儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:賭ケグルイ


浜辺美波主演『賭ケグルイ』予告映像

 恒例の手短な感想から

ギャンブルシーンが最高!

 といったところでしょうか。



 ――とは言っても、過剰に期待をして見に行くと、いろいろ引っかかる点もあるであろう出来なのですが……。

 

 この映画の監督である英勉は、正直、今まで撮ってきた映画の経歴はとても褒められたものではありません。ハッキリ言って、2000年代の邦画をどうしようもないまでに腐らせてきた歴々のクソ映画を撮っている一人です。

 

 そんな人なので、本作も実際、いろいろと演出が甘かったり、変にチンタラしているシーンもあったりするのは事実です。

 また、ドラマ版から物語が続いている前提の内容であることもあってか、「映画というよりはテレビスペシャル」と言いたくなってしまう構図や、キャラクター設定などがチラホラと見えてしまう部分もあります。物語自体にも、よくよく考えると「ん?」と首を傾げたくなるところもあったりします。

 

 しかし、そんな出来であっても、本作は結構面白いです。

 これはもう一重に、そもそも原作が持っているパワーの強さと、わりと原作のビジュアル等の再現に力を注げていること(またそれが的はずれな方向の努力になっていないこと)、そして、何より、そもそも、テーブルゲームと映画というメディアが抜群に相性が良いということも大きいのでしょう。

 

 当ブログでも何度か指摘していますが、やはり、本作を見ても実に映画とテーブルゲームボードゲームは非常に相性が良いと思うのです。

 

 映画というのは、真っ暗でどでかい画面でするものであるため、他の映像メディアよりも見る側の集中が注がれやすいメディアです。あるいは家で見るとしても、普通のドラマよりは多少なりとも、じっと集中して見ているものです。

 

 そういった状況において、実際、登場人物が心血を注いで集中し、熱中し、テーブルゲームに興じている姿というのは、結構、観客の共感を呼び起こしやすいのではないでしょうか。特にギャンブル系のテーブルゲームともなれば、必然的に間接照明の効いた、暗い照明等を用いるので、画面のビジュアルまで映画的に見えます。

 しかも、テーブルゲームボードゲーム系のゲームは、一枚のカードで、たった一手で劇的に状況が変わっていくわけです。そして、劇的に状況が変わっていっても「ご都合主義な内容だなぁ」とは決して思われないのです。

 しかも、ギャンブル系は尚更そうです。

 絶望から一気に逆転していく状況まで、違和感を持たれずに、いかようにでも描けてしまうテーブルゲーム類は、まさに鉄板の映画向きネタというべきなのでしょう。

 

 実際、2017年に公開された「咲-saki-」はその典型で、麻雀の内容はどう見ても作り手の都合よく話が進んでいるだけだと、見ている側も分かっているのに、どうしても手に汗を握ってしまう良い映画となっていました。*1

 

 本作、賭ケグルイもまた、そういった映画にちゃんとなっています。ちゃんとギャンブルシーンに至るまでの、登場人物同士の関係性や、因縁を描き、その上で主演の浜辺美波が好演する、蛇喰夢子の強烈なギャンブル好きの描写を入れることで、観客はギャンブルの一つ一つの展開にハラハラ・ドキドキしてしまうわけです。

 

 また、ギャンブルシーンで、変に演出が凝ったりしていないところも良い方向に作用しています。「誰が負けて、誰が勝った」という結果だけは、さすがに分かりやすいよう、工夫していましたが、その他の――例えばいちいちカードを出すたびに、大げさにカードから煙が出てきたりとか、そういう要らない演出の工夫は入れていませんでした。

 映画でテーブルゲームを描くときは、そういった余計な工夫は入れないほうが実は面白いのです。

 

 おかげで、結構自分も、クライマックス付近のギャンブル対決シーンでは、かなり手に汗を握ってしまいました。ここまで「この先、どうなるの? どうなっちゃうの?」と思いながら夢中にさせることが出来るのであれば、もう映画としては十分、良作でしょう。

 オチもそこそこは綺麗に着地していましたし、*2何気なく見に行く映画としては、十分かなと思います。

*1:ちなみに、偶然なのか作り手が意識しているのか、咲-saki-で主役の咲を主演していたのは、本作で蛇喰夢子を演じていた浜辺美波です。

*2:とはいえ、冷静に考えると「あれ、その三人はいいとして、お前だけは結果的に8000万円の借金が残るんじゃね?」とか、実はおかしいところもあるのですが

映画感想:名探偵ピカチュウ


【公式】映画「名探偵ピカチュウ」WEB用プロモ映像②

 恒例の手短な感想から

ポケモンがかわいい以外はゴミ映画

 といったところでしょうか。

 

 正直、がっかりした、という気持ちはあまりありません。言ってしまっては、なんですが、本作のこのツッコミどころだらけの、どうしようもない出来に関しては「まー、そうなるだろうなー」と予見できていましたので。

 というのも、本作の監督である、ロブ・レターマンはお世辞にも面白い映画を撮ってきたとは言い難い監督だからです。いえ、この言い方には語弊がありますね。正確には彼は「つまらない映画しか撮ってないゴミ監督」です。

 

 そんな人が監督になってしまった、という時点で、レジェンダリーの本作に対する"誠実な姿勢"がよく分かります。――「金さえ稼げれば、クソ映画でもどうでもいい」と誠実に金儲けしようとしている、誠実な姿勢が。

 おそらくですが「内容がクソでも、任天堂のあの大人気コンテンツで、しかも観客層は子どもなんだ。なら、みんな気にしないで喜んで飛びつくだろうさ」と、レジェンダリーはそう思っているのでしょう。

 

 ――おめでとう。

 レジェンダリーの目論見は見事に当たりました。実際、本作は作り込まれたCGによって描かれているポケモンのかわいさ以外は、どうしようもないゴミ映画です。

 自分は原作である「名探偵ピカチュウ」を既にプレイしており、原作の話がかなり面白いことを知っていました。――もちろん、大人からすると甘いところもありますが、それでも、「おぉ、よく出来ているなぁ」と感心するほどには、上手い作りの物語でした。

 

 その面白い物語から、本作の作り手たちは要素だけを抜き出し、まるで泥遊びをする子どものように、全てをぐちゃぐちゃにしてしまったのです。

 早い話が、どうしてこうなった。

 

 物語には矛盾点が無数に散らばっており、重要なシーンでさえ「お前、ピカチュウをあの場所に一匹で置き去りにして、戻るのかよ!」とか「しかも、あの場所からそこまでピカチュウどうやって戻ってきたんだよ!」とか「結局、ピカチュウが記憶を失った理由、一切説明ないんだけど!」とか、おかしいところばかりです。

 

 そして、矛盾点に目をつぶったとしても、そもそも話の筋書き自体が本作はとてもおかしいです。例えば、最初のシーンで「主人公は内向的で友達がいない」という話を散々していたのに、この件は完全に投げっぱなしで終わっています。

 普通の映画ならば、紆余曲折あって本当の友達、仲間を見つけられた――あるいは多くの人と出会えた、という話の筋書きになるはずですが、なんと驚くことに主人公、最後の最後まで、陰キャぼっちのまま映画が終わってしまうのです。

 *1

 「それの、なにが良い話なんだよ!」と映画館でツッコんだのは、僕だけではないはずです。

 

 また、本作は全体の物語からすると、意味のない要素があまりにも多く、活かしきれていない話があまりにも多すぎます。いかに、本作がそんな状態になっているかというと、なんと主要登場人物であるはずの、ヒロインでさえ、最後の最後まで「こいつ、なんで物語に出てきたんだ?」と言いたくなるほどに、まったく話と関係ない状態です。

 

 当然、その他の登場人物に関しても「お前、なんのために出てきたの?」状態な人だらけ。――いえ、それどころか、ポケモンたちでさえ「何のために、こいつ、わざわざ出したんだよ!」状態になっているものが非常に多いです。

 まだ、小さいギャグや、ポケモン世界の雰囲気作りのために出てきているなら良いほうで、酷いものになると「ギャグにも、雰囲気作りにもなっておらず、ただただ無と一緒」という扱いのものまでいて、ポケモンすら持て余している状態なわけです。

 いえ、それ以前にそもそも「名探偵」と描いてあるわりに、本作、どこにも主人公が探偵っぽいことをしてるシーンがないんですから、話になりません。原作にあったピカチュウの「ピカッとひらめいた!」っていう決め台詞も、当然、あるわけがないです。

 とにかく、本作は、緻密な設定や人物を、全て持て余している状態なのです。 

 

 つまり、本作を鑑賞する際は、話のことを気にしたら駄目です。

 話はゴミ同然なので、真面目に話を追ったら損します。画面の端っこや、背景に出てくる、モフモフだったり、くりくりだったりして、かわいいポケモンたちが、いかにかわいい行動をしているか――それだけを注視して鑑賞すると良いと思います。

 実際、映画館では、子どもたちが、そういう見方をしてケラケラ笑っていましたので、それが一番平和なのでしょう。

*1:なお、補足すると辛うじて、ガールフレンドは見つけられました(でも、やっぱり友達は居ない模様)

4月に見た映画

・廓育ち

廓育ち [DVD]

廓育ち [DVD]

 

 ・グリーンブック


【公式】『グリーンブック』3.1(金)公開/本予告

・キングダム


実写映画「キングダム」特別映像が公開!山崎賢人、吉沢亮、橋本環奈らキャスト発表!

・埋もれる

トムとジェリー ジャックと豆の木

・ファイナル・デッドサーキット

ヒックとドラゴン2

ヒックとドラゴン2 (吹替版)

ヒックとドラゴン2 (吹替版)

 

 

 

以上、7本です。

「埋もれる」はかなり面白く、内容や演出も良く出来ているので普通にオススメ。「ヒックとドラゴン2」は、思った以上に話の内容がいい加減なので注意。親の死に目という感動場面で全部ごまかしているだけで、全体的には前作を遥かに下回るレベルです。

映画感想:キングダム

 


映画『キングダム』WEBCM楊端和篇

 恒例の手短な感想から

この堂々たる風格! 邦画も遂にここまで来た!

 といったところでしょうか。

 

 ここ数年、ずっとネットの誰がなんと言おうと、著名人がなんと悲観しようと、どう見ても邦画は駄作ばかりを産み出していた時期を脱し、回復傾向にあると散々に論じてきた当ブログですが、もう、この映画を見れば、いかに自分の言っていることが正しかったのかを誰もが認めざるをえないことでしょう。

 

 本作はそれほどに凄まじいパワーを持った一作です。スターウォーズとか、ロードオブザリング等に並べることの出来る、見事なアクション大作――と称しても言い過ぎではないかもしれません。

 本作、下手をすると日本のみでの成功では留まらない作品になるかもしれません。物語の舞台が昔の中国ということもあり、国外の観客にも、相当ウケがいいのではないでしょうか。この間の「ドラゴンボール超 ブロリー」のような、規格外の大ヒットを飛ばす可能性さえ秘めているような気がします。

 

 そんなことさえ、妄想で思い描けてしまうほどに、本作はなにもかもが完璧でした。全編に渡って、殺陣が完璧を越えるレベルで完璧な殺陣を描けているのはもちろんのこと、それだけではなく、他の細かい様々なアクションにおいても、的確な描写が冴え渡っています。

 例えば、主人公がトドメの技を使う演出で尋常じゃなく腕に力を込めるカットを挟み込んだり、戦闘の最中に主人公が次々と竹を伐り跳ばしていく描写を入れたりといった具合です。こういう細かいカットや、細かい工夫があるおかげで、一つ一つのアクションに強弱の説得力が生まれているのです。だからこそ、さっきまで勝てなかった相手に、主人公が勝つことにも説得力が生まれています。

 こういう細かい工夫はハリウッドのアメコミアクション映画さえ、出来ていないことさえあるのです。それをほぼ完璧にやりきっている本作が、いかに素晴らしいのかがよく分かります。

 

 そして、話の筋書きや台詞もよく出来ています。脚本の練り上げには原作者も参加しており、かなり映画の作り手同士で相談をして、骨を折って、丁寧に作り上げていったそうなのですが、実際それだけの出来の脚本となっています。特に本作は、話のテンポがとても良いのです。

 無駄な時間経過の描写などは、基本的に全てポンポンと省いていく方針で話をつくっているらしく、「映画の時間は短く凝縮されていればいるほどいい」という考えを持っている自分からすると、その時点で既に本作への評価は高いです。

 愁嘆場でもぐだぐだされることなく、ちゃっちゃと終わらせて、次の話に展開させているため、見ていて単純に心地がいいのです。

 

 そして、なにより、語るまでもありませんが、本作をなによりも強烈に彩っているのは、原作を徹底的に再現しようと試みている美術と、そして、その美術に囲まれた俳優たちの堂々たる演技でしょう。この二つなくしては、本作は絶対にありえなかったはずです。

 

 ファンにとっては恐らく、最も懸念事項であったであろう、この二つですが、本作はその懸念事項であったはずの二つがなによりの美点に昇華しているのです。

 本作を鑑賞した誰もが思ったはずです。

 まさか、大沢たかお長澤まさみがここまでのことを出来る役者であったなんて、と。

 

 既に方々で語り草となっていますが、大沢たかお長澤まさみも今までの役者イメージを覆しかねないレベルでの強烈な転身を成功させており、実はその人自身に秘められていた「役者としての新しい可能性」すらも本作は掘り起こすことに成功しています。

 

 もちろん、それ以外の主役陣も、どれを取っても演技が素晴らしく、特に吉沢亮一人二役を演技だけできっちり演じ分けている姿はかなり印象に残りますし、その敵役を演じる本郷奏多の見事な悪役っぷりも光っています。

 

 これだけ素晴らしい本作なのですが、その上、「さすが、あのアイアムアヒーローを撮った佐藤信介監督だ!」と言いたくなるほどに、本作は映画の終わらせ方が光っています。映画好きとしては「そう、その終わらせ方だよ! そこで格好良くバシッと締めてくれるのが、最高なんだ!」と誰もが言いたくなったのではないでしょうか。

 少なくとも、自分はこの映画の終わらせ方はかなり好きです。

 

 後腐れがなく、粋で良いシメでしょう。

 始めから終わりまでぎっしりと傑作しかないーーそれが本作なのです。

映画感想:グリーンブック


【公式】『グリーンブック』3.1(金)公開/本予告

 恒例の手短な感想から

評判よりも更に良いかもしれない。

 といったところでしょうか。

 

 元々かなり評判の良い映画でしたが、実際に見ると評判以上に素晴らしい映画でした。ここまで素晴らしい映画ならば、もっと早くに見に行くべきだったなぁと後悔するくらいには、良い映画です。

 もちろん、本作は見た目どおり、そして、評判に違わない人種を越えた友情の話であり、人種に関する話であります。予告編で見た印象や、巷の評判から想像した内容から大きく逸脱しているわけではありません。

 ただ、その人種に関する話の掘り下げ方が、非常に深い考えのもと行われているのです。

 早い話が、本作は人種差別批判者たちが唱える薄っぺらい「黒人はかわいそう」論なんて一切唱えていない映画なのです。むしろ、黒人差別撤廃を訴える人の中には、本作を憎く思う人さえ存在しているはずです。

 

 そのことを象徴しているのが、本作の主人公であり、実在の音楽家でもある、ドン・シャーリーになります。はっきり言って、彼の存在は人によっては「黒人を差別している黒人」などと形容されていてもおかしくないはずです。

 そういった、悪い意味で人種差別に目ざとい方々からすれば、彼はホワイトウォッシュされた黒人に見えているはずだからです。黒人音楽をまったく聞いたことがなく、白人たちが作り上げたアカデミックな音楽教育を身に付け、あの時代にジャズもロックンロールでもなく、ポップスを弾いている彼は、そう形容されても仕方ない存在なのです。

 

 実際、劇中ではドン・シャーリーが「黒人の中でさえ、変に浮いてしまっている」姿が幾度となく描写されており、もう一人の主人公であるトニー・リップから口論の際に「自分の方が、よっぽど中身は黒人だ」と言われてしまったりしています。

 

 これはこの系統の映画において、本作が極めて突出している部分だと言えます。

 

 例えば、本作と比較してあげられがちな映画で「最強のふたり」なんて映画があります。本作もまた実話を基にした、黒人白人の友情映画なのですが、本作における黒人像はあくまで従来の黒人らしい黒人を強調したキャラクターになっていました。

 その「最強のふたり」の、さらに元ネタになっている映画として「ラウンドミッドナイト」というジャズをテーマにした黒人白人の友情映画もあるのですが、こちらでもやはり、黒人がジャズを弾いており、そして、酒に溺れ、やさぐれている設定で描かれておりました。

 

 この図式を本作は完全に破壊しているのです。

 

 言い方を変えれば、本作の作り手たちは、わざと本作が、いわゆる人権派を自称する人種差別批判者の"お気に入り"映画にはならないように作っているようなのです。実際、本作は物語の筋書きや、自分が挙げた上記の要素などについて、批判されている向きも存在しています。

 

 しかし、それこそが本作の狙いなのでしょう。本作は明らかに、白人側のみならず、黒人側に対しても「目を覚ませ」と必死で訴えている映画だからです。

 ドン・シャーリーの「黒人でも白人でもない自分は一体なんなんだ?!」という叫びは酷く絡まり合い、意地を張り合い、自らの過ちを認められない集団心理によって――互いに自分に都合の良いところだけ拾い合って罵り合うゲームと化した――現在の差別論争において、もっとも重要な前提を提示しています。

 人種がどうこうではなく、それぞれの人がそれぞれの人として、個人として存在できるかどうか、それこそが本当のゴールであるはずだろう、と。

 

 そういった意味で、本作グリーンブックは単なる人種を越えた友情映画とは一線を画しているのです。だからこそ、評判以上に本作は素晴らしいのです。

 周りの意見に埋もれながら、周りと同じことを言ってどや顔するだけなら、誰でも出来ることでしょう。

 しかし、周りの意見に埋もれながらも、そこから一つステップアップした視点から、意見を言えること。これは簡単ではないのです。

映画レビュー:廓育ち

廓育ち [レンタル落ち]

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 昭和32年初秋、売春防止法が施行される一月前ほどの時期、昔から続く廓(くるわ)の住人たちは、戦々恐々としていた。廓の商売はあと僅かばかりで、廃止か、あるいは別の娯楽施設に生まれ変わらなければならない時期に来ていたのだ。

 そんな中、主人公・たみ子は医局に勤める恋人と付き合っており、恋人とどうにか一緒になることはできないか、と気を揉んでいる。

 彼女は一日でも早く廓から抜け出したいと願っていた。

 母親まで満州慰安婦であったというたみ子は、母親は行方知らずのままで、小さい頃から廓の中で育ってきた、まさに廓育ちの女だった。「女に教育なんか要らん。男を騙すことだけ覚えればいい」と教えられ、12歳のころに70にもなるヨボヨボのお爺さんを相手に、色事を覚えさせられているような有り様だ。

 

 たみ子の恋人は、もうすぐインターンを経て、医者の国家試験を受けるという。それまで結婚の話はなしにしよう、と恋人から持ちかけられ、たみ子は渋々に承諾するのだが……。 

 

 本作は先日亡くなられた、名監督・佐藤純彌監督が手掛けた作品の一つです。佐藤純彌監督、というと、薄っぺらい映画ファンからは「新幹線大爆破のような、大味な大作を撮るような監督」などと半笑いで評されがちですが、それを評している人たちが、いかにいい加減なのか――それをよく知れる作品が、本作だと言えるでしょう。

 

 本作は激しいアクションなど一つも存在していない、静かなドラマ映画です。

 廓(くるわ)――つまり、昔の売春施設に纏わる文化や、生きている人たち、その人たちに関わった人たちの様々な姿や、それぞれが抱える複雑な事情や生い立ちによって生まれる複雑な感情を描くことに焦点を当てた作品であり、全体的に佐藤純彌監督の細やかな演出が活きる一作となっているのです。

 

 特に廓の人間たちの、女なら体を捨てて当然だと下衆な考えが常識となって染み付いている人たちの異様な姿と、その中でも、なんとかマトモな人間であろうとその常識に小さく抵抗する主人公のたみ子の姿の対比は、なかなかに見事なものです。

 構成も面白く、この映画は現在と過去を交互に挟んだ構成となっており、主人公がいかにして廓の中で育ってきたかという過去と、その廓がもうすぐ終わりを迎えてしまうという現在を交互に見せることで、より、廓文化の虚しさや、絢爛に見える京都の世界の影が強くなるように工夫されているのです。

 この構成は、近年の映画で言うなら、ブルーバレンタインととても似た構成です。*1

 

 実際この映画は、売春宿の栄光と失墜という対比の裏で、主人公のカップルが結ばれ、そして、別れていく姿も描写されており、下手をするとこの構成の見事さは、ブルーバレンタイン以上なのではないか、と思えてしまうほどです。

 

 その他にも、本作には、随所に見事な人間の繊細な感情が現れており、例えば廓のお抱え代議士が警察に捕まったと知って、不思議とケラケラ笑い出してしまう主人公の姿や、主人公と対比するかのように異常に廓の生活に馴染んでいる少女の顛末などは、なんとも人間や人生の奥深さを感じられるようになっています。

 人物ドラマを見たい方にはぜひお勧めの一作です。

3月に見た映画

・運び屋


クリント・イーストウッド監督・主演『運び屋』特報

・翔んで埼玉


[字] まさかのあの人も登場!? 映画『翔んで埼玉』予告編 日本語字幕

ブラッド・ファーザー

ブラッド・ファーザー(吹替版)
 

・ イップマン 継承

イップ・マン 継承(吹替版)

イップ・マン 継承(吹替版)

 

 

 

以上、4本です。3月中は忙しすぎて、映画館すら行けない状態でした。

4月は、さすがに余裕ができるので、もうちょっと見れるかなと思います。

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