儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:ヴィオレッタ


映画『ヴィオレッタ』予告編 - YouTube

 

ものすごい映画だった。

 

短くこの映画の感想を表すとこうなると思います。とにかく、この映画にはいろんな想いやテーマや美しさや醜さがたくさん詰められていて、そして、その全てが受け手側に任されています。

 ある人は、この映画を表現の自由という問題に、芸術家が向きあおうとした作品であるようにも読み取れるかもしれません。また、ある人には、愛することや、愛って一体どういうことなのかとそこを描いた映画であるようにも読めるかもしれません。親と子という特殊な人間関係に、究極にスポットを当てたものであるようにも読めるかもしれませんし、芸術の世界という理想を理由に、現実をここまで変えてしまっていいのかという話であるかのようにも読めるかもしれません。もっと単純に、芸術と現実という問題を扱ったのだと考える人もいるかもしれません。

 いずれの読み方をしても、この映画が強烈に頭に残るものであることは間違いないです。

 ヴィオレッタの気持ちをいつまでも理解しようとしない母親へのもどかしさ、そして、理解してくれない母親への悲しみ。娘を愛しているはずなのに、全ての愛情があまりにも身勝手になってしまう母親。それを癒してくれる祖母という存在。娘を芸術的に、凡人ではないものへ育てようとする芸術家の母親と凡人らしい厳かな生活を送らせようとする祖母の対立。

 この映画、美術や衣装などは、全てまさに芸術的に綺麗に整っており、ある種「お伽話」のような印象を受けてもおかしくないほどのものなのですが、そこに描かれている人物たちは、全てが妙にリアルに感じられて仕方ないものでした。劇場でも、この葛藤に共感して泣いてしまう女性がチラホラと見受けられました。それほどのリアルさだったのです。これも、映画のモデルである、イオネスコ親子のエヴァ・イオネスコ――つまり、本人――が映画化してるからこそなのでしょうか。

 エヴァ・イオネスコがモデルとなっている、主人公、ヴィオレッタを演じるのは、この映画が初主演というアナマリア・ヴァルトロメイです。この映画は、彼女の異常といえるほどの大人びた雰囲気無しでは成立しないものだったでしょう。ただ、少女がエロチックなので物語に説得力がある、というだけでなく、彼女という存在がいるからこそ、この映画自体が「ものすごく矛盾した存在」であることを示してもいるからです。

 冷静に考えてみれば、この映画を通じて、エヴァ・イオネスコはイリナ・イオネスコから施された様々なことを、彼女に施してしまったわけですから。しかも、芸術のためという名目で。それは物語内における、ヴィオレッタと母親の関係とまったく同じです。この「ヴィオレッタ」という映画の物語は、「ヴィオレッタ」という映画の存在自体を大きく矛盾させているものです。

 しかし、だからこそ、この映画は誠実だともいえます。そして、その矛盾があるからこそ、見ている間中、いろんなことを考えさせられる映画となっているのだと思います。これは、アナマリア・ヴァルトロメイという存在がいるからこそ、出来たことなのでしょう。

 ラスト、ヴィオレッタは一体どちらへ向かっているのか、母親の元へ行っているのか、それとも母親から逃れようとしているのか、そのどちらであるかは明示されてはいません。どちらへ向かっているかは観客自身の解釈によって大きく変わると思います。 

 ただ、確実に言えるのはラストからエンドロールにかけて流れる音楽は、耳にずっと残り続けるだろうということです。

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