儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

2017年映画ランキング

あけましておめでとうございます。
新年になりましたので、2017年の映画ランキングを発表していきたいと思います。
2017年に鑑賞した、2017年の映画は以下となっています。

銀魂(実写版)
オリエント急行殺人事件(ケネス・ブラナー版)
スター・ウォーズ/最後のジェダイ
ゴッホ 最期の手紙
KUBO/クボ 二本の弦の秘密
猿の惑星:聖戦記
ブレードランナー 2049
アトミック・ブロンド
アウトレイジ最終章
ドリーム
逆光の頃
三度目の殺人
スキップトレース
ウィッチ
咲-Saki-
スパイダーマン:ホームカミング
スターシップ9
ジョンウィック:チャプター2
メアリと魔女の花
モアナと伝説の海
22年目の告白 -私が殺人犯です-
美しい星
SING/シング
帝一の國
無限の住人
ナイスガイズ!
わたしは、ダニエル・ブレイク
夜は短し歩けよ乙女
夜明け告げるルーのうた
ブルーに生まれついて
キングコング 髑髏島の巨神
武曲
LOGAN/ローガン
怪物はささやく
メッセージ
パッセンジャー
ムーンライト
ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険
ラ・ラ・ランド
虐殺器官
ドント・ブリーズ
ネオン・デーモン

それでは、この41本の中から、厳選してランキングにしていきましょう。

2017年映画ランキング

15位 ゴッホ 最期の手紙

harutorai.hatenablog.com

今年は15位の段階で、傑作がランクインしてしまうという異常事態です。
個人的には、ゴッホを題材にしている割に、実は画風があまりゴッホ的ではない、リアリスティックな画風であるところが若干惜しいような気もしていて、そこで順位を下げてしまいました。

14位 SING/シング

harutorai.hatenablog.com

 この映画も本当はこんな順位に据えたくないのですが……上が詰まりすぎてて、ここにしか収まりませんでした。いやー、音楽映画としては冗談抜きでここ十年の中で最も傑作と断言して良い出来なんですが、それがこの順位なのです。

13位 ウィッチ

harutorai.hatenablog.com

 例年なら、こんな順位に来るような映画ではないんですけどね。
 こんな順位にきてしまったのは、一重に自分がホラーを苦手としているからです。
 映画としては曇りのない傑作なので、それ以上の理由はありません。

12位 帝一の國

harutorai.hatenablog.com

 最近は意外と邦画の実写案件も「あれ、わりと良い映画じゃね?」ということが多くなってきましたが、本作も間違いなく、そのうちの一つに入るものでしょう。

 ネットの住人には実写映画を酷評して、周りを見下すことを惨めな趣味にしている方が多いので、こういう良作は本ブログとかが、ちゃんと拾い上げないとな、と思う次第です。

11位 無限の住人

harutorai.hatenablog.com

 ちょうどキムタクバッシングの風潮で、見ないまま本作をバッシングしたかった人たちと、一部の映画ファン層の「邦画はなんでも貶せばいい(※自分たちが信仰している映画評論家が誉めたもの以外)」という狂った風潮が合致して、叩かれてしまった本作ですが、アメリカでの好評を示すように映画としては、かなり良い映画です。もちろん、グロ全開なので人は選んでしまいますが。

10位 ナイスガイズ!

harutorai.hatenablog.com

 本作も、例年ならベスト5くらいに絶対に入れているんですが今年に限っては難しかったです。ここまで、ベタに話を作っていって、でも、非常に面白いなんて映画が、2017年に作られた事自体が驚きと言っていいでしょう。かなりエスプリを効かせたオチも良いものでした。

9位 わたしは、ダニエル・ブレイク

harutorai.hatenablog.com

 ここまで時事ネタな内容もないですが、同時にこの手の「時事ネタ」な作品の中では、一番的確な信念を持った映画と言えるでしょう。他の映画のようにありきたりな「チャリティ精神」――つまり、貧乏でも助け合えばいい、などという見殺しを容認しているだけの浅薄な思想を持ち込まなかったことを評価します。

8位 夜は短し歩けよ乙女

harutorai.hatenablog.com

 この映画も、普通ならベスト3くらいに食い込んでくる作品なのですが、今年に限ってはこの状態です。――まあ、湯浅政明監督作品自体に、もう一本更にすごいやつが公開されてしまいましたし、仕方ないという気もしますが。
 ともかくとして、本作は本当に素晴らしかったです。原作以上に原作の魅力をここまで引き出した上に、完全な湯浅政明テイストに落とし込みきった本作ですが、何よりもここまで最初から最後まで、観客に「疲れた」と思わせないままに、ハイテンションで貫徹しきれたことが素晴らしいです。

7位 ドリーム

harutorai.hatenablog.com

 本作も本来ならば、ベスト3に(略)。
 個人的に原題の「forbidden figures」をもっと活かした邦題にして欲しかったなぁと思うのですが、それを抜いても素晴らしい映画でした。この手の差別を扱った映画にありがちな「とにかく、絶賛される理由は映画の主張している部分ばっかりで、映画としての出来は……」みたいな状態ではなく、単に映画の出来としても素晴らしく、演出等々もオシャレに仕上がっていていることが良いのです。
 素晴らしい映画で、素晴らしい物語であれば、白人だろうが黄色人種だろうが、黒人の主人公の気持ちに共感することが出来るのです。僅かでも理解することが出来るのです。ただ、主張をスクリーンから居丈高に叫ばれるより、こちらの方が効果は深いでしょう。

6位 スパイダーマン:ホームカミング

harutorai.hatenablog.com

 本作も本当に素晴らしかったです。アメコミ映画ファンでも何でもない自分が、断言するのだから間違いないでしょう。最近のアメコミ映画は、神話的な要素が多すぎて、ヒーローものというより、ほぼただの現代ファンタジーであることが、どうしても納得行かなかった自分ですが、本作はまさにそんな人にうってつけの映画です。
 これぞ、ヒーロー。これぞ、ヒーロー映画だろうという部分を、本作はよく見せています。願わくば、このスパイダーマンは、アベンジャーズとは深く絡まないで、じっくりとこの路線でずっと行ってくれるとありがたいのですが……最近の洋画は、そういう期待を裏切ってきたりするんですよね、困ったことに。

5位 夜明け告げるルーのうた

harutorai.hatenablog.com

 基本的に映画においては、傑作しか作っていない湯浅政明監督ですが、本作はその中でも今までの集大成的な側面を持つ傑作と言っていいでしょう。何一つ理解できない話、意味が分からないシーン、最高にキマっている(クスリが)アニメーションの数々が多重に絡み、もつれ合って、最終的には訳が分からないまま、人の涙さえ誘ってしまうという、得体の知れない映画――それが本作です。
 ただただ、本作は言ってしまえば「斉藤和義歌うたいのバラッド最高じゃね? マジ最高! やべーわこの歌!」って言いたいだけの映画なのですが、その最高じゃね?と言いたい気持ちをひたすら詰め込むと、ここまでおかしい映画になってしまうのかと、湯浅政明の才能に驚愕するばかりです。

4位 スター・ウォーズ/最後のジェダイ

harutorai.hatenablog.com

 本作も実は「ルーのうた」とある意味では同種の映画だといえます。本作も、とにかく「フォースは偉大だ」と言いたいだけの映画なのですから、そして、そのフォースの偉大さを知らしめるために、ある一点の素晴らしい興奮のみに、映画の全てを委ねてしまっている作品なのです。
 しかし、だからこそ、自分は大きく評価したいです。ハッキリ言ってこんな映画は狙ってできる作品ではありません。というか、絶対、狙っていないです。ひたすら、奇跡によって、偶然出来上がった産物なのです。そんなものがスターウォーズシリーズの一つに入ってしまった――それだけで十分に素晴らしいではないですか。

3位 ブルーに生まれついて

harutorai.hatenablog.com

 いや、正直2017年のランキングの、しかもこんな上位に入れるのは心苦しいのですが……しかし、問答無用で素晴らしいので入れるしかありませんでした。これぞ、真のジャズ映画でしょう。自分はジャズを題材にした映画は(自分がそもそもジャズを志したものであることもあり)結構、鑑賞してきましたが、ここまで素晴らしいものは今まで見たことがありませんでした。
 本作はジャズの、音楽の大きな力と、そして、その大きな闇を描いているのです。素晴らしい音楽とはなんなのか、そこまでやって手に入れたものは果たして素晴らしいといえるのか――音楽に絡む、様々なテーマを巧みに暴いた本作をどうしても、音楽に生きたものとしてこの順位に入れたいのです。


1位 キングコング 髑髏島の巨神
1位 逆光の頃

harutorai.hatenablog.com

harutorai.hatenablog.com

 この二作だけは、どうしてもランキング出来ませんでした。どんなにジャンルが違おうとも、どこまでテーマが相反しようとも、安易に「全てを一位にする」などという選択肢を選ばず、なるべく誠実に順位を決めてきた本ブログですが、この2つは無理です。
 自分にとってどうしても思い入れが最高に強い二作だからです。オールタイムベストに間違いなく食い込む二作だからです。
 どちらの映画も、人によっては「そこまでかな?」と感じる人もいることでしょう。どちらもそこまで筋書きが良く出来ているわけではないからです。しかし、この二作の映画は筋書きなど忘れさせてしまう何かが存在しています。おそらく、今年の映画では群を抜いて素晴らしい撮影を見せ、美しいビジュアルをこれでもかと詰め込み、人物の細かい所作一つ一つにまで拘ったであろうことが伺える演出など、どちらも自分にとっては、なにか大きな指針となる、金字塔となりえる一作だったのです。
 キングコングはこれから怪獣映画の金字塔として、自分が他の怪獣映画を見た時の評価の指針にすることでしょう。
 逆光の頃はこれからのドラマ映画の金字塔として、自分が他のドラマ映画を見た時の評価の指針にすることでしょう。
 なので、この2つはどうしても、順位を選べないのです。

 

総評

 今年は、良い映画と良くない映画の落差が激しすぎでした。
 良い映画は、問答無用で傑作級の出来栄えであり、良くない映画はことごとく「なんでそうなるの?」と言いたくなるような微妙な出来栄え、あるいは明確な糞映画――そんな状況だったように思います。
 特に洋画がこの傾向にあったと思います。前評判を期待して観に行っては、肩を落として帰ってくることが当たり前になっていました。特に11月以降は酷かったですね。ネットでは無理して褒めているような文章がひたすらに並び、「君は名誉外国人になりたくて、映画を褒めているのか?」と問い詰めたくなったことも多々ありました。
 邦画も邦画で相変わらず酷い映画は作られ続けていますが……去年と同じような比率で面白い映画も作られていましたので、そこはまあ良かったのかなと。邦画も11月以降が不作ラッシュになっていたのが、本気で絶望しかけましたが。

 ともかくとして、今年の総括としては「数年前から自分が言っている傾向が相変わらず続いている」という感想がぴったりでしょう。このブログで2年ほど前から言い続けているように「洋画がだんだん落ちてきており、邦画が回復基調」です。
 この状況が続くと本気で、そのうちハッキリと洋画が見捨てられる時期が来てしまうと思うので、ここらへんで頑張って欲しいと思うのですが――「リブート・シリーズもの」商法がほぼ崩壊しつつあるのに、まだ飽き足りずに続けているところ、本当にヤバいのかもなぁと危機を感じる一方です。

映画感想:オリエント急行殺人事件(ケネス・ブラナー版)


映画『オリエント急行殺人事件』予告編

 恒例の手短な感想から

神アピールがうざすぎる

 といったところでしょうか。

 

 自分はこの映画が公開される前から、この映画の情報を聞いて、こんな感想を漏らしたことがありました。

 「え、ケネス・ブラナーが自分主演で、オリエント急行殺人事件を映画化とか、ケネス・ブラナー、正気なのか?」と。正気なのか?――というのは、巨匠であるシドニー・ルメットの傑作に挑むのは無謀だとか、アガサ・クリスティの名作を穢すなとか、そういう意味で言っているわけではありません。

 ひたすらに、これを自分で監督して、自分で主演するという「ヤバさ」について言っているのです。

 なぜなら、オリエント急行殺人事件は原作の時点で、ポアロにかなりの神格を授けている作品だからです。言ってしまえば、この作品におけるポアロとは「神様そのもの」だと言っていいです。

 12人の乗客は、キリスト教の12人の使徒のメタファーです。そんな、彼らの行った罪とその懺悔を聞き入れ、寛大な心を持って受け入れ、許しを与えられる存在――それは神様しか居ないでしょう。ポアロ=神だからこそ、そして、ポアロが許したからこそ、彼らの罪が問われることはない――それがオリエント急行殺人事件という作品なのです。

 

 ここまで読んでいただければ、ケネス・ブラナーに対して「正気か?」と思った僕の心境は理解できるでしょう。そうです。そんなオリエント急行殺人事件を、自分がポアロ役で演じるのを自分が監督する、ということは、つまり、自分で監督して神様を演じているということです。

 正気なのか、と思うのも当然です。

 ――で、そんな正気なのか?という疑問をいだきながら本作鑑賞しましたが……。

 

 見事に、ケネス・ブラナーの正気ではない、「俺は神様だ」アピールが充満した。なんとも恐れ多く、傲慢な作品が誕生していました。そういう意味で、この映画はすごいです。

 シドニー・ルメットやら、ドラマ版やら散々映像化されているオリエント急行殺人事件の映像化の中で、最も出来が悪いのは言うまでもありませんが、そんなことがどうでも良くなるほど、この映画にはケネス・ブラナーの「ポアロケネス・ブラナー)はGOD!!」というドヤ顔とナルシズムで充満しているのです。

 

 映画冒頭、わざわざエルサレムを舞台に、よりにもよって嘆きの壁で、挙句の果てに一神教の三大宗教・キリスト教イスラム教・ユダヤ教の敬虔な信徒を相手に、ポアロが推理と言う名の裁きを行うシーンを入れただけでも、十分を遥かに超えるレベルで「俺様は神様だ」アピール出来ているというのに、そのあとも、まあ次々と原作の隙間を縫っては「俺様は神様だ」ということを言いたいシーンが、出てくること、出てくること……まったくケネス・ブラナーが謙虚になる気配がないのです。

 映画冒頭からちょいちょい、出てくるゆで卵はイースターエッグなどのキリスト教の風習に由来するものですし、原作にある、ポアロ=神様を匂わせているセリフも――他のシーンとかはいい加減だったり、捜査のパートは虫食い状態の穴あきにしてるくせに――ここだけは、バッチリ原作どおりに入れていたり、と、この映画に追加されている要素の全てがケネスの「I am GOD」という自己顕示欲に満ちています。

 

 挙句にクライマックスの12人の乗客たちを裁くシーンは、どう見てもダビンチの「最後の晩餐」をオマージュしています。ここまでして、ケネス・ブラナーは「自分が神様だ」と言い張りたいのでしょうか。本当にどうしようもないと言わざるをえません。

 この傲慢な作品とケネス・ブラナーこそが、神に裁かれるべきでしょう。

 キリスト教徒でもなんでもない自分ですが、そう思います。

映画感想:スター・ウォーズ/最後のジェダイ


「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」本予告

 恒例の手短な感想から

あまりにも歪な傑作

 といったところでしょうか。

 

 正直、この映画は貶してしまう人の気持ちも理解できます。そういう評価があっても仕方ないものだろうな、とは思います。それほどにライアン・ジョンソンが奇抜なことをしてしまったのは、間違いがないからです。

 ライアン・ジョンソンは巧妙に、そして、露悪的にあえてこの映画の魅力を奥深くに隠してしまっているのです。そして、あえて魅力がないように見せかけているのです。

 実際、自分もこの映画の魅力に気づくのに、かなり時間が掛かってしまいました。

 少なくとも、前半まで「この映画は何がしたいんだ?」「なんだこの、ヘンテコなギャグだらけのやり取りは?」「ツッコミどころの矛盾点だらけじゃないか…」「ふざけているのか?」という、数々の文句が頭の中には絶えず浮かんでいましたから。

 

 だからこそ、文句を言ってしまう人たちの気持ちも理解できます。しかし、それでも自分は言いたいです。このスター・ウォーズ八作目は、冗談抜きで後世に語り継がれるべき傑作です。それほどに、強烈なワンダーを内に秘めた映画なのです。

 歴史上、こういう映画が最初に真価を見出されず、酷評されてしまうのはよくあることです。2001年宇宙の旅にしろ、羅生門にしろ、最初は酷評でした。しかし、この映画の奥底にある力は、確実にそんな酷評を後世で消し飛ばしてしまうことは間違いないでしょう。

 スター・ウォーズは、おそらくこれから後の世代にも、何代にも渡って見られ続ける映画だと思いますし、そうして、見た後の世代が、頭を抱えながら「とんでもない映画だ!」と喜び叫ぶことは、スター・ウォーズに対して頭の固い反応しかできなくなってしまった我々よりも容易いことだからです。

  

 ……実際、そういう未来が訪れるかはともかくとして、自分としては本作はそれくらいの傑作であると考えています。この映画は、前半まではあまりにも苛立つ物語になっています。観客にとっては何がなんだか分からない説明不足が続く上に、全ての登場人物が宙ぶらりんな状態で物語の中を漂っているために、余計にフラストレーションが半端ではないのです。

 挙句に、スター・ウォーズ内で神格化されていたジェダイ・オーダー、シス・オーダーという存在が、話の展開によってどんどんと矮小化されてしまうことに、なんとも言えない不快感を感じることでしょう。今作のスター・ウォーズは、異様に人間じみているのです。

 SFとファンタジーの合いの子である、スター・ウォーズの物語には似合わないほどに登場人物や、舞台背景に生活感があり、かなり幻想感が薄れているのです。中盤のカジノシーンは特にそれを象徴しているものだと言えます。

 今までは、映画上には滅多に登場せず、せいぜい外伝の小説(それもファンによるSS)で語られる程度であった、スター・ウォーズ世界の経済状況を、本作はかなり具体的に描き出してしまっており、そのためにどうしても、今まではSFワンダーとファンタジーの、廃墟でさえも神々しい世界であったはずの、スター・ウォーズが急に自分の周りにあるつまらない路地裏になってしまったような感覚を覚えることだと思います。

 

 しかし、それらは実は「後半からの怒涛の展開のために用意された仕掛け」なのです。前述した、宙ぶらりんで異常に人間臭い登場人物たちは、映画のある象徴的な瞬間を境に、立場が次々とはっきりしていき、そして、善も悪も全てがギラギラと輝き始めるのです。

 そして、観客は「この映画はスター・ウォーズの最も基本的な思想に立ち返ろうとしている」ということに、無意識で気づいてしまうのです。

 スター・ウォーズの最も基本的な思想――それはライトセーバーと振り回すことでも、ジェダイという強い騎士の活躍でもないのです。

 それはフォースです。あの世界の運命論とも言える、巨大な力の流れ――森羅万象の全てがそれに従うという"フォース"の思想にこの映画は立ち返ろうとしているのです。

 

 先程、自分はジェダイ・オーダーとシス・オーダーが矮小化されている、と書きました。ですが、それは正確には違います。

 正確には、二つが矮小化しているのではなく、この八作目においては「フォースはジェダイ・オーダー、シス・オーダー程度の存在で捉えきれる、扱いきれるような、くだらないものではない」という考えが貫かれているだけなのです。

 言ってしまえば、今まで、ミディクロリアンだのなんだのという要素によって、散々に矮小化され続け、幻想性を失っていた「フォース」という概念の復権を、この映画は目指しているのです。そんな、つまらない説明なんかで測れる程度の存在ではないぞ、と。

 

 ある種、フォースを仏教の「空」的な概念にまで昇華させようとしたと言えると思います。フォース――それ自体が、あの世界にとっての運命を決定づけている概念そのものであり、その流れには誰も逆らえないのです。だからこそ、ルーク・スカイウォーカーの顛末に巨大な意味を観客は感じることができ、それを理解した観客はどうしても、この映画を評価してしまうのです。

 どこまで欠点があると分かっていても、そんな欠点などゴミにしてしまうほどの巨大な存在を、この映画は捉えようとしていることに気づくからです。

 だからこそ、自分はこの映画を「あまりにも歪な傑作」であると考えています。

映画感想:ゴッホ 最期の手紙


映画『ゴッホ ~最期の手紙~』日本版予告編

 恒例の手短な感想から

素晴らしい!

 といったところでしょうか。

 

 実のところ、全編に渡って油絵を使ったアニメーションというものは斬新というわけでもないのです。本作、「ゴッホ ~最期の手紙~」は、ゴッホがなぜ自殺に至ったのか、その最期を解き明かしていくミステリー劇なのですが、同時に本作は「全編に渡って油絵を使ったアニメーション」でもあり、そのことで一部で話題になっていました。

 確かにアニメーションにおいて、線画ではなく油絵を使うというのは珍しい手法ではあります。ただ、冒頭にも書いたとおり、実はそこまで斬新な手法でもないのですが……。

 

 例えば、自分の知っている映画ならば「春のめざめ」というアニメーションなども全編が油絵によって作られている映画です。むしろ、純粋に油絵のアニメーションとして完成度を見てしまうと「春のめざめ」の方がクオリティの高い一面があるのは認めざるをえないでしょう。

 色彩が特殊な上に、モダンアート独特の、立体感がなく、少し崩れているパースであるゴッホの油絵は、パース・立体感や色彩を重視せざるを得ないアニメーションにおいては、どうやっても相性が悪いからです。なんだか学芸会のカキワリのような背景に、立体的な訳者たちが、無理やりVFXで合成されているかのような印象を覚えるシーンも多々あります。

 

 しかし、それでも本作は素晴らしい作品でした。なぜかといってしまえば、「だって、この映画はゴッホを描いた映画だから」という一言に尽きるでしょう。ゴッホを描くのだから、多少無理があったとしても全編を油絵で貫き通すことには、上記のマイナス面を補って余りあるほどの大きな意味と意義があります。

 ましてや、この映画は一人の主人公を中心として、ゴッホの生きた人生を観客に追体験させるような内容となっています。であるならば「ゴッホにとって、この世界がどう見えていたか」を示す、彼の諸作品群は、まさにうってつけでしょう。

 諸作品群をオマージュしたアニメーションは、間違いなく、観客にこの上なく「ゴッホの感覚」を、言葉なしで伝えてくれるのです。

 

 また、この作品は物語自体も非常に良く出来ていました。話自体は言ってしまってはなんですが、ある種、古典的なミステリー劇であり、目立って変わったところもないのです。

 しかし、主人公を「ゴッホとそれほど親しい人でもない、噂ぐらいでしか聞いたことがなかった人」に設定した効果は凄まじいものがありました。なぜなら、現在の人々と、その主人公の、ゴッホに対する立ち位置はまさに一致しているからです。

 観客も「ゴッホとそれほど親しい人でもない、噂ぐらいでしか聞いたことがなかった人」なのです。だからこそ、この映画の「あまりゴッホのことを知らない人が、ゴッホのことを少しずつ知っていき、共感していく物語」に、観客は強く没入させられてしまいます。

 

 そして、その強い没入感の中で、観客はゴッホの人生を追体験するわけです。

 ここまでやられてしまったら、当然、本作が素晴らしい映画であることを認めるしかないでしょう。

11月に見た映画

チャーリー・モルデカイ 華麗なる映画の秘密

 ・猿の惑星:聖戦記


映画『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』予告編

山本エリ「復元可能性ゼロ」と化す

 ・血まみれスケバンチェーンソー

KUBO/クボ 二本の弦の秘密


『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』本予告  11月18日(土)新宿バルト9ほか全国ロードショー

 

 

以上、5本になります。

記事数も2本と激減……いやーなんていうか、11月はあまりにも見たい映画が無さすぎて、まったく見る気にならなかったんですよね。実は、そういう状態の人、僕以外にも多かったんじゃないでしょうか。

邦画も洋画もズッコケ大作ばっかりが、ここまで並ぶ月って珍しいです。

12月も期待作が少ないんですけどね……。

映画感想:KUBO/クボ 二本の弦の秘密


映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』予告編

 恒例の手短な感想から

良い映画だけど、色々が雑

 といったところでしょうか。

 

 ライカは「コララインとボタンの魔女」で有名になった、アニメスタジオです。CGかと見間違うかと思うような、高いクオリティのストップモーションアニメを製作することで有名な会社であり、実際、前述の「コララインとボタンの魔女」は自分としてもお気に入りにしている映画の一つです。

 そのライカが、久々に新作を出すということで一部で話題になっていたのが、本作「KUBO」です。まるで日本人の名字のようなタイトルからも察せられるように、KUBOはジャパンテイストを織り込んだ、和洋折衷の風景や登場人物、物語が描写される映画になっており、それなりの前評判も聞かれる映画でした。

 当然、自分も強い関心を持って映画館へと足を運んだのですが……。

 

 鑑賞後、うーん、と唸りながら映画館から自分は出てこざるをえませんでした。アニメーションが良くないとか、そんなことを言うつもりはありません。本作はアニメーションとしては素晴らしい出来でした。

 折り紙を用いた自由なイマジネーションは、それだけで感嘆に値するものがありますし、途中のがしゃどくろ的な巨大な骸骨が襲ってくるシーンなどは、大変に面白いのです。

 

 背景や設定に関しても申し分なしで、幼い頃にNHKの人形劇で見たような、古典的なおとぎ話をいくつも重ねたような設定と舞台美術は、思わずグッとくるものがありました。特に序盤のKUBOと母親の描写などは、見事で、あれだけで観客を完璧に物語に引き込むことに成功しています。

 

 思ったほど感動しなかった、などと言うつもりもないのです。この映画は十二分に感動できるラストがあります。詳しくはネタバレになってしまいますが、結構、既存の物語を逆手に取ったラストを選んでおり、意表を付かれるような良いオチが用意されています。

 

 しかし、それでも、この映画を掛け値なしで誉めるのは、少し無理があるのです。この映画には巨大すぎる欠点がいくつも存在しているからです。

 まず、なんといっても、全体的にチグハグすぎる出来となっているのが問題です。

 この映画のチグハグさをよく象徴しているのは、クボの母親でしょう。序盤では軽くクボへのネグレクトさえ感じさせる描写さえあった彼女が、とあるシーンからは普通の良き母として描かれ始め、最終的に素晴らしき母親にいつの間にかキャラクター像が摩り替えられてしまっています。

 別に母親像が、聖母的なものである必要性などありませんが、本作のように、最初は呪いにでも掛かっているのか、支離滅裂で狂気しか感じさせなかった異常な母親を、なんの説明もなく、良き母に摩り替えてしまうのはどうでしょうか。

 

 この作品、全編に渡ってこの調子なのです。さっきまでの説明や、さっきまでの作品の雰囲気等々とまったく合わないーーどころか、正反対のことを平然としているシーンが多すぎるのです。

 例えば、厳かな和風テイストのいかにもおとぎ話のような話にも関わらず、登場人物たちがアメリカンすぎるリアクションを取り出したりといった具合です。

 音楽もそういう意味で酷い出来であり、主人公のクボが三味線を弾いて戦っているシーンで、なぜか大音量のオーケストラを流して、三味線の音をかき消していたりと、肝心の設定をまったく活かせておらず、宝の持ち腐れになってしまっているのです。

 

 そして、なによりも本作は色々な部分が雑です。

 特に酷いのはクボの両親の顛末です。急に敵が衝撃の事実を明かしたと思ったら、次の瞬間に物語から即退場はどう言い訳しても雑ですよ。もうちょっと引っ張って、クボに両親との思い出を作らせるなりしてから退場、という運びにしないと、悲しみも何もなくなってしまいます。

 

 実はライカ、この前作である「パラノーマン ブライスホローの謎」でも、この傾向あったんですよね。若干、話運びが雑で、急にさっきまでの雰囲気をぶち壊すようなことをやりだすシーンはいくつかありました。

 それが余計に本作では酷くなっているのです。

 

 正直、この意味不明な作劇方法論は、本作が限界ではないかと思います。本作は辛うじて良い映画になっています。しかし、これ以上、同じことをやったら、目も当てられない駄作を作ってしまうのではないでしょうか。

 ライカの次回作は要注意かもしれません。

映画感想:猿の惑星:聖戦記


映画『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』予告編

 恒例の手短な感想から

良かったけど、詰め込みすぎ感はある

 といったところでしょうか。

 

 まあ、冒頭のこの一言に尽きるかなと思います。本作「猿の惑星:聖戦記」は、本当に詰め込みすぎの一作でした。

 もともと、一作目の「猿の惑星:創世記」の時点でいろんな映画の要素が混ざり合っていた、新しい猿の惑星シリーズですが、三作目である本作は更に、様々な映画のオマージュなどが、事細かに詰め込まれています。

 

 詳しく書いてしまうと映画のネタバレになってしまうのですが、おそらく、だいたいの映画ファンが序盤の復讐から始まっていく物語の展開や、どことなくドライな描写での銃撃戦に「西部劇映画」や「時代劇映画」を思い浮かべたりしたはずです。

 なおかつ、中盤辺りからは雪化粧の森林を馬で駆けていく撮影等々、ファンタジー映画を思い出すような描写、キャラクターが出てきたりもするのです。なおかつ、荒廃した建物の様相にどことなく「ポストアポカリプスもの」のSFを想起させる描写も入り込んできます。*1

 つまり、中盤の時点でも既に「復讐劇で、西部劇・時代劇的設定から、ファンタジーそして、ポストアポカリプスへと変遷していく映画」なわけで、この時点でも十分なほどにお腹いっぱいの映画なわけですが……。

 その上、この映画はここから先も次々と「違う映画」の顔貌を見せ、変化していくようになるのです。それは一作目でも見られた「監獄もの映画」を踏襲するような内容でもあり、「受難劇」を連想する内容でもあり、はたまた「神話」を連想する内容にもなっていきます。

 メタファーも数知れず、とあるシーンは、スタンリー・キューブリックの「某共和制ローマ映画」を彷彿とさせる描写となっていますし、あるシーンは「キリスト教ユダヤ教の歴史を勉強しているような」気分にもなってきます。

 

 それくらいに、いろんなものをギュウギュウに詰め込んでしまった映画が、本作なのです。だからこそ、実は本作の評価は非常に難しいです。あまりにもジャンルを混ぜすぎていて、なおかつ、その一つ一つの方向性が違いすぎるゆえに、映画全体として見た場合に、この映画をどう評価すれば良いのか戸惑ってしまうのです。

 

 少なくとも、自分に確かに言えるのは、本作はどう見ても映画の尺が短すぎるということです。

 前述した、様々な映画の要素たちなのですが、これらはわりと「あっさりとした味」で、煙のように出てはふわりと消えていってしまうことが多いのです。例えば、マカロニウェスタンの西部劇的な描写が一瞬入ったかと思えば、次のシーンではまた違う種類の西部劇的な描写がまた一瞬だけ入って――といった具合なのです。

 話自体も無理に詰め込んでいる印象を拭えず、事実、さっき張った伏線を、3分後には回収してしまっているようなシーンも散見されます。

 普段は、映画の尺は短ければ短いほどいい、と考えている自分ですが、さすがに本作のような映画に関しては「もっと尺が長い方が良かった」と言わざるをえません。なんなら、間にインターミッションを挟んで前後編合わせて3時間半くらいの尺があっても構わないくらいです。

 

 実際、この映画はそういう「大作映画と言えばインターミッションを挟んでいた時代」の映画から薫陶を受けた箇所も多く見受けられる作品です。近年の流行りには逆らうかもしれませんが、作り手としては、そういったものに仕上げたかったのではないかと。

 

 ここまでこの映画の欠点を書き連ねてしまいましたが、最後に言わせていただくと、それくらい自分にとってこの映画は「惜しい」気持ちがいっぱいなのです。

 撮影や美術はまったく悪くなく、話の筋書きもよく考えられており、編集もかなり優秀であるこの映画の作り手たちにとって「二時間ちょっと」という尺の舞台は、まさに正しい意味で役不足だったのだと考えているからです。

 次回作で、それくらいの大作をぜひ作っていただきたいなぁ、とそう思っているのです。もちろん、経済的に無理があるかもしれませんが……。

*1:「ポストアポカリプスもの」なのは、本作が猿の惑星なので、当然の話かもしれませんが……。

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