映画感想:ドラゴンボール超 ブロリー
恒例の手短な感想から
最高! これを待っていたんだ!
と言ったところでしょうか。
「神と神」とか「復活のF」とか、あそこらへんの駄作は完全に忘れた状態で、ぜひ見てください!
いきなり、上記のような書き出しから始まってしまいましたが、本当に本作に関してはその状態で見ていただきたいと思います。本作、「ドラゴンボール超 ブロリー」を鑑賞するにあたって、過去作をちょっと見てみようかなとか、予習しなきゃいけないかなとか、そういう心がけは一切いりません。
本作、明らかに近年のドラゴンボール映画シリーズとは、根底から別物になっております。なので、「神と神」「復活のF」を鑑賞する必要性は一切ありません。というか、絶対、それらを見ないまま見たほうが本作は楽しいです。
それくらい、本作は冗談抜きで、かなり完成度の高い逸品となっています。
自分もうんざりするほど失望させられてきた、近年のドラゴンボール映画シリーズでしたが、今作は往年の素晴らしいドラゴンボール映画シリーズに遜色することがない――むしろ、匹敵どころか超えている可能性すらありえる――作品と言っていいでしょう。
作画は文句なしに完成度が高く、戦闘シーンが今までのドラゴンボールと比べてもハイスピードかつ圧倒的な迫力を持っているのは、もちろんのこと、わざわざ往年のドラゴンボールシリーズっぽくするために、キャラクターの線をあえて荒々しく描くなどの工夫まで見られます。
そして、トゥーンシェードのCGアニメも、見事に使いこなしており、普通の線画アニメーションで描かれたシーンと、トゥーンシェードアニメーションが違和感なく混じり合っているのは、驚嘆に値します。アークシステムワークスのゲーム並に、トゥーンシェードが線画と区別のつかない出来になっています。
音楽も試みとしては面白いものだと思います。かなり奇をてらったものとなっていますが(若干、仮面ライダーオーズっぽいような?)むしろ、自分からすると、強引にでも観客の気分を盛り上げようとする、作り手の姿勢に結構好感を持ちました。本作の異常にハイテンションなノリの中ならば、そこまで大きな違和感もないように思いますし。
そして、本作の筋書きもなかなか素晴らしいです。特に本作の序盤は、下手な有名監督のアニメ映画よりも遥かに上手いと言っていいでしょう。展開や、描かれ方からして、マン・オブ・スティールを意識していると思わしき構成となっていましたが、はっきり言って、マン・オブ・スティールの100倍は上手い序盤の描き方です。
各登場人物の設定等の情報を、上手に話の中に織り込んでおり、過不足なくちゃんと全員の基本的な情報を、一見さんでも分かるレベルで提示できているのです。それも、ほんの僅かな尺の間に。
この構成力は衝撃的と言ってもいいです。
そして、登場人物たちのコミカルなやり取りなどが挟まれつつも、ひとたび戦闘を始めたら、ほぼほぼ終わりまでノンストップで戦闘シーンが続いていくのです。このコミカルさと戦闘シーンの激しい落差――これこそ、まさにドラゴンボールらしい筋書きと言えるでしょう。
また、過去のブロリー三部作などを手がけた、山内重保監督が得意としていた演出方法や、独特のカット割り、レイアウト、特殊効果なども本作のあちこちに忍ばされており、こう見えて、実は過去のブロリーへのリスペクトも、かなりきっちりやっている作品でもあったりします。
若干、クライマックス付近のフュージョンネタでグダグダになりかけていたところもありましたが、逆に言うと、あそこの部分くらいしか欠点がない筋書きだと言えます。
もちろん、自分の好みからすると、若干本作の話は軽い内容に落ち着いてしまった気もして残念に思う部分もあるのですが*1……ただ、これは本当に"好み"のレベルの話です。
少なくとも「神と神」「復活のF」などのように好み云々以前に酷いという話ではないのです。
なんなら、本作がドラゴンボール映画で一番好きだという人が居てもおかしくはないでしょう。それくらいに隙がなく、よく出来ています。
いやぁ、あのつまらない前二作から、本当にここまで面白くなっているとは、驚きです。
映画感想:機動戦士ガンダムNT
2018年11月公開の映画機動戦士ガンダムNTナラティブ予告編
恒例の手短な感想から
……まあ、これで良いんじゃね?
といったところでしょうか。
巷で一部の人が言うほどの傑作でもなく、かといって一部の人が言うほど駄作でもない、というのが本作に対しては一番妥当な評価なのではないでしょうか。
決して、つまらない作品というわけではなく、それなりに観客の興味を引き立てるような、思わせぶりな台詞や設定、人間関係がちゃんと序盤から描かれ続け、また(少なくとも、本作品内の筋書き単体に限って言えば)大きな破綻もないわけです。
なおかつ、戦闘シーンの作画などは目を見張るものがありますし、なにより、本作、音楽がなかなかに輝いた見事な出来映えではないでしょうか。物語の要所要所を音楽の素晴らしさがきっちりと盛り上げてくれているので、観客の高揚感や感情を引き出す、エンターテイメントとしては十分に良作といえるでしょう。
肝心のガンダム部分にしても、やり過ぎだろうと思う箇所はあるものの、過去の様々なガンダム作品をオマージュしたのだなぁと思わしきシーンが、いくつも挿入されており、そこまでガンダムシリーズの中で極端にはみ出た作品でもないと思われます。
少なくとも、ガンダムOOとか、あそこら辺のトンデモぶりと比べれば、十分にガンダムシリーズ内におさまっている内容だと言えます。
宇宙世紀ものとして見ても、そこまではみ出しているようにも思えません。
しかし、とはいえ、ところどころで出てくる、なんだか言ってることが中二病臭い、主人公たちの台詞回しの数々や、恐らく作り手があまり理解してないままいい加減に入れたと思われる、統計学と八卦がうんたらのよく分からない解説や、クラシックを鼻で歌いながら出てくる敵キャラに代表される「ほら、こんな設定や話を出せちゃう俺たち、大人だろ?」と言いたげな作り手たちの幼稚さ、スケールが大きい話のようで実は異常に矮小化しているテーマ性などが、気にならないと言ったら嘘になります。
そこはとても気になりますし、はっきり言って、その手の要素のせいで、この映画の完成度は損なわれていると言っていいです。
また、この話自体「あれだけ、ゴチャゴチャした話を進めておいて、最終的にやりたいことは、ただ、逆襲のシャアを焼き直してるだけって……」と言いたくなってしまう部分があるのは否めません。噂に聞けば、富野監督もこの部分に関して苦言を呈したとのことで、ガンダムを知っている人ならば、全員漏れなくこの点を気にされるのかなと。
それに個人的には、そもそも作り手の思想というか、根本的な考え方自体が「よくよく考えると、それって、ただの選民思想だよね?」という話になってしまっているのも、凄く気になります。
これは宇宙世紀ガンダムシリーズ全体に蔓延る問題で、もっと言ってしまえば、大元のファーストガンダムの時点で既に実は内包されていた問題点ではあるのですが、*2今回のガンダムは、特にそれが露骨に出てしまっている印象を受けます。
心が広くて、優しい、素晴らしい人じゃなければ、そんなにダメなんですか?
その考え方って、本当に良いことなんですかね?
というか、そんな考え方をしている時点で優しくもなんともないですよね?
僕には、他人のことをなにも考えていない、幼稚な考え方に見えます。
以上のように、本作、なんというか深く考えようとすると、なんだか引っ掛かる点が多すぎるのです。ただし、作品自体が悪い出来かというと、そうでもなく、むしろ、良く出来ているのが頭の痛いところなのです。
現実の場で、本作のような思想を言い出されたらブチギレ待ったなしの案件だと思いますが、言っても本作、所詮はエンターテイメントであり、フィクションであり、そしてただの映画なわけです。つまり、そこまでマジに受け取っても、どうしようもないわけです。
だからこそ、自分としては本作に対し「まあ、これで良いんじゃない? だって映画なんだし」という評価になるのです。
11月に見た映画
・ヴェノム
・銃
・グースバンプス モンスターと秘密の書
・ 殺しの分け前/ポイント・ブランク
・ 月光仮面
・月光仮面 絶海の死斗
以上、7本です。月光仮面、結構、面白いですね。少年探偵団シリーズからの影響が色濃くて、その手の話が好きな人にはかなりおすすめです。
映画感想:銃
恒例の手短な感想から
作り手の技量で素晴らしくなった、としか言いようがない
といったところでしょうか。
芥川賞作家でもある中村文則の「銃」を原作として、作られた本作なのですが、本当に素晴らしい出来であると思います。
特に何が素晴らしいかは明白です。
あのどうしようもない原作を傑作に作り変えてしまったことが、本当に素晴らしいとしか言いようがないのです。
ハッキリ言ってしまって、原作は石原慎太郎を何から何まで、大劣化させてパクっている中二病小説*1以外の何者でもないです。
と言いますか、中村文則という作家自体の作風自体が、「文系引きこもりが妄想世界でパンクやって自惚れているような」「今更、アプレゲールをやっている痛い中二病患者」としか言いようがない作風なのです。
たとえば、本作の銃でもそうですが、なにかとてつもない衝動を抱えた少年が、銃という「人の生死をいくらでも操れる道具」を持つことで興奮し、次第に、その中に眠っている衝動が性的な欲望等々とともに現れてくるーーという、この筋書き自体が既に「石原慎太郎の小説っぽすぎる」内容でしょう。
作中で、主人公はセフレやヒロインの女の子にあえて、怒られるように「性の悪徳」を行うわけですが、これらの行動、「陰茎で障子をぶち抜く」のと、意味合い的にはなにも違わないわけです。
そして、そんな筋書きの中で、なんとも「こじせた中二病の童貞作家の妄想」としか言いようがないリアリティのない描写が数々出てくる――言ってしまえば、魅力の欠けた石原慎太郎――慎太郎氏に喩えるのが不快ならば、もやしっ子がイキってアレックス*2コスプレしてるような内容と言い換えてもいいです。――それが本作「銃」の原作である「銃」という小説でした。
そんなしょうもない原作が、まさかここまで、見事な作品になっているとは。
これは一重に、映画の作り手たちの手腕によって、ここまでの作品になり得たのだと言って構わないでしょう。
主演である村上虹郎の中二病を中二病と感じさせない――むしろ、中二病的な言動に説得力さえ持たせ、リアリティを補強してしまっている――風体と素晴らしい演技は文句のつけようがないです。
悲劇のヒーロー気取りで、主人公がベートーベンを流すシーンなんて、あまりにも幼稚過ぎて普通ならば「寒すぎるわ!」と文句を言いたくなってしまうところですが、彼の風体、あの感じの演技で、やられてしまうと、なんだか説得力があるのですから不思議です。
去年の「武曲 MUKOKU」でも、素晴らしい演技をするなぁと思っていましたが、本作は更に素晴らしい演技をしています。
そして、もちろん、カメラワークや美術、音楽のつけ方一つ一つにまで細かい配慮と工夫の行き届かせたうえに、最後の最後で観客に思わずああっと言わせてしまう演出プランを思いついた武正晴監督も評価されるべきでしょう。
「百円の恋」で、ようやく日の目を見た武監督ですが、本作においても、評判に違わない手腕を発揮しています。
特に最後の「思わずあっと言ってしまう」演出とそこでの各役者の演技は、本当に素晴らしいです。あそこの演出のおかげで、本作は、原作のふわふわと宙に浮いた中二病的な結論やテーマを、ちゃんと「地に足がついたもの」へと落とし込めていると言って過言ではないです。
原作では、この場面、ただただ、単に主人公が中二病的な感じでコワレタ(笑)ような描写で描かれており、読んでいて、背中が痒くなってくるほどアレな感じが満載だったのですが、本作ではむしろ「壊れていた主人公が戻った」かのように演出されているのが、本当に見事としか言いようがないのです。
そして、だからこそ、「確かに、本当にこういう場面になったら、むしろ、人間ってちょっと頭のどこかで冷静になるのかもなぁ」と、実感を持つことができ、作者のマスターベーションが痛々しい物語を、ちゃんと観客の共感を呼ぶ物語へと昇華させることが出来ているのです。
映画感想:ボヘミアン・ラプソディ
恒例の手短な感想から
あー良くも悪くもクイーンだなぁ
といった感じでしょうか。
別にクイーンのことを特別に嫌っているわけでもないのですが……ただ、本作に関しては本当にこの評価が似合うのではないでしょうか。
「良くも悪くもクイーンっぽい」と。
良くも悪くもとはなんだ、とクイーンファンの皆様はお怒りになるかもしれませんが、実際、この映画はクイーンの中核メンバーたちがプロデュースした映画です。
作り手がクイーン自身であるために、この映画は、どうにもクイーンの音楽や、あるいは、クイーンというバンドのビジュアルの方向性に近しい出来になってしまっているのです。
自分からすると、クイーンというバンドは、まさにこの自伝映画のように、良くも悪くも「何か」を纏いたがるバンドだと思うのです。
それはスター性とも言っていいでしょう。ただ、自分から言わせれば、それはスター性などという大層なものではなく、ただの見栄に近いことのほうが多いように思います。
見栄えです。
もちろん、クイーンは実力もあるバンドです。録音された楽曲が素晴らしい出来であるのは言うまでもありません。
しかし、同時にその実力や、素晴らしさを実際以上に着飾ろうとしてしまう面も多く持っているバンドでもあります。自分たちの実力以上に、自分たちが素晴らしいものであるかのように、人を錯覚させることにこだわっていますし、それに長けているバンドなのです。
クイーンというバンドは、フレディを筆頭に、メンバー全員が異様に、やたらに、その見栄を気にするバンドだとも言っていいです。
そして、その上に本作があるわけです。この映画、いかがだったでしょうか。
何もかもが、針小棒大に語られていて「どこが自伝だよ!」と言いたくなるほど、事実と話が変わってしまっているこの感じは、まさにクイーンというバンドをよく体現していると思うのです。
映画としてドラマチックにするために、起こらなかったバンドの解散劇を付け足し、フレディという人物を事実よりも遥かに純粋すぎる人物として誇張し、そうして、いろんなものを継ぎはぎし、誇張しながら、自分たちのスター性・特別性をこれでもかと誇示する、この感じです。
これほど、クイーンというバンドを体現していることはないでしょう。
だからこそ、この映画は、いわゆる自伝映画やドキュメンタリー映画にあるような、魅力が極めて乏しいものとなっています。
あまりにも定型的なエンターテイメントの筋書きをなぞることばかりに注力するせいで、別にクイーンを題材に撮る必要性を特に感じない中身でもあります。
もちろん、だからつまらないということはないです。観客を楽しませる仕掛けがあちこちに忍ばせてある本作は、ポップコーン片手に、楽しんでみる分には構わないものでしょう。
ですが、それ以上のものはないわけです。
テーマ性も……悪いですが、上記のような、定型文だらけの本編では、なにが言いたいのかもよく分からないのです。
評論家の方々から良い反応が得られなかったのは、ここが原因でしょう。
クイーンは、この自伝映画でさえも、無駄に見栄を張ってしまっているのです。
しかし、おかげでこの映画は、まさに「クイーンの楽曲のような」快感を得ることはできるわけです。
絢爛に、とにかくドラマチックに、作られている本作はクイーンファンの方々から好評が出るのも当然といえば当然なのでしょう。
彼らは別に「事実の、ドラマチックではないクイーン」など見たくはないわけです。
それくらいならば、神格性を背負ったままのフレディでいてほしいわけです。
「あぁ、普通の人とは違ったんだ。やっぱりフレディは、特別なんだ」と、そう信じていたいのです。
だからこそ、彼らにとっては本作は最高であり、批評家の評価とは正反対の感想が出てくるわけです。
そういう意味では本作は素晴らしい作品でもあるわけです。
なので、本作は、良くも悪くもクイーンらしい映画なのだと、自分は思うのです。
映画感想:ヴェノム
恒例の手短な感想から
SFホラーとしては失敗作。が、面白い。
といったところでしょうか。
決して本編がつまらないというわけではないのですが、こう評するのが本作に対しては的確でしょう。
宣伝が上手すぎてしまった、と。
予告編の巧妙な編集や、ポスターのビジュアルなどがあまりにも秀逸であるあまり、本編を見たときの「あれ、思っていたのと全然違うものだった」という感じは、どんなに本作が好きな人であっても認めざるを得ないのではないでしょうか。
事実、自分もかなり本作に対しては好感を持っているのですが、それでもやはり、「予告編の期待からすると二割引きの出来である」と言わざるを得ません。
――己の体が寄生され、少しずつ侵食されていくという恐怖極まりないシチュエーションならば、きっと本編は、アメコミヒーローものでありながら一線を画す内容であるに違いない――おそらくは、スピーシーズやエイリアン的なSFホラー要素がふんだんに混ぜられ、ゲームのR-TYPEのような、グロテスクな造形が跋扈するような――そんなヒーローものになるんじゃないか――。
そんな高すぎる期待、いえ妄想に胸を膨らませていたために、そんな要素なんて僅かしか入っていない本作に、やはり肩を落としてしまう面はあるのです。
シーンによってはSFホラーとして落第点と言ってもいい箇所も存在しています。ハッキリ言って、ちっとも怖くないのです。自分の体が寄生されていることへの恐怖感なんて、微塵もありません。ただ、ところどころ、びっくり箱のホラー演出が入って、子供だましに「わっ」と脅かしてくるだけです。
エイリアンをオマージュしたと思わしきシーンなんて、描き方がお粗末すぎて、ホラーと言うより登場人物が全員アホのパロディコメディにしか見えない始末です。
ですが、本作、自分としては好感を持ったのも事実なのです。まずなんといっても、本作の魅力は「ゆるい」という、そこにあるでしょう。本作は主人公も、他の登場人物も、なんならヴェノムでさえも、異様にゆるいのです。
そこになんとも言えない共感を覚えるのです。
地に足がついている感覚があるのです。
このブログでは、結構前々から言っていますが、昨今のヒーロー映画は面白さはおいておいても、妙に神話じみていて、眉間に皺を寄せて難しい話をしている傾向がかなりあります。*1そのために、どうしても、話が壮大なものになってしまい、鑑賞していても「なんか、これ最終的に自分たちと関係ないところの話をしているなぁ」という印象をどうしても抱きがちでした。
つまり、どこか雲の上の話を、地に這いつくばっている下賤の民がありがたがっている感じが、なんだかしてしまうことが多いのです。*2
本作には、それをあまり感じないのです。
最終的に、うだつの上がらない主人公と、うだつの上がらないモンスターが「一緒に力を合わせて偉そうな連中を見返してやろうぜ!」と言ってるだけの、極めて単純な心理と動機に、地に足の着いた人たちは共感せざるをえないのです。*3
だからこそ、自分もSFホラーとして失敗していると思いつつも、本作に関しては「非常に面白かった」という評価になるのです。
本作が評論家には不評で、観客には好評を得ているのも当然のことではないでしょうか。
10月に見た映画
・若おかみは小学生
以上、たったの四本でした。
あれ、新作映画しか見れてませんね…。完全に旧作の鑑賞を忘れていました。