儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:横道世之介


『横道世之介』予告編 - YouTube

(※絶賛評ではありません。酷評でもありませんが)

 

 

 

「ももいろそらを」の感想で「横道世之介よりも好き」と言ってしまったので、取り上げないわけにもいかないということで、取り上げます。
 僕自身の簡潔な評価を言えば、傑作、というのは言いすぎなんじゃないのかな。というのが正直な感想です。この時点で「私にはこの感想は合わない」とおもわれる方は、僕の感想は読まれなくてもいいです。
 ともかく、僕としてはそんなに良い映画とは思えませんでした。その理由をいくつか挙げていきたいと思います。


まず、一つ目はこの手の話って、別に珍しくないという点

 みなさん、この映画を青春モノの新たなマスターピースとして評価してらっしゃるようなのですが、僕にはそこまで新しいものには思えませんでした。確かに、映画としては新しいのかもしれません。ですが、映画以外のメディアで「この手の話」というのは、珍しくないです。「些細な、起伏の少ない"日常"を描いていく」という形式の話は、最近、一ジャンルとして確立されつつあるんじゃないかとすら思います。それくらい、この手のものは様々なメディアに存在しています。

 特に僕としては、横道世之介を見た際に、すぐに12年前のアニメ「学園戦記ムリョウ」を思い浮かべました。このアニメ自体はSF等も混ざっているアニメですが、"青春"の描写はかなりこれに近いです。どうでもいいような場面をいくつも挿入し、そのどうでもいいことが重要であるというテーマに繋げている点などは、非常に似ている。僕は、これを中学生のとき(2003年の再放送)に見てしまったので、横道世之介を見ても「中学生のときに見たよ、これ」としか思えませんでした。この映画が好きな人には申し訳ありませんが「2013年になって、今さらこれか」と。


二つ目は脇役がまったく映されていないというところです

 この話って、記憶の中にある、重要じゃないけれども些細な登場人物が、人生に微妙に影響を及ぼしているんだという話ですよね? 僕はそのテーマのわりに、このカメラの演出や撮り方になっているのには、疑問があります。なぜなら、「横道世之介という映画の些細な登場人物」にはまったく焦点が当たっていないからです。というか、背景の登場人物は、全員、背景としか描かれていません。例えば、世之介と阿久津が初めて会話するシーンの後ろにいる登場人物たち。二人があれだけ長く会話をしているのに、誰ひとりそれに反応しないまま、ずっと、なにやら紙とかを書いている。普通、こんな反応になりますか? 僕なら、前の二人がなんか仲良く会話し始めたら、少しその二人を気にしたり、嫌そうな目つきで見つめたりします。でも、この映画の「背景」の登場人物はそれをしません。なぜなら、背景としてしか処理されていないからです。その登場人物をちっとも重要視していないからです。

 それは普通の映画では、当然の事なのだと思います。普通の映画だったならば、演出として、『背景』にそんな余計な行動させるべきではありません。脇が気になって、見ている人が画面に集中できなくなってしまうからです。

 でも、この映画のテーマでそれをやっていいものなのでしょうか。僕は疑問に思います。結局、この映画は、些細な登場人物のことをちっとも重要視していない。世之介とその周辺だけ血と肉が通っていて、残りの人たちはみんな人形という状態だと思います。その証拠におそらくこの映画を見た人の大半は「サンバ部の方々の顔」なんて一切覚えていないと思います。部長でさえ、「あれ?誰だったっけ?」状態ではないでしょうか。些細な人が重要であるといっている映画で、些細な人たちの顔がまったく分からないというのは問題です。

 この映画を「普遍的に感じろ」というのは、僕には無理です。僕はそんなに大目に見て上げられるほど、性格のいい人間ではないからです。むしろ、見れば見るほど、背景の人たちのディテールがさっぱり頭に浮かんでこないこの映画は「横道世之介が特別な人間だから、誰にも愛されているんだ」といっているようにしか思えませんでした。

※実際、加藤も、自分の"相方"が世之介を知らないことを「損」と捉えていましたし(ここのセリフは映画化の際に勝手に付け足されたものです)、本当にこの映画の作り手は世之介が特別な人間なんだと考えて撮っているのかもしれませんが。普遍的と捉えようとした自分たちの前提が間違っているかもしれません。だとするなら、この批判は的外れになってしまいます。


三つ目に「演出があざとい」ということです。

 全般的に、演出はよくできていると思います。ただ、あちらこちらであざといです。僕にはやりすぎじゃないかなと思える部分がいくつかありました。特に、音楽の使い方。特に各々の登場人物が横道世之介のことを思い出すシーンで、毎回ピアノをポロロローンと流すのはいかがなものでしょうか。僕はこの演出に「はい、ここで必ず泣いてください」と映画から指示されているような気分になりました。あと、もう一ついうと、この演出、ネタバレすぎでしょう。そこはもうちょっと観客に感じるところを任せても良かったのではないでしょうか。ピアノなんか流さなくても泣けるでしょう。ちゃんとした観客であれば。

 あと、後半の祥子と世之介の恋愛描写も、演出や、話の流れ含めてあざとすぎて僕は嫌いです。はっきり嫌いです。どうにかコメディに落とそうとしている場面もありましたが、そのコメディへの落とし方も、すっごくラブコメ調でこれまた陳腐な方向に落としてしまっていると思います。互いの名前をしつこく呼び合うギャグなんて、十数年前のライトノベルに書いてあったようなギャグじゃないですか。いや、ライトノベルが悪いとは言いません。でも、この映画をラノベみたいなラブコメに落とし込んじゃうのは、ちょっとやめてほしいです。余計に普遍的な話に思えなくなってしまいます。僕は映画の後半は、ずっと「なんでこの二人が、こんな恋愛繰り広げているの…?」と引っかかりながら見ていました。雪の中でキスしたりとかする場面も(あのシーンを好きな人が多そうなので恐縮ですが)僕からすると陳腐です。ただ、どうやら、作り手側も自分たちの作り上げている恋愛描写が陳腐であることを自覚しているようで、途中で、自虐なのか、男女7人夏物語(トレンディドラマの元祖)のパロディが挿入されていたりしますが。(このパロディシーン自体は、好きです)

 

 大きく挙げればこの三つが主な理由です。この三つが引っかかって、僕はこの映画を手放しに絶賛することはできませんでした。いいところももちろんあると思います。僕は横道世之介の登場人物たちの、リアルな仕草が全て好きですね。風呂に浸かりながら顔を拭ったりするところなんかたまらない面白さがあると思います。あとセリフを微妙につっかえたりするところもいいです。吉高由里子がプールでビーチボールにのっかりながら、プカプカ浮いているところは下心が満載で、ニヤニヤしながら見ることもできました。ただ、それでも、三つの引っかかりを取ることはできなかったんです。

 

この映画の好きなシーン

・世之介が祥子と帰郷し、地元の友達と一緒に海岸遊びをしているところでかかる「CHAーCHAーCHA」

 これが男女7人夏物語のパロディなんですよ。

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