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儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画レビュー:アダムスファミリー2


Addams Family Values (1993) Trailer - YouTube

 

 

 

 アダムス・ファミリーは、チャールズ・アダムスが「ザ・ニューヨーカー」に掲載していた一コマ漫画シリーズです。連載中は、ほとんどの登場人物の名前が明かされず、設定も明かされず、アダムス・ファミリーというタイトルもなかったそうで「ただ、なんとなく奇妙なことをやっている、ゴシックホラーコメディの一コマ漫画」だったんですが、途中でTVシリーズになるということになって、ふらっとついたタイトルが「アダムス・ファミリー」だったのだそうです。

 今回レビューするのは、そんなアダムス・ファミリーの劇場版シリーズ二作目です。

 この映画、大変素晴らしい、ブラックコメディとなっています。もちろん、ブラックコメディは単純なコメディとは違い「知識があること」が前提として作られているので、ひょっとしたら人によっては「これはよく分からなかった」という人もいるかもしれません。が、おそらく、大抵の人にとってはとても面白い映画として見ることが出来るのではないかと思います。

 とてもシンプルで分かりやすいストーリー展開に、その都度、ちょいちょいと入れられているジョークのセンスが非常に効いています。ちょっと、冗談のキツいところもあったりして、たとえば子どもたちがギロチン台遊びをしているところに、フランス国歌が流れたりするところもあるんですが、その冗談が少しキツいところが大人の笑いを誘ってしまいます。

 今作では、主役として、特にウェンズデイ・アダムスに焦点が当たっているのですが、彼女を中心として繰り広げられていく話も非常に素晴らしい。この話はアダムスファミリーの本質に迫る、優れた話であると思います。この話を書き上げた脚本家はポール・ラドニック。彼は、ユダヤ系でしかもゲイという、マイノリティの中でも特にマイノリティであるという人なのですが、おそらくは彼の個人的な思いも大変強く反映された話なのでしょう。

 アダムスファミリーとは、世間では良くないこと悪いこととされていることを良いことだと思っている家族です。だから、ゲテモノが好きだし、処刑台や拷問具を作って喜んだりします。ですが、実は、彼らはそれ以外は至って普通の家族なのです。いえ、普通の家族よりも温かい家族です。価値観が変わっているだけで、そこにある愛や優しさは普通の人となにも変わりません。愛や優しさがあるからこそ、価値観の違いによって、こちらには信じがたい奇妙な行動に出てしまう彼らに、クスっと笑えてしまうんです。そのムチャクチャな行動の根底には、一般の人達となにも変わらない感情がある、それが見えるからこそアダムスファミリーは面白いのです。戦慄しないのです。

 ポール・ラドニックは、このアダムスファミリーの肝に、自らの身の上を投影させたのでしょう。ウェンズデイ・アダムスは、外の世界によって、その「価値観」を矯正させられそうになります。同調圧力による「個性の排除」といってもいいでしょう。

 しかも厄介なのは、その同調圧力は「善意」のもとに行われているんです。別に周りの人達はウェンズデイ・アダムスのことを「心底から憎んで」矯正しようとしているわけではないんです。(もちろん、多少憎んでいる人もいますが)明るくあったり、笑顔を常に浮かべていることはいいことで、笑顔じゃなくてぶすっとしている彼女は良くないという理由で、笑顔を良いものと思っていない彼女の価値観を破壊しようとするのです。

 そこでウェンズデイ・アダムスはなんと言うのか?

 そして、このウェンズデイ・アダムスの話と並行してもう一つ進められていた、フェスター・アダムスの話で、最期に『彼女』が言うことに、あなたはどう思うのか?

 

 この映画は最終的に、アダムスファミリーを通して「価値観」や「善悪の基準」というものを揺さぶろうとしているんだと僕は思います。

 ぜひ、見てください。

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