儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:犬ヶ島


野田洋次郎も参加!ウェス・アンダーソン最新作『犬ヶ島』日本オリジナル版予告

 恒例の手短な感想から

ウェス・アンダーソンと日本芸術の相性の良さよ!

 といったところでしょうか。

 

 ご存知の方も多いと思いますが、ウェス・アンダーソン監督といえば「常に登場人物がカメラに対して真正面の角度で、まるで子供が描いた絵のように並んでいたり、かと思えば、ずっと真横を向いていたりする、特異なカメラワーク」「そして、小説のように常に章仕立てで区切られている筋書き、奇妙だったり、シュールだったりする登場人物たちのやり取りや、人物設定」等々、いかにも芸術映画といった趣の、ヘンテコな映画ばかりを撮っていることで有名な監督です。

 自分も彼の諸作品のいくつかを鑑賞しているのですが、思わず「これはないだろう」と言いたくなるような映画もあれば、「これは素晴らしかったなぁ」と言いたくなる映画もあったりと、良くも悪くも癖の強い監督なのです。

 

 そんなウェス・アンダーソン監督の新作を久しぶりに見に行くとあっては、不安になってくるのも当然でしょう。正直、あのアクの強すぎる作品を、今の自分は普通に鑑賞できるのだろうかと。あの独特な作品に対して、もっとこうチューニングを合わせないとダメなのではないかと。途中でつまらなくなったりするのではないかと。

 

 で、観に行った「犬ヶ島」の感想になりますが、意外と普通に鑑賞することが出来ました。

 

 といっても、ウェス・アンダーソン監督作品の中でも、本作、「犬ヶ島」は、相当にアクが強い方の作品だとは思います。それどころか、今までのウェス・アンダーソン過去作と比較しても、だいぶウェス・アンダーソン成分が濃い方であるのは間違いないでしょう。

 今まで以上に頑なにカメラに対して真正面で立っているキャラクターたち、意地でも画面の中心にキャラクターを置こうとするカメラワーク、頭に小型飛行機の部品が刺さっている主人公などのシュールすぎる設定、ストップモーションアニメーションを活かしたケレン味溢れる動きの数々ーー特濃に煮出されたウェス・アンダーソン成分でかなりお腹がいっぱいになる作品です。

 

 しかし、それでも、自分が「アクが強すぎて、こんなもの飲み下せるか」と思わなかったのは、題材として、日本文化が使われていたからでしょうか。本作、「犬ヶ島」は俳句や日本の童話や、日本の昔の人形劇などが、かなりオマージュされている作品なのですが、意外とこの「日本文化・日本の芸術」というものが「ウェス・アンダーソン監督の映画作品の芸術性」と、いい相性で混ざり合っているんです。

 考えてみれば当然かもしれません。日本の芸術といえば、リアリズムを極力に排し「様式美」という究極的な記号によって高められた芸術なのですが、ウェス・アンダーソン監督の諸作品もかなりリアリズムを排し、記号的な表現が使われることが多いからです。

 

 例えば、実際、本作では、アクションシーンは、すべて昔のアニメのようなモクモクの煙に登場人物たちの手足が出るだけという表現で統一されています。

 普通の映画ならば、ここぞと、カンフーやらボクシングやら、関節技やらが混ざり合ったカッコいいアクションを入れるところを「アクションが起こっている・人が戦っている」という記号だけを入れて済ませているのです。

 

 このような「高められた記号的な表現の芸術」という意味でウェス・アンダーソン監督の作品と日本芸術という題材は極めてマッチしているのです。

 おかげで、少なくとも日本人である自分にとっては大きな違和感もなく、本作を鑑賞することが出来ているのかな、と、そう思います。

映画感想:いぬやしき


『いぬやしき』予告編(特報予告)/シネマトクラス

 

 恒例の手短な感想から

物足りなくもあるが、悪くもなく

 といったところでしょうか。

 

 まあ、次作の出来がこれだったことを鑑みると、「アイアムアヒーロー」はそこまで偶然で出来上がった作品でもなかったんだなぁと、納得出来たことがこの作品の最大の収穫かもしれません。

 それくらいには、悪くない出来の映画です。欠点が多すぎて、とても手放しで褒められない出来なのも事実ですが。少なくとも、原作・アニメをそこまで知らない自分からすると、それなりに本作は楽しめました。

 

 宣伝文句であった空中戦やアクションシーンも、なかなか素晴らしい出来で、アニメや漫画では描いたところで「大したアイディアじゃねーや、これ」と思えるような陳腐なアクションの絵面も、実写映画で、佐藤健木梨憲武がやってるせいで、妙にセンスオブワンダーがあり、心惹かれるモノがありました。

 これだけでも、この映画を見る価値はあるかなと思います。そういう意味では、アメコミ映画のアントマンにちょっと存在意義が近い映画かもしれません。普通の戦闘シーンなんだけれども、状況がおかしいので新鮮味があるという面白さです。

 

 そこの魅力を十分に引き出せているだけでも、本作が及第点をなんとか越えたことは間違いないでしょう。映画にする意味はちゃんとあったわけですから。

 

 ただ、とは言っても、邦画の予算範囲では一部のアクションには物足りない部分があるのも事実でしょう。また、そういった面を考慮しないとしても、人物ドラマがかなりスカスカであることは否めないです。

 特に主人公である犬屋敷家の、ステロタイプとベタで塗り固めたような家族像は、共感しろと言われても無理でしょう。作り物のような描写が多くーーかつ、そのわりに妙なところでリアリティを出そうとしているアンバランスさが、ハリボテとしか言い様のない家族像を作り上げてしまっています。(この映画でギャグっぽい家族像にされても困る気はしますが)

 

 途中、かなり唐突に物語が展開してしまうシーンもあり、ドラマ部分は「肝の部分さえ描ければどうでもいいや」という考えで作られていることは明白です。肝とは、前述したアクションシーンと及び「そのアクションシーンに至るまでの過程」のことです。

 「なぜ主人公は、戦うに至ったのか」「なぜ悪役は、戦うに至ったのか」

 明らかにこの映画のドラマ部分は、この二つを描ききることだけを前提につくられており、逆に言うとそういう映画の作り方を許容できる人でないと、本作を楽しむのは難しいと思われます。

 

 自分としては、アクションシーンが楽しめましたし、こういった「肝ができてりゃ、細かいことはいいんだよ!」という作り方も嫌いではないので、普通に面白かったですが。

映画感想:孤狼の血


映画『孤狼の血』WEB限定特報

 恒例の手短な感想から

ミス・キャスト感、半端ないんだけど!これ!

 といったところでしょうか。

 

  映画を見た人の評判によると、本作、久々の本格的な実録もの映画ということで、気になって観てきました。はい。本作、確かにかつての実録もの映画の趣をかなり取り入れている一作と言って構わないと思います。

 もちろん、最近の映画でもヤクザ映画は、まだ僅かながら生き残っている状況ではあります。アウトレイジシリーズや、本作の監督、白石和彌が二年前に撮った「日本で一番悪い奴ら」などが代表的な例です。

 しかし、本作はそれら最近のヤクザ映画とは明確に一線を画するところがあります。

 それは、本作は「本当に古い実録もの映画の再現」を本気で狙っている作品だからです。カメラ、演出、演技、筋書き、それら全てが異様なほどに古く感じるように作られており、かつて斜陽になりつつあった映画業界で、威光を見せた実録ものというジャンルを回顧するような内容と言って過言ではないです。

 

 砕けて言ってしまえば、本作はこの上なく、かつてのヤクザ映画を完コピしにきている作品なのです。

 

 本作と比べると、アウトレイジも日本で一番悪い奴らも、現代的な映画の感覚が取り入れられている作品であることがよく分かると思います。それほどに、本作が採った演出の方針は、良くも悪くも懐古的なのです。

 このような作品が、シネマコンプレックスで普通に公開されているところ、時代も随分と移り変わったのだなぁと実感せざるをえません。まず、間違いなく、90年代、00年代では、こういった映画はシネコンで公開されることはなく、個人経営の小さい映画館が流すのがせいぜいでしたから。



 もちろん、そんなかつての実録ものを顧みた本作ですが、それが映画自体の出来に結実しているかというと、微妙でもあるのですが。

 まず……面白かったことは面白かったと明言しておきましょう。本作、つまらなくはないです。少なくとも、1800円払ってこれが見られるならば十分だと言えるクオリティなのは間違いないです。

 ただ、当たり前ですが、実録ものが流行った時代とほぼ息絶えている現在では、どうしても埋まらない溝というものがあります。

 

 まず、一番なんといっても無理が目につくのは、役所広司です。彼がヤクザ紛いのガラ悪刑事を演じること自体に、もうちょっと無理があるのです。当然、今までの役柄のイメージからすれば、役所広司は「いかにも役所広司っぽい演技」というものを抑えなければいけません。

 が、役所広司がこれをまったく抑える気配がないのです。おかげで、彼の演技がただの"ガラ悪刑事のコスプレ"にしか見えません。

 

 主役の演技でさえ、こうなってしまっているのですから、他も推して知るべしで、この「演じているというよりは、コスプレしてる感じ」──つまり、コスプレ感が本作に微妙に横たわっている問題点です。

 役所広司に限らず、あの人この人、どの人もコスプレっぽく見えてしまう瞬間が一回は必ずあるのです。特に男性陣のこれが酷くて、なんだか、絵面が間抜けに見えてしまったり、コント番組を見ているような錯覚に陥る場面も若干あるのです。

 まあ、当然と言えば当然ですね、一方の組を取り仕切る黒幕が石橋蓮司、その配下の組長が竹野内豊、対立する組の若頭が江口洋介では「お笑いのコントじゃねぇんだぞ!」と言いたくなるのが道理です。

 せめて、彼らがちゃんと「彼ららしくない演技」を徹底してくれれば感想も違ったと思いますが……。

 

 以上のとおり、本作のネックは「演技」です。

 それ以外にも筋書きが微妙に矛盾している点なども気にはなるのですが……許容範囲かなと。

 

 貶してしまった本作の「演技」についてですが、あえて言うなら、本作の松坂桃李の演技は「こいつ、意外と普段の甘い顔に似合わねぇ表情見せるなぁ……」と思わせるようなモノがありました。

 なにかの拍子に、ふっと顔から表情がなくなって、目が据わるあの感じは得体の知れない迫力があったなぁと。実はこの人、「マジ」な人なのかなと思えるなにかがありました。

 

 ただ、松坂桃李の役って「正義感溢れる、まだまだ青二才の新人刑事」のはずで、あんな正義にベクトルが振りきったサイコパスみたいな迫力があったらダメだろう、とも思いましたが(苦笑)

4月に見た映画

リメンバー・ミー


映画『リメンバー・ミー』日本版予告編

ボス・ベイビー


『ボス・ベイビー』日本語版予告編

パシフィック・リム:アップライジング


『パシフィック・リム:アップライジング』日本版本予告

・ゾンビ・ガール

ゾンビ・ガール(吹替版)
 

・ トライアングル

・ ハウンター

ハウンター(吹替版)
 

・ レディ・プレイヤー1


映画『レディ・プレイヤー1』15秒CM(大ヒット編)大ヒット上映中

 

以上、七本が4月の鑑賞映画でした。鑑賞本数少ない代わりに、ものすごく映画館に足を運んだ一か月で、4月だけは新作映画を4本も見ています。それくらい、最近は期待作が多かった月でした。

映画感想:レディ・プレイヤー1


映画『レディ・プレイヤー1』30秒予告(遺言編)【HD】2018年4月20日(金)公開

 恒例の手短な感想から

んー。スピルバーグ大親分に一言……最高ッッッ!

 といったところでしょうか。

 

 公開前から「スピルバーグが世界中のポップカルチャーを集めた映画を作っているらしい」と話題持ちきりだった本作。

 しかも、最近のスピルバーグ作品ではかなり珍しく、"王道の痛快娯楽作になる"との話を聞いていて、どんな出来なんだろうかと不安と楽しみが入り混じりながら、多くの人が待ち望んでいたことだと思います。

 

 結果から言ってしまいましょう。

 本作は、最高です。

 

 実のところこの手のクロスオーバー映画というのは、珍しくなく――というか、身も蓋もないことを言ってしまえば、クロスオーバーは誰でも考えつく陳腐なアイディアなので――近年でも「シュガー・ラッシュ」やら「ピクセル」などの作品がありますし、それ以前にも多くのクリエイターがクロスオーバーに挑戦してはいたのです。

 ただ、どの作品もこの「レディ・プレイヤー1」に叶うことは決して無いでしょう。レディ・プレイヤー1」は、クロスオーバー系映画として、今後大きな金字塔となり得るほどの作品です。

 

 今までのクロスオーバー系映画は「言っても元ネタの再現度がいい加減」だったり「実は、原作を完全無視して、映画の筋書きにとって都合がいい設定に書き換えている」ことが多かったものでした。

 ですが、本作「レディ・プレイヤー1」はさすが、オタク総本山の大親分・スティーヴン・スピルバーグと言うべきか、全ての作品への再現度が半端じゃないほど高いのです。

 

 途中、パロディとして使われる某有名ホラー映画*1のシーンの再現度はもちろんのこと、あの有名アニメ映画のあれ*2とか、あの有名FPSゲームのあれ*3とか、登場人物同士のセリフで出てくるナードなネタとか、終始、画面にちょこちょこと出てくるだけだった、Overwatchのトレーサー*4でさえも「これ、本物のトレーサーじゃん!」と思えるくらいに完璧に再現しているのです。

 

 そして、そんな完璧に再現した各ポップカルチャーたちを、「オアシス」という舞台の上で、シュールなまでに、ごった煮にしてしまうのです。それは最高に決まっているでしょう。

 最近、VRchatなどで好きなアバターを使ってVRで交流する遊びが一部で流行っていますが、本作の「オアシス」の絵面は、まさにアレが更に発展したような内容となっており、冗談抜きで「現代の感性」を実に見事に切り取っていると言えます。*5

 また、このごった煮具合も素晴らしく、元ネタのゲーム、映画、アニメが分かっている人ならば、腹を抱えて笑うしかないほどに無茶苦茶なことになっています。本作のクロスオーバーは「パロディとして、最高に笑える品質」なのです。

 

 キャラクター同士のやり取りで出てくる、ナードなネタに関しては原作者で脚本にも関わったアーネスト・クラインが齎したものかな、とも思うのですが、*6そうだとしても、ここまでキッチリ再現させられたのはスティーヴン・スピルバーグ自体の力量によるものも大きいと考えられます。

 ハッキリ言ってスピルバーグ大親分、感性がとても若いです。

 

 更に年の功であるスティーヴン・スピルバーグはただ若者の感性に共感するだけでなく、その感性に対して、年長者として諭すような視点も本作に多く織り交ぜているのが、また素晴らしいです。おそらく、これはいかにも、こういう映画を撮りそうな若手映画監督では絶対に出来なかったことでしょう。

 特にそれを象徴するのが、実は現実世界パートでの描写にあります。現実世界パートでの画面……この上なく、70年代80年代のSF映画っぽいんですよね。いえ、画面がそれっぽいだけでなく「わざわざフィルム撮りして、若干荒い画質」にするほどの徹底ぶりで、かつてのひたすらにドキドキ・ワクワクした子供向けSF映画の傑作たちを思い起こさせるような、画面にしているのです。

 

 ストーリー自体もひねくれているところがなく、純真な心を思い出してほしいという作り手のメッセージがストレートに伝わってくる内容となっており、上記の「ひたすらワクワクするだけだったSFの映画」のような画面と相まって、大人の自分でさえ、なんだか、懐かしい気持ちを思い出してしまうのです。 

 最近、冷笑的な視点が多い世の中へ一石を投じようとしていることは間違いないでしょう。*7

 夢です。そう、この映画にはとても夢が詰まっています。夢いっぱいの心で見た、少年時代の自分が、この映画にはまだいるのです。

 その上で、本作のクロスオーバーで「まさか、あの作品とあの作品の、アレが同じ画面で闘ってるなんて!」という夢の共演を次々と果たしていくわけです。

 最高に決まっていますよ。子供の頃の、純真な気持ちにわざわざ観客を戻した上で、その子供の頃に見たかった「夢の光景」をこれでもかとこの映画は見せつけてくるのです。本作のクロスオーバーは「夢として、最高に感動できる品質」なのです。

 

 だからこそ、本作はクロスオーバー系映画の金字塔となりえるのです。

*1:ネタバレすぎて言えないです

*2:ものすごいネタバレだから言えるわけがないです。まさか、映画の冒頭からアレが出てくるとは

*3:これもネタバレなので……。あのシューターゲームシーン、全然違う2つのゲームが混ざってるから凄いことになってるんですけどね

*4:これくらいは、ネタバレしても大丈夫ですよね? そこまでトレーサーは重要な役割で出ないですし

*5:余談ですが、本作のいろんな物がごった煮状態でパロディされていて、で、なおかつそれが異様にシュールという作品……最近、どこかで見たことあるよなぁーと思っていて気づきました。それ、ポプテピピックじゃん、と。だから、本当に「オアシス」の姿って、今の若者の感性そのものなんです。

*6:アーネスト・クラインは、ファンボーイズという映画の脚本も手がけているのですが、これも終始いろんな映画のナードな小ネタが散りばめられている一作でした。

*7:前脚注のポプテピピックなんて、まさに冷笑的な作品です(笑)

映画感想:パシフィック・リム:アップライジング


『パシフィック・リム:アップライジング』日本版本予告

 恒例の手短な感想から

このスケール感とこの熱の温度が決め手(欠点として

 といったところでしょうか。

 

 巷ではあまり良い評判を聞かないというか、「思ったよりはマシ」「でも、まあ嫌いな人もいて仕方ない」といった方向の評判が多い、パシフィック・リムの続編ですが、困ったことに自分もまったく同じ感想を抱いてしまいました。

 確かに本作、「思ったよりかはマシ」なのです。しかし、かといって最高の出来かというと程遠く、「これはある程度貶されるのも仕方ないよなぁ」と納得するしかない作品でした。どうやらパシフィック・リムという映画も、他のハリウッド映画と同じく「シリーズを重ねれば重ねるほど微妙さがどんどん浮き彫りになっていく宿命」を背負ってしまっているようです。

 

 特に本作は、製作の段階で大揉めに揉めて色々転じて、出資する国ごと変わってしまって、配給する映画会社も一新されてしまったので、なおのこと仕方ないことかもしれません。監督も、ギレルモ・デル・トロから、NETFLIXのよく分からない監督へと継承され、ここまで色々変わってしまっては、雰囲気が大幅に変わってしまうのも仕方のないことでしょう。

 

 ただ、雰囲気が変わったにしては良い出来ではあります。特に本作で改善が見られたのは人物ドラマについてでしょう。稀に本作を人物ドラマの観点から貶そうとする人がいますが、それは明らかに本作を的確に評せていません。

 本作、アップライジングは、間違いなく前作よりも人物ドラマの部分は良くなっております。ハッキリ言って、前作のパシフィック・リムは人物ドラマという観点では、かなりいい加減な作品でした。

 登場人物の言動は、終始、その場その場でスタンスが変わって、ちょっと前のシーンと正反対の行動を取りまくっていたり、登場人物大半を最終的にイイ人にしてしまおうとするギレルモ・デル・トロ特有の作風も重なって、「いやいやいや、おかしいでしょ」と言いたくなるところが満載でしたから。

 本作の、明らかに出資元の国への目食わばせで、急に活躍の場面をねじ込まれた感が強い中国企業描写を加味しても、明らかに本作の方が矛盾点が少なく、ちゃんと登場人物たちの設定等を練り込めています。

 この点はとても良いのです。

 

 が、問題は「人物ドラマが良くなってもなぁ……」というここにあります。人物ドラマが良くなっても、なぜ、「それでもなぁ」という評価になってしまうのか、それは簡単で本作がパシフィック・リムだからです。

 

 当たり前ですが、前作のパシフィック・リムがどんなに人物ドラマが支離滅裂でも、多くの人から支持されたのは「そこが本題ではないから」です。怪獣とロボットが戦うというコンセプトが全ての映画であり、そこが最高だから評価されたわけです。

 

 で、なによりも本作はそこが微妙な出来で収まっているのです。

 ハッキリ言って、ロボットSFとして本作は面白くないのです。本作のロボット描写は全体的に「ロボットアニメのそんなに重要じゃない回だけど、ちょっと盛り上がってる回で出てきそうな感じの温度の戦闘」という形容が合っているかもしれません。

 テッカマンブレードに対してのテッカマンブレード2的な扱いと言いますか。とにかく「こんな御大層な続編映画でやる内容じゃない」と言いたくなってしまうレベルの――「これなら、それこそ、NETFLIXで60分くらいの番外編として放送すりゃいいじゃん」と言いたくなるレベルの――創意工夫と熱意と盛り上がり具合であるのが、この作品の最大の問題点となっています。

 早い話が、続編なのにスケールダウンしているのが問題なのです。

 

 このスケールダウンを良く象徴しているのは、登場するロボットと怪獣たちです。どちらもデザイン的にも、戦闘スタイルとしてもバリエーションが感じられないのです。というか、ハッキリ言ってロボットは全部同じにしか見えませんし、怪獣は全体同じやつにしか見えません。

 前作のロボットは、一体ごとの差異が明確にあり、怪獣も一体ずつ異なる能力を駆使していましたが、そういった描写がなくなっているのです。しかも、ロボットと怪獣ともにデザイン自体、同じに見えるということを抜いて考えてもあまりセンスが良くありません。

 

 正直、本作はエヴァの紛い物と、ゴモラの紛い物が戦っているという印象しか残らないです。

 そして、何よりも本作は熱い展開がまったくありません。特にラストは冷静に考えれば、物を計算して落としているだけ、で、それで「いけー!」と言いたくなるかと言われると、勿論まったくなりません。

 

 そこが決定的に本作が貶されてしまう点なのです。

 

映画感想:ボス・ベイビー


『ボス・ベイビー』すべて日本版予告 (2018年)

 恒例の手短な感想

なにこれ。感想に困るんだけど…

 といったところでしょうか。

 

 意外と世の中には知られてないものの、ディズニーやイルミネーションの3Dアニメーション映画と同じくらいのペースで出続けているドリームワークス製の3Dアニメーション映画ですが、久々に新作が世の中でちょっと話題になっている気配があったので見てきました。

 本作、ボス・ベイビー

 ワーナーブラザースで作っていた3Dアニメーション「コウノトリ大作戦」が好評*1だったことを受けて、ドリームワークスが二匹目のドジョウで狙ったのが本作なのでしょうか。

 

 ただまあ、そんなことは本作ではどうでも良い話です。それ以上に本作を鑑賞した大概の人はこう思ったことでしょう。

「なんじゃこりゃ」と。

 自分も予告編や話のあらすじなどから想像される映画の内容と、本編のあまりの乖離に終始、絶句していました。本作、あまりの出来に呆れるとか、怒るというよりも、戸惑いが強すぎてどう反応したらいいのかよく分からないのです。

 決してクオリティが低いわけではないのですが、本作、あまりにもやってることがおかしすぎるのです。演出、話の構成、カメラワークに至る全てが異様です。一つ画面内で複数の時系列が同時に進行したり、話がヘンテコな入れ子構造になっていたり、とにかく、子ども向けのアニメにしてはやたら難しい内容になっているのです。

 

 なぜこのように難しい内容になってしまっているかというと、理由はこの映画の本編中にも言及されていますが、本作の主人公が「かなり妄想癖のある男の子」であるからです。この、子どもの妄想している視点で話が紡がれているために、終始、物語全体が異様にシュールな内容となっているのです。

 しかも、妄想している世界の中で、更に主人公が妄想しているシーンまであったりして、だんだん見ているうちに「えっと、この妄想は、妄想の中で妄想している妄想だったっけ? それとも、ただの妄想だったっけ? それとも現実の中で起こっている出来事だっけ?」と訳が分からなくなってくるのです。

 

 本作は言ってしまえば、デビット・クローネンバーグの「裸のランチ」とか、今敏の「パプリカ」が、子ども向けに、甘口にアレンジされたような映画と言えるでしょう。



 さて、ここまで読んだあなたはどう思ったでしょうか。

 きっと「で、そんな映画、誰に対してニーズがあるのか? ニッチすぎるのではないか?」と思われたことでしょう。まさにその通りで、この映画は誰に向けて作っているのか、サッパリよく分からないのです。

 裸のランチやパプリカのような映画が好きな人からすると、本作の若干難解な表現は「とは言っても、子供向けでまだまだヌルい」と感じる程度のものでしかありません。目新しい表現などでもないのです。

 そして、もちろん子ども向け映画としても、なにがしたいのかよく分かりません。ギャグは異様に大人向けで、なぜかインディージョーンズのパロディを始めたり、ブラックジョークを始めたり、子ども向け映画として明らかにおかしいのです。

 

 更に厄介なのが、だからといって本作「クオリティが低い映画」なのかというと、そうでもないのです。それなりには面白いのです。粗もありますし、クライマックス付近がいい加減だったりして、「ちょっとな」と言いたくなるところもありますが、貶すほどでもないのです。

 だから、つまらない映画でもないのです。

 しかし、誰かに向けて作っている映画でもないのです。

 あらすじや予告編を見て期待した観客を、悪い意味で裏切る出来なのも間違いないのです。

 

 そういう映画であり、つまりは、本作ほど悪い意味で感想に困る一作もないでしょう。

*1:主に、本ブログとかで↓

harutorai.hatenablog.com

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