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儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:舟を編む


映画『舟を編む』予告編 - YouTube

※褒めてもいますが、かなり厳しいことも言っています。ネタバレも多少あり。

 

 

  感想としては、前半がとてつもなくつまらないが、後半は面白かった。といったところです。きっぱりといえば、1995年パートがあまりにも僕にとっては退屈でした。とてもではないけれど、面白くありません。2008、9年パートはそこそこの面白さを持っていましたが。

 まず、この1995年パート、やってる内容に中身が無さすぎだと思います。このパート、ようは「馬締(演・松田龍平)が辞書編集部に配属される」「西岡(演・オダギリジョー)と馬締が仲良くなる。そして別れ」「馬締と香具矢(演・宮崎あおい)が付き合うようになる」という、このたった三つの要素のためだけに存在しているといっても、過言ではないと思います。他は、せいぜい、辞書「大渡海」の編集をやめることになるかもしれない、というどっかのテレビドラマから取ってつけたような展開がちょっとあるだけで、あとは全てこの三つのドラマしか展開していません。

 もう、この時点で分かりますが。この映画、実は前半、ちっとも辞書をつくってないんです。最初に辞書の作り方を説明するシーンがあった後は、辞書作りというものは話の脇に追いやられます。「釣りバカ日誌」での、仕事を脇において釣りに出かけているあの感じに近いです。釣りバカ日誌は釣りが題材で仕事が題材じゃないからそれでも構いませんが、舟を編む辞書作りという仕事が題材のはず。辞書編集部の中での友情とか、辞書とほとんど関係性がない恋物語*1とか、そういうどうでもいいところばっかりを話の筋にのせていて、肝心の辞書作りは話の合間合間にやってるという状態であんまり関係ないんです。その証拠に、辞書を監修する先生、松本(演:加藤剛)が最初の二〇分以降、ほとんど出番がなく、どころか画面上にも一切出てこなかったりします。辞書の編集をやめることになるかもしれないというすったもんだの最中でさえ、監修のはずの松本が出てこないのは、どう考えたっておかしいと思うのですが……。しかも、すったもんだが終わったところで、急に画面に出てきて「それでは辞書をつくりましょう」って、しれーっとそれまで騒動を静観してました的な空気で喋っていて、すごいですよ。制作スタッフのご都合全開さが。僕はもはや感心しました。

 ご都合、という意味では他のシーンもすごかったですね。たとえば、馬締が西岡の異動を知ったときの行動とか。会社に通勤する途中で、西岡の恋人から西岡が宣伝部へ異動することを聞かされた馬締は、突然、バーっと走りだすんですが、このシーン、馬締がどこに向かって走りだしたのか説明が一切ありません。そして、バーっと走っていくと、その先にはなんと通勤途中で道端を歩いている西岡が……って、なんで通勤途中の西岡がそこにいることを馬締が知ってるんでしょうか*2作中、西岡から「気持ち悪い」といわれる馬締ですが、ぶっちゃけ、このシーンの馬締はもはや怪奇です。

 他のシーンでも、ご都合はあります。というか、これはもう単純に制作スタッフがミスったとしか思えないのですが、馬締は人と接するのが苦手で、なかなか話せないという設定のはずなのに、前述の辞書が作れなくなるというすったもんだの中で、馬締が電話を使ってハキハキと喋りまくるシーンが存在しています。みんなで一丸となっているという演出のためだけに、ご都合で馬締にそういう行動を取らせてしまっているのです。

 あとカメラワークにも文句があります。観客が注目すべき登場人物(そのシーンで会話をしている人等)を、画面の左奥に押し込めてしまっていることがあって、とてもじゃないけれど見づらいです。カットが変わるごとに「どこで喋っているんだ?」と一瞬迷います。せめて、画面の中心近くに持ってくるくらいはしてください。これは撮影の基本中の基本の話です。

 さて、ここまでは「舟を編む」ファンが怒るレベルでボロボロに貶してきましたが、ここからは褒めていきます。僕は冒頭で述べましたが、映画の後半、2008年になってからの展開は面白いと思っています。特に僕が好きなのは、夏場に、大学生のアルバイトとかが大勢いるところの描写です。

靴を脱いで足の親指で足の甲を掻き、髭ボーボーで汚らしくなり、汗をだらだらと垂らしながら何度も用例を確認している、アルバイトの学生たち……

ここの場面でようやくこの映画は辞書を作るところを本筋に入れたといってもいいと思います。彼らが汚い容姿の状態で、最後、作業が終わって嬉しそうに拍手をしているところは、本当に良かったなぁ良かったなぁと感慨深く思いました。

 あと、基本的に、前半の中身の薄さから考えると、びっくりするほど後半は話が濃いと思います。後半は、新しく、岸辺(演・黒木華)が辞書編集部に入ってきて、彼女がだんだんと辞書作りに加担していくさまを見せながら、前述の熱い夏場のシーンで辞書作成の話を盛り上げつつ、更に、西岡が辞書の宣伝をプレゼンしているなどの細かいエピソードをはさみつつ、辞書監修者である、松本に病の影が指していることを描写しているのですが、どのエピソードも辞書作りと密接に絡み合っています。細かいエピソードの中にも、馬締の妻となった香具矢と、松木の妻である千恵(演・八千草薫)が会話するシーンは、馬締夫妻の将来を暗示しているようにも見えるのでなかなかいいと思いました。ラストシーンも、……まあ、ちょっと蛇足のように感じる展開でもありますが、それまでの海のイメージを結びつけていて、よく出来ていたのではないでしょうか。*3

 ただ、まったく文句がないかというとそれは嘘で、文句もあることはあります。たとえば、松本が死んだ後の展開で、馬締が松本にお世話になった的な反応をしていますが、だったら、なおのこと、前半のすったもんだで松本を出すべきだったでしょう。おかげで、冷静に映画全体を見通してみると、馬締が松本に感謝している理由がよく分からないことになっています。この劇中では、松本は、馬締に対して「『恋』を用例採集しなさい」という命令と「BLという言葉の説明」くらいしかしてないのですが。*4

 更に言えば、この映画は対比が上手くないです。譬えば、1995年にも2009年でも出てくる居酒屋のシーン。ここ、なんで、1995年のときにあんなどこに注目したらいいのかわからない撮り方しちゃったのでしょうか。おかげで2009年の居酒屋のシーンで、14年の歳月というものがあまり感じられませんでした。時代が経過していることを表現するために、1995年と2009年で違うところをはっきりと見せるべきだと思うのですが、1995年のシーンの撮り方が曖昧すぎるから、差があまり分からないことになってしまっています。

 あと、根本的なツッコミをしますが、この話、辞書編集部から始まって、そこに西岡が居て、で、西岡から馬締に話の視点が移っていって、という序盤なのに、最後が馬締の視点で終わるのは、構成としておかしいと思います。馬締のところから物語が始まった方が良かったのでは……。

 こうして、挙げた文句を読めば分かったと思いますが、つまりを言えば、前半のせいで、面白い後半までも、その面白さを半減してしまっているところがあるんです。そこは、この映画の損しているところでもあり、かわいそうなところでもあると思います。

 

好きなシーン

・用例の再チェックが終わって喜ぶシーン。

 感想に書いたとおりここは素晴らしいです。

*1:「恋」という用例を採集するため、という理由はついていましたが、それだけではあまりにも関係性が弱すぎです。たった一つの用例を採集するためのシーンを、三十分も掛けて長々と描写して、それで辞書作りをしていますって描写には絶対ならないでしょう。譬えば「昆虫図鑑をつくる」という映画があったとして、で、延々と蝶を取るために、蝶がいる森の中に主人公が入っている描写が続いたとしましょう。それで「昆虫図鑑をつくっている映画だなぁ」って思う人なんてまずいません。普通は「蝶ばっかり描いていて、昆虫図鑑のことを完全に忘れている映画だな」と思うはずです。

*2:一応、その前に、通勤途中の西岡と馬締がばったり会って、馬締が後ろから話しかける、というシーンはあるんですが、そのシーンと上記のシーンは場所が違っていているので、完全に説明がつかないことになっています。

*3:ラストシーンと結びついていると書きましたが、この海のイメージ自体は嫌いです。既視感がすごくて……というか、松田龍平が夢の中で海に沈んでいくって、それ、まんま、塚本晋也監督の「悪夢探偵」じゃないですか。あと、ストーリー上、そんなに馬締が追い込まれているわけでもないだろう、というところでも、馬締が海に溺れるシーンを挿入していたりしているのでまったくもって意味不明です。

*4:「きっと12年間の間に色々あったから、馬締は松本に感謝しているんだよ」という人もいるかもしれません。ですが、そういう人に僕は言いたいです。色々あったから、感謝しているんだよっていう、その「色々あったから」で済まそうとするのを、ご都合っていうんですよ!

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