いているのです。全てにおいて「んー予算なかったのかなぁ……?」と思ってしまうほどに、様々な表現が"詰められて"いないのです。
例えば、樹木の表現などもそうです。これを突き詰めて描く暇など無かったのか、木の葉の部分は、雑多なモコモコとした緑のマリモにブツブツが生えているようにしか見えない仕上がりになっています。おそらくブラッシュアップする予算がなかったのでしょう。木々らしい、不規則な凹凸の線などを表現できていないのです。
箒で飛ぶ描写も、宮﨑駿らしい「溜め」や、「慣性の働いている感じ」などが表現できていないままです。
この映画、ジブリっぽい描写やオマージュがたくさん入っている映画なのですが、どんなにジブリっぽい描写を入れても、この映画は明らかにジブリとは別物です。今年公開されたアニメ映画ならば、「夜明け告げるルーのうた」の方が、描写のフェティッシュさにおいて遥かにジブリっぽいと言えます。
子供向け映画としても、各々の箇所にある、長すぎるセリフ回しや、そもそも二時間を超えている尺など、子どもを飽きさせる要素満載でとてもではないですけれど、評価できません。実際、映画館にいた子どもはだいたいが飽きていて、親の言うことをよく聞いてそうな"いい子"だけがニコニコしている、という酷い状況になっていました。
思うのですが、本作はそもそも題材が間違っていたのではないでしょうか。ここまで予算がなさそうな状況で、本作のような大スペクタクルものを作ろうというのは本当に無理があります。
米林宏昌監督は「思い出のマーニー」のように、地味なんだけれどもよく心に響く一作のほうが演出の方向性など含めて似合っているように思いますし、その方向性のほうが予算的に大助かりのはずです。
そうですね。……例えば、「肩胛骨は翼のなごり (創元推理文庫)」などどうでしょう? 本作、宮﨑駿が絶賛していた小説ですが、これなんかは米林宏昌監督の才覚によく合っていると思うのですが。
ですが、この路線だとおそらく「儲からない」のでしょうね。ジブリっぽくしないと人は来てくれません。映画冒頭、スタジオジブリと見間違えそうなロゴを使っているのも、そういう事情からでしょう。儲けるためには、観客に本作がジブリであるかのように誤解してもらわないといけないのです。
メアリと魔女の花は、そういう大人の事情がよく見えてしまう映画、と言えるかもしれません。
映画感想:ジョン・ウィック:チャプター2
恒例の手短な感想から
前作以上に濃く、でも、前作ほどじゃない
といったところでしょうか。
ジョン・ウィック――「キアヌ・リーブスが久々に放つ、キレッキレのアクションもの」ということで、2015年に一部で話題に上がった作品なのですが、まあ、誰もが本作の発表を知った時にこう思ったはずです。
「え、あれで続編出るの?」と。
前作、ジョン・ウィックは、未だに説明に迷うかなりのヘンテコ映画です。基本的なコンセプトは、不死身で不落で無敵の元殺し屋「ジョン・ウィック」が、銃や体術や車を熟して次々に人を殺していく内容なのですが……なんというか、この作品、設定も人物も撮り方も話の展開も、全てが異様にシュールに出来ているのです。
鈴木清順監督の諸作品やら、五社英雄の諸作品を思い出すような設定や描写が詰め込まれ、その中を「座頭市か」「眠狂四郎か」と思ってしまうような、主人公ジョン・ウィックが暴れる――という、おそらくキアヌ・リーブスの趣味を片っ端から全てくっつけたと思われる、鵺映画だったのです。
そんな映画の続編なんて、一体どうなってしまうことか――想像するに、前作の面白さだった「趣味全開な、こだわりだらけの訳分からない要素」が削がれ、いかにもハリウッドな映画になっているのではないか、なんて危惧が浮かんでくるわけです。
完全に杞憂でしたが。
というか、本作の場合、前作以上にキアヌ・リーブスの趣味な描写やらこだわりの描写やらを足しまくった結果、前作以上に訳が分からなく、前作以上に癖の強すぎる、前作以上に人を選ぶ作品となっています。*1
前作では「ちょっと鈴木清順っぽい?」と思うだけに留まっていた描写も、今作では全てが異様に真っ白い空間等々、ハッキリと鈴木清順オマージュをしていることが受け取れるシーンが多くありますし、また、終盤では「燃えよドラゴン」を明らかにオマージュしているシーンもあったりなど、前作以上に色んな要素がごった煮で詰め込まれています。
ただ、「じゃあ、本作が前作よりも面白かったのか」というと、うーん、結構微妙です。
というのも、前作は基本的には「あいつは俺の大事な恋人が大事にしていた犬を殺しやがった!許さねぇ!ぶっ殺してやるー!」という、復讐もので一本道の筋書きであったため、どんなにヘンテコな描写で惑わされても、話の大枠を理解するのは簡単でしたし、だからこそ、細かいこだわりの描写も余裕を持って楽しむことが出来たのです。
が、今作は意外と大枠の筋書き自体が、結構複雑というか……。まあ、基本、映画としては前作の時点で完全に終わっているので仕方ない話かもしれませんが、どうにか殺し屋「ジョン・ウィック」を暴れさせようと、かなり無理くりで二転三転する筋書きを付けてしまっていて、これがなんとも、この映画を見づらくしています。
また、クライマックス付近もなんだかなぁと。
前作は結構、クライマックスでジョン・ウィックもかなりの死闘を演じていたのですが、今作は意外とクライマックス付近が、あっさりしているのです。むしろ、今作はクライマックスより中盤のほうが死闘だったのではないかと思えるほどでした。ラストは強敵の殺し屋たちを次々にサクッと葬っており、ここも結構「……あ、あれ?」と気になりました。
本作の終盤があっさりしているのは、ひょっとすると「ジョン・ウィック:チャプター3」を作ることを前提にしているような終わり方をしたため、かもしれませんが。
まあ、ただ、本作のラストに関しては「さすが、マトリックスのオファーを受けたときに『分かる!僕もこの世界が現実じゃないような気がしてたんだ!』と言い出したキアヌ・リーブスだな」と思えるような、キアヌ・リーブス自身の世の中に対しての疑心暗鬼っぷりが全開になっているとも取れるラストで、ここは大好きです。*2
2017年上半期映画ランキング
今年も気がつけば上半期を過ぎました。
自分としては短いような長いような、不思議な半年でした。
前置きはさておいて、いつものごとく、今年もまだ上半期ですがたくさんの映画を見ることが出来ました。そんなわけで、今年、映画館で見た映画のランキングを書いていきたいと思います。
12位 モアナと伝説の海
今年の映画は「選べば粒ぞろい」な状況でした。そのため、なかなか自分としてはランキングに入れたい映画が多く、12位からのスタートになっています。
で、本作ですが、良い映画だとは思うのですが、それと同時にあまりにも思い入れがないんですよね。あと、個人的にただオマージュがワンシーンあっただけで「海のマッドマックス」とかネット上で騒いでた人たちが、ウザすぎて……。*1
それは別としても、感想記事では書きませんでしたが、エンドロール後のリトルマーメイドを自虐したギャグなども「で、出たー。自虐ギャグを言えば賢いとか勘違い奴ー」とか言いたくなりましたし、「最後に結局、鉤爪貰えちゃうんかーい!」とも思いましたし、良い映画だと思うけど、そこまで思い入れがないのです。
11位 22年目の告白 -私が殺人犯です-
良い映画だと思うけど、思い入れがない映画その二です。なんでしょうね。この映画に関しては「面白かったけど、まだダークナイトなのかよ!」というそこに尽きると思います。
自分が大人になってみて気づいたのですが、正直、ある程度大人になってから、ダークナイトみたいなテーマで興奮できる人ってちょっと引きますね。なんというか、だいぶ周りのことを見下している幼稚な人間観を持ってないと、あのテーマって共感が難しいでしょう。え、その歳にもなって中二病ですか、と。
この映画も同じなわけです。
10位 美しい星
10位からは、思い入れがある映画たちになっていきます。この美しい星も、個人的には非常に思い入れがある一作だと言えます。正直、吉田大八監督にはそこまで期待していなかったのですが、今回は非常に頑張ったなと。
感想記事でも書いていますが、今敏監督のアニメ映画を思い出すような、日常の風景にあまりにも異質なものが混ざり合っている、この不思議な感覚を出した実写映画というものは、実はありそうでなかなか無いのです。大抵は、そういう異質さを恐怖の方向性で演出してしまいがちですし……。
しかし、本作は見ても分かる通り、コメディなわけです。特にリリー・フランキーの怪演は最高でしたねー。ここまで情けなくて、輝いているリリー・フランキーを見たのは、初めてのような気がします。
9位 SING/シング
モアナとは対照的に、確かに映画としては粗削りでいろいろとおかしいところだらけであったものの、音楽映画としてはもう優秀すぎて、思い入れが半端ではないのが本作です。本当に素晴らしい音楽映画でした。ジャズの描き方も、実は結構「お、なかなかいいとこを抑えてるじゃねぇか」って描き方してるんですよね。
色とりどりに音楽を揃えているからこそ、内容として飽きないものになっていますし、一層にテーマが引き立っています。音楽に本当に敬意を払っているのだなと思えるのです。自分の好きなジャンル以外を糞だの何だのと貶して「だから、俺様がすごいんだ」とでも言いたげな人たちでは、到底叶わないものがこの映画にはあるのです。
本当に、本当に、ララランドを褒めている人たちは、この映画を見て反省してほしいです。ジャズ以外の音楽が低俗なんてことはないのです。
8位 帝一の國
これも最高でした。一部の映画ファンに賛否両論を起こしていた「ジャッジ!」の監督が、満を持して放った一作でしたが、この映画を見るかぎり賞賛していた側が正しかったことは間違いないでしょう。(ちなみに、自分は賞賛側でした)
どこまで馬鹿馬鹿しい設定でも、馬鹿馬鹿しい人物造形でも、ここまで突き詰めてちゃんと人物たちの描写を積み重ね、突き詰めて登場人物たちの関係性を浮き彫りにし、突き詰めて画面を作り上げて撮れば、ちゃんと観客の心を掴めるし、観客を沸かせられますし、観客の感動を呼べるのだと証明した貴重な一作です。
個人的には感動の場面で、わざと登場人物の涙を隠した演出も「やるなぁ」と感心しました。そうですよ。映画は涙を隠すべきです。だらだらと雫を溢すような描写は避けるべきなのです。それだけで感動シーンが、一層に引き立つのです。
今後の実写化案件において、また一つ、指針とすべき優秀な教科書が追加されました。
7位 無限の住人
三池崇史監督が、久々の特大ホームランを放った一作です。まあ、なんといってもグロテスク!そして、なんともカッコイイ殺陣の数々。
もちろん、時代劇をそれなりにさらって来た自分からすれば、まだまだ甘いところもあって「三池は、全力出しても三隅研次には遠く及ばない監督だなー」とか思ったりもするのですが、それはそれ。
三池独特の残酷描写は、鬱展開上等の変態漫画家・沙村広明と見事な融合を果たして、過去最高の出来となったと言えるでしょう。
なんとも痛そうな描写の数々!しかも、本作はどこか五社英雄監督を思い起こさせる、唐突な話運びや、とにかく見どころを凝縮して詰め込んだ内容で、個人的には尚の事、それがぐっと来てしまいます。ある種、日本版「ジョンウィック」です。気がつけば、邦画も再びこれくらいの時代劇ならば撮れるまでに復調していたんですねー。
6位 ナイスガイズ!
これを公開初日、まだ誰の前評判もない状態で嗅ぎつけて見に行けたことが、今年の自分の中でも誇っていいことかなと思っています。本当にここまで老若男女、誰にでも見せても面白いと言ってもらえるであろうサスペンスコメディが出てくるとは思っていませんでした。
いや、もう最高でしょう。本作こそがライアン・ゴズリングの真価を引き出した作品と言っても過言ではないです。ライアン・ゴズリングファンも、必見の一作です。しかも、内容はビバリーヒルズコップやらの、往年のハリウッドエンターテイメントを、ちゃんと現代向けにブラッシュアップをさせることも成功しているわけです。
あの手のサスペンスコメディが、ちゃんと今っぽい映画として生まれ変わって、生き残れる道があったことを示したことも賞賛に値します。
5位 わたしは、ダニエル・ブレイク
今年の映画の中でも、最も異色の政治映画でしょう。
しかし、正直、最近のケン・ローチ監督作の中では本気で傑作と言える内容であり、ダニエル・ブレイクという人物を通じて様々な人たちが、ジレンマな状況で苦しむ姿を映した本作は単純に映画としても面白い一作です。
どこまでもどん底な状況であっても、必死で朗らかに、健気に、ちゃんと普通の人間として日常を謳歌しようとする主人公たちの姿には、様々な人が自分を投影できるはずだと思います。
そんな人でさえ、決して、救われることがない――いえ、そんな人たちが救われない状況を生んでいる"制度"を変えなければダメなのだ!と訴える本作は、間違いなく、これからの世の中の行方を示していると言えます。
4位 夜は短し歩けよ乙女
あーなんでこう、亜細亜堂出身のアニメ監督って映画で外れがないんでしょうね。
亜細亜堂とはドラえもんの監督・芝山努が率いてるアニメ会社なのですが、ここから排出された監督たちは、まあどの人も非常に高クオリティの映画を作ってしまうんです。
湯浅監督も例に漏れず、今作も、相変わらず最高なわけです。最初から最後まで延々とハイテンションなまま、終わりまで突っ走ってしまうこの素晴らしさ。しかも、上映時間は内容の濃さに反して「あれ、思った以上にみ、短い!?」――映画の濃さは尺に比例しないことがよく分かる好例です。
しかも、原作のテンションを再現どころか、何倍にも膨らませてこの内容にしてしまったわけですから、本当にとんでもないです。ただ、今年はコレ以上にぶっとんだ湯浅監督作があったのですが……。
3位 夜明け告げるルーのうた
みんな、この映画を見た後はおそらく、斉藤和義の歌うたいのバラッドをYOUTUBEで延々と再生したことでしょう。いや、それにしても、とんでもない一作でした。本作の狂いっぷりは世界的にも比類ないレベルに相当すると思います。
感想記事で書いた「10分に一回、ピンクエレファントパレードがやってくる内容」とは、この映画を最高に言い表していると思います。本気で、そのレベルで狂っています。しかも、本作はアニメーションにFLASHソフトを使っているらしく、FLASH独特の線の動き方と相まって、まあ見ていて変な感触しかしないのです。
しかし、変な感触しかしないことが、この映画にとっては大事なのです。
むしろ、まともになったら、絶対に駄目なわけです。一瞬でも、観客の目を覚まさせてはいけないのです。目が覚めたら「僕は一体、なんで喜んでいるんだ?」と自問自答の世界に沈むことは必然です。延々と催眠を掛け続けることが必要なのです。その点においてFLASHソフトのアレな感じは、催眠を手助けしていました。
おかげで、誰もこの映画を一片も説明できないこと……。というか、あんまり内容を憶えていないのです。楽しかった感触しか残ってないのです。まるで眠りの中で見る夢のような映画と言えるでしょう。
2位 ブルーに生まれついて
本来ならば去年の映画ランキングにあるべき映画なのですが、自分が見たのが今年なので今年の映画に含んでいます。しかし、それにしても素晴らしい映画でした。JAZZ映画にありがちなジャンキーな要素や、哀愁漂う雰囲気などを備えつつも、ただ今までのJAZZ映画とはひと味違うものに仕上げてきた傑作映画です。
特にラストの「あぁ……そうなっちゃったかぁ」というオチを、セリフではなく、歌っている曲の歌詞と演者たちの演技で観客に伝えてくるシーンは白眉です。それがチェット・ベイカーというのも、また味わいを深くしています。
ジャズを少しでも理解したいと思う、あなたに是非おすすめの一作です。
1位 キングコング 髑髏島の巨神
本気で怪獣映画として、かなりの傑作だと考えています。ちゃんと人に伝わってさえいれば、下手すれば怪獣映画の新しいマスターピース足り得ていたのではないかとさえ思うほどに、大傑作の本作ですが、なぜかイマイチ話題になってくれませんでした。
しかし、本作は正直に言って、これほど鑑賞したときにお得な気分になれる映画はないと思うのです。モアナ的な要素やら、進撃の巨人やら、もののけ姫やら、スター・ウォーズやら、ジュラシックパークやら、様々な映画の要素が実はこれでもかと隙間なく詰め込まれているのですから。挙句、廃墟の様子などはニーアオートマタやブレスオブザワイルドなど、今年話題になったファンタジーゲームさえも想起させるものでした。
それほどに素晴らしい要素がたくさん詰め込まれているので、なおかつ、この映画はキングコングなのです。もう最高でしょう。
誰が見たって問答無用で面白いと感じる一作のはずなのです。
ポスターもなんともお洒落でかっこいいこと!
そして、このタイトルですよ。
「髑髏島の巨神」
全てに文句がないでしょう。だから、一位です。
というわけで、上半期ベスト・ワンは「キングコング 髑髏島の巨神」でした。正直、下手すると今年のベストワンもこれの可能性も重々あります。それほどに同作は素晴らしい一作でした。
さて、上半期の総括になりますが「話題作がことごとく、微妙」という結構、酷い状況だったなーと思っています。
ツイッターで活躍するあの人この人、雑誌で活躍するあの評論家この評論家――みんな揃って「えー…? あんた数年前はこういう映画を貶してる人じゃありませんでしたっけ?」って言いたくなるほど、微妙な出来の映画を妙にプッシュしていくこと。
なんとなく、ここ数年続いていた転換期の終わりが近づいているな、という実感があります。全体的に政治的な理由や、ジャンル差別的な理由でみんなが映画を変に褒める状況が続いているなぁと。
2017年下半期も期待の作品は多数あります。おそらく、期待されていない傑作も多数あることでしょう。
この状況下で、周囲に惑わされずに面白い映画をつかめるよう、相変わらずのマイペースで本ブログは運営していきたいと思います。
以上です。
*1:ああいう人たちって、他の作品を認めず貶す傾向があるんで僕は大嫌いです。