4月に見た映画
・廓育ち
・グリーンブック
・キングダム
実写映画「キングダム」特別映像が公開!山崎賢人、吉沢亮、橋本環奈らキャスト発表!
・埋もれる
・ファイナル・デッドサーキット
・ヒックとドラゴン2
以上、7本です。
「埋もれる」はかなり面白く、内容や演出も良く出来ているので普通にオススメ。「ヒックとドラゴン2」は、思った以上に話の内容がいい加減なので注意。親の死に目という感動場面で全部ごまかしているだけで、全体的には前作を遥かに下回るレベルです。
映画感想:キングダム
恒例の手短な感想から
この堂々たる風格! 邦画も遂にここまで来た!
といったところでしょうか。
ここ数年、ずっとネットの誰がなんと言おうと、著名人がなんと悲観しようと、どう見ても邦画は駄作ばかりを産み出していた時期を脱し、回復傾向にあると散々に論じてきた当ブログですが、もう、この映画を見れば、いかに自分の言っていることが正しかったのかを誰もが認めざるをえないことでしょう。
本作はそれほどに凄まじいパワーを持った一作です。スターウォーズとか、ロードオブザリング等に並べることの出来る、見事なアクション大作――と称しても言い過ぎではないかもしれません。
本作、下手をすると日本のみでの成功では留まらない作品になるかもしれません。物語の舞台が昔の中国ということもあり、国外の観客にも、相当ウケがいいのではないでしょうか。この間の「ドラゴンボール超 ブロリー」のような、規格外の大ヒットを飛ばす可能性さえ秘めているような気がします。
そんなことさえ、妄想で思い描けてしまうほどに、本作はなにもかもが完璧でした。全編に渡って、殺陣が完璧を越えるレベルで完璧な殺陣を描けているのはもちろんのこと、それだけではなく、他の細かい様々なアクションにおいても、的確な描写が冴え渡っています。
例えば、主人公がトドメの技を使う演出で尋常じゃなく腕に力を込めるカットを挟み込んだり、戦闘の最中に主人公が次々と竹を伐り跳ばしていく描写を入れたりといった具合です。こういう細かいカットや、細かい工夫があるおかげで、一つ一つのアクションに強弱の説得力が生まれているのです。だからこそ、さっきまで勝てなかった相手に、主人公が勝つことにも説得力が生まれています。
こういう細かい工夫はハリウッドのアメコミアクション映画さえ、出来ていないことさえあるのです。それをほぼ完璧にやりきっている本作が、いかに素晴らしいのかがよく分かります。
そして、話の筋書きや台詞もよく出来ています。脚本の練り上げには原作者も参加しており、かなり映画の作り手同士で相談をして、骨を折って、丁寧に作り上げていったそうなのですが、実際それだけの出来の脚本となっています。特に本作は、話のテンポがとても良いのです。
無駄な時間経過の描写などは、基本的に全てポンポンと省いていく方針で話をつくっているらしく、「映画の時間は短く凝縮されていればいるほどいい」という考えを持っている自分からすると、その時点で既に本作への評価は高いです。
愁嘆場でもぐだぐだされることなく、ちゃっちゃと終わらせて、次の話に展開させているため、見ていて単純に心地がいいのです。
そして、なにより、語るまでもありませんが、本作をなによりも強烈に彩っているのは、原作を徹底的に再現しようと試みている美術と、そして、その美術に囲まれた俳優たちの堂々たる演技でしょう。この二つなくしては、本作は絶対にありえなかったはずです。
ファンにとっては恐らく、最も懸念事項であったであろう、この二つですが、本作はその懸念事項であったはずの二つがなによりの美点に昇華しているのです。
本作を鑑賞した誰もが思ったはずです。
まさか、大沢たかおが長澤まさみがここまでのことを出来る役者であったなんて、と。
既に方々で語り草となっていますが、大沢たかおも長澤まさみも今までの役者イメージを覆しかねないレベルでの強烈な転身を成功させており、実はその人自身に秘められていた「役者としての新しい可能性」すらも本作は掘り起こすことに成功しています。
もちろん、それ以外の主役陣も、どれを取っても演技が素晴らしく、特に吉沢亮の一人二役を演技だけできっちり演じ分けている姿はかなり印象に残りますし、その敵役を演じる本郷奏多の見事な悪役っぷりも光っています。
これだけ素晴らしい本作なのですが、その上、「さすが、あのアイアムアヒーローを撮った佐藤信介監督だ!」と言いたくなるほどに、本作は映画の終わらせ方が光っています。映画好きとしては「そう、その終わらせ方だよ! そこで格好良くバシッと締めてくれるのが、最高なんだ!」と誰もが言いたくなったのではないでしょうか。
少なくとも、自分はこの映画の終わらせ方はかなり好きです。
後腐れがなく、粋で良いシメでしょう。
始めから終わりまでぎっしりと傑作しかないーーそれが本作なのです。
映画感想:グリーンブック
恒例の手短な感想から
評判よりも更に良いかもしれない。
といったところでしょうか。
元々かなり評判の良い映画でしたが、実際に見ると評判以上に素晴らしい映画でした。ここまで素晴らしい映画ならば、もっと早くに見に行くべきだったなぁと後悔するくらいには、良い映画です。
もちろん、本作は見た目どおり、そして、評判に違わない人種を越えた友情の話であり、人種に関する話であります。予告編で見た印象や、巷の評判から想像した内容から大きく逸脱しているわけではありません。
ただ、その人種に関する話の掘り下げ方が、非常に深い考えのもと行われているのです。
早い話が、本作は人種差別批判者たちが唱える薄っぺらい「黒人はかわいそう」論なんて一切唱えていない映画なのです。むしろ、黒人差別撤廃を訴える人の中には、本作を憎く思う人さえ存在しているはずです。
そのことを象徴しているのが、本作の主人公であり、実在の音楽家でもある、ドン・シャーリーになります。はっきり言って、彼の存在は人によっては「黒人を差別している黒人」などと形容されていてもおかしくないはずです。
そういった、悪い意味で人種差別に目ざとい方々からすれば、彼はホワイトウォッシュされた黒人に見えているはずだからです。黒人音楽をまったく聞いたことがなく、白人たちが作り上げたアカデミックな音楽教育を身に付け、あの時代にジャズもロックンロールでもなく、ポップスを弾いている彼は、そう形容されても仕方ない存在なのです。
実際、劇中ではドン・シャーリーが「黒人の中でさえ、変に浮いてしまっている」姿が幾度となく描写されており、もう一人の主人公であるトニー・リップから口論の際に「自分の方が、よっぽど中身は黒人だ」と言われてしまったりしています。
これはこの系統の映画において、本作が極めて突出している部分だと言えます。
例えば、本作と比較してあげられがちな映画で「最強のふたり」なんて映画があります。本作もまた実話を基にした、黒人白人の友情映画なのですが、本作における黒人像はあくまで従来の黒人らしい黒人を強調したキャラクターになっていました。
その「最強のふたり」の、さらに元ネタになっている映画として「ラウンドミッドナイト」というジャズをテーマにした黒人白人の友情映画もあるのですが、こちらでもやはり、黒人がジャズを弾いており、そして、酒に溺れ、やさぐれている設定で描かれておりました。
この図式を本作は完全に破壊しているのです。
言い方を変えれば、本作の作り手たちは、わざと本作が、いわゆる人権派を自称する人種差別批判者の"お気に入り"映画にはならないように作っているようなのです。実際、本作は物語の筋書きや、自分が挙げた上記の要素などについて、批判されている向きも存在しています。
しかし、それこそが本作の狙いなのでしょう。本作は明らかに、白人側のみならず、黒人側に対しても「目を覚ませ」と必死で訴えている映画だからです。
ドン・シャーリーの「黒人でも白人でもない自分は一体なんなんだ?!」という叫びは酷く絡まり合い、意地を張り合い、自らの過ちを認められない集団心理によって――互いに自分に都合の良いところだけ拾い合って罵り合うゲームと化した――現在の差別論争において、もっとも重要な前提を提示しています。
人種がどうこうではなく、それぞれの人がそれぞれの人として、個人として存在できるかどうか、それこそが本当のゴールであるはずだろう、と。
そういった意味で、本作グリーンブックは単なる人種を越えた友情映画とは一線を画しているのです。だからこそ、評判以上に本作は素晴らしいのです。
周りの意見に埋もれながら、周りと同じことを言ってどや顔するだけなら、誰でも出来ることでしょう。
しかし、周りの意見に埋もれながらも、そこから一つステップアップした視点から、意見を言えること。これは簡単ではないのです。
映画レビュー:廓育ち
昭和32年初秋、売春防止法が施行される一月前ほどの時期、昔から続く廓(くるわ)の住人たちは、戦々恐々としていた。廓の商売はあと僅かばかりで、廃止か、あるいは別の娯楽施設に生まれ変わらなければならない時期に来ていたのだ。
そんな中、主人公・たみ子は医局に勤める恋人と付き合っており、恋人とどうにか一緒になることはできないか、と気を揉んでいる。
彼女は一日でも早く廓から抜け出したいと願っていた。
母親まで満州の慰安婦であったというたみ子は、母親は行方知らずのままで、小さい頃から廓の中で育ってきた、まさに廓育ちの女だった。「女に教育なんか要らん。男を騙すことだけ覚えればいい」と教えられ、12歳のころに70にもなるヨボヨボのお爺さんを相手に、色事を覚えさせられているような有り様だ。
たみ子の恋人は、もうすぐインターンを経て、医者の国家試験を受けるという。それまで結婚の話はなしにしよう、と恋人から持ちかけられ、たみ子は渋々に承諾するのだが……。
本作は先日亡くなられた、名監督・佐藤純彌監督が手掛けた作品の一つです。佐藤純彌監督、というと、薄っぺらい映画ファンからは「新幹線大爆破のような、大味な大作を撮るような監督」などと半笑いで評されがちですが、それを評している人たちが、いかにいい加減なのか――それをよく知れる作品が、本作だと言えるでしょう。
本作は激しいアクションなど一つも存在していない、静かなドラマ映画です。
廓(くるわ)――つまり、昔の売春施設に纏わる文化や、生きている人たち、その人たちに関わった人たちの様々な姿や、それぞれが抱える複雑な事情や生い立ちによって生まれる複雑な感情を描くことに焦点を当てた作品であり、全体的に佐藤純彌監督の細やかな演出が活きる一作となっているのです。
特に廓の人間たちの、女なら体を捨てて当然だと下衆な考えが常識となって染み付いている人たちの異様な姿と、その中でも、なんとかマトモな人間であろうとその常識に小さく抵抗する主人公のたみ子の姿の対比は、なかなかに見事なものです。
構成も面白く、この映画は現在と過去を交互に挟んだ構成となっており、主人公がいかにして廓の中で育ってきたかという過去と、その廓がもうすぐ終わりを迎えてしまうという現在を交互に見せることで、より、廓文化の虚しさや、絢爛に見える京都の世界の影が強くなるように工夫されているのです。
この構成は、近年の映画で言うなら、ブルーバレンタインととても似た構成です。*1
実際この映画は、売春宿の栄光と失墜という対比の裏で、主人公のカップルが結ばれ、そして、別れていく姿も描写されており、下手をするとこの構成の見事さは、ブルーバレンタイン以上なのではないか、と思えてしまうほどです。
その他にも、本作には、随所に見事な人間の繊細な感情が現れており、例えば廓のお抱え代議士が警察に捕まったと知って、不思議とケラケラ笑い出してしまう主人公の姿や、主人公と対比するかのように異常に廓の生活に馴染んでいる少女の顛末などは、なんとも人間や人生の奥深さを感じられるようになっています。
人物ドラマを見たい方にはぜひお勧めの一作です。
3月に見た映画
・運び屋
・翔んで埼玉
[字] まさかのあの人も登場!? 映画『翔んで埼玉』予告編 日本語字幕
・ イップマン 継承
以上、4本です。3月中は忙しすぎて、映画館すら行けない状態でした。
4月は、さすがに余裕ができるので、もうちょっと見れるかなと思います。
映画感想:運び屋
恒例の手短な感想から
老いてなおも惑う。それが人生なのだろうか。
といったところでしょうか。
正直なところ、単純にエンターテイメント映画として見てしまうと、本作はあまりにも盛り上がりに欠けた、かつ、なんだか勢いの感じられない作品であることは否めないでしょう。また、感動が散りばめられたような、あるいは人情味に溢れたような、ハートウォーミングなドラマかというと、そうでもありません。
むしろ、本作は昔の欧州映画のような、人生についての芸術映画として見るべき作品であるといっても過言ではありません。
クリント・イーストウッド監督は、俳優としてのイメージとは打って変わって、監督作品は意外と芸術寄りな作りになっていることも多いのですが、まさに本作はそういった作品の一つでしょう。
ひょっとしたら、クリント・イーストウッド本人はエンターテイメント映画を撮っているつもりだったのかもしれません。しかし、実話を基にし、なおかつ、多くの要素に、現実のクリント・イーストウッドとの共通性が見られる本作は、エンターテイメントの枠で見るのは不可能でしょう。
本作は、言ってしまえばクリント・イーストウッドの私小説なのですから。
言うまでもないことかもしれませんが、本作は明らかに、今までから現在までのクリント・イーストウッドを連想させる要素が多く見られる内容となっています。
例えば、一攫千金を狙ってアメリカのあちこちを縦断し、横断するイーストウッドの姿はまるで牛追いで一攫千金を狙おうとした西部のカウボーイのように見えます。また、作中の主人公とクリント・イーストウッド自身の年齢も極めて近く、どうしてもイーストウッド本人と主人公を重ねてしまいます。
作中で案外に、主人公がスケベジジイで、ちゃっかりヤることはヤっている描写が入っていますが、これも現実のクリント・イーストウッドとそっくり同じです。イーストウッドは、つい最近までかなり年下の妻がいたような人ですから。
なおかつ、なんだか言葉足らずで、自分の言いたいことを上手く伝えようとせず押し黙り、相手を不必要に憤らせてしまうところ、そういった不器用なところも現実のクリント・イーストウッドそのままと言っていいでしょう。彼は政治の場面ですら、そのような態度を見せるときがあります。
そして、主人公のまったく上手くいっていない家庭環境もまた、クリント・イーストウッド本人の家庭環境を連想させるように作られています。なにせ、主人公の娘役を本当にクリント・イーストウッドの娘が演じているのですから、連想するなという方が無理な話です。
このように本作、運び屋は、まったくクリント・イーストウッドとは関係がない、麻薬運び屋の実話でありながら、その裏で「イーストウッドの現実」という、もう一つの実話が混ぜられている映画になっているのです。
そして、そんな「もう一つの実話」の中に入れられた話は、果たしてどんな話だったでしょうか。
それは、あまりにも家族をないがしろにしてきた、自分の人生への懺悔――そして、老いてなお、それを分かっていない自分への後悔でした。
自分はここにどうしても、この映画がある価値と面白さを感じます。
ここまで老い、人生を経験してきたクリント・イーストウッドが、等身大の姿を通じて「老いて、もう走ることもやめた自分であっても、やっぱり若造と同じようにまだまだ分かってないんだよ」と言っている姿に、やはりそれが人生なのだなと感心するのです。
本作は、そんな面白さがよく出ている映画でしょう。
映画感想:翔んで埼玉
[字] まさかのあの人も登場!? 映画『翔んで埼玉』予告編 日本語字幕
恒例の手短な感想から
悔しいかな、良く出来ている。
といったところでしょうか。
正直、出落ちとしか言いようがない本作が、ここまでちゃんとした映画になっているとは、誰もが想像していなかったことでしょう。最近の邦画は、意外にも面白い映画が多いことは、知っている人ならばとうに知っている事実ですが、本作まで面白い映画になってしまうことは誰も想像だにしていなかったのではないかと。
監督の過去作も大してパッとした出来の映画はなく、個人的には「いくらなんでも、本作はクソ映画に仕上がるはずだ」という予測を立てていたのですが、見事に外れてしまいました。自分はこの映画の作り手、そして何より埼玉を侮っていたようです。
自分も埼玉にかつて数年ほど暮らしたことがあるからこそ言えるのですが、埼玉という県はとにもかくにも、煎餅とねぎと古墳以外は何もないわりに、天候は季節ごとに妙に荒れ、無駄に広大で、田んぼばかりある場所なのです。
その上、少なくとも自分が暮らしていた頃は、地域によっては、東京の近隣県なのかと疑いくなるほどに、排他的かつ文化的にも遅れているところが多々あり、未だに大人が体罰を容認している空気さえあるという、平成だと言うのに昭和をまだ引きずっている県という有り様でした。
まさに、本作のような揶揄をされても、仕方ない土壌が確かに存在している場所であり、それどころか、自分は「なにもない場所から、どうやって二時間にも渡る話を引き出せるわけがないから、絶対つまらない映画になる」と見くびってすらいました。
しかし、本作はその見くびりに対して、完璧な返答を出しています。
まず、作中の埼玉冒涜間違いなしの設定に対し、予め「フィクションで埼玉を貶すつもりはない」と予防線を張った上で、更に、本編の話を、作中の親子達がカーラジオで聞いている都市伝説という設定にして、何重にも物語にオブラートを包み、なるべく観客と作品との距離感を遠ざけることに成功している時点で上手いです。
おかげで「埼玉だ、埼玉だ」と作中でいくらバカにしても、観客が真に受けることがない訳です。だからこそ、作中に出てくる埼玉ギャグに対して、観客はなんの抵抗も感じることなく、笑ってしまうわけです。これが多少でも、現実との接点を感じさせるような描写があれば、怒ってしまう人も出てきたことでしょう。
その後も、本編の話を進める合間合間に、前述した親子の描写を挟み込むのがまた上手いです。立場的に観客はこの親子と同じような状況ですから、観客はこの親子に感情移入しやすい状況になっているわけです。
……そんな中で、この親子が少しずつ埼玉への郷土愛を思い出していく筋書きになっていたらどうでしょう?
当然、観客も次第に埼玉寄りの気持ちを持つようになっていくわけです。
入れ子構造にした物語が、幾重にも効果的に使われているのです。なるほど、これは見事な映画です。おかげで徐々に埼玉に興味を持っていない観客でも、埼玉に興味を持ち、だからこそ、埼玉をテーマに闘う登場人物たちに好感が持てるようになってくるわけです。
BLやら貧富の差やら、いろんな人の興味をそそりやすい要素を合間に挟み混むのも、同様の効果を生んでいます。
そして、最後に最初に提示した「都市伝説」という設定を、伏線として活かした大きなオチを堂々と持ってきて、高らかに埼玉の力を宣言するわけです。なんとも上手い映画ではないでしょうか。この映画を見れば否が応でも、埼玉に多少なりとも愛着を覚えてしまうわけです。
ここまで巧妙な(ある意味で)プロパガンダ(とも言える)映画は見たことがありません。埼玉め、なかなかやるな、と。
実は本作、一見するとネタ映画のように見えて、かなり趣向が凝らされている良作だと言えるでしょう。
……だが、闘う。