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儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:リアリティのダンス


映画『リアリティのダンス』予告編 - YouTube

 

さて、そういうわけで早速、簡単な映画の感想から書きます。

いや、やっぱりホドロフスキーとんでもない。

といった感じでしょうか。

 

 アレハンドロ・ホドロフスキーという人の映画は、本当に「なんだかよく分からないけど、良く出来ている」という評価しか下せないものが多いと思います。エル・トポしかり、ホーリーマウンテンしかり、全ての映画がとにかく、ヘンテコなのです。

 通常、この手の『ヘンテコ』な映画というのは、監督本人以外は誰も一シーンも理解できないほど、表現自体が難解で、なにが言いたいのかよく分からないことが多いのですが、ホドロフスキーの場合、案外、一シーン一シーンの意味などはかなり分かりやすくできています。というか、正直、表現としては一歩間違えると「お馬鹿映画」の領域に入ってしまうのではないかと思うほど、安直な比喩表現をバンバン使いまくります。一歩間違えればエド・ウッドになってしまったかもしれないようなスレスレの表現が連発されます。

 だけれども、不思議なことに映画全体を俯瞰すると「まったく訳が分からない」そして、「異様なほど面白い

 安直に表現しているはずなのに、映画が終わって、いろいろな場面を思い返してみると「あれ…?これって、一体なんの映画だったんだろう?」と首を傾げることしきりです。

 しかも、面白いと感じて見ているこっちも「一体、なにを面白いと思っているのかよく分からない」ことがとても多いです。ホドロフスキーの魅力は本当によく分かりません。

 体の一部を欠損した人や、性器でさえ平気でカメラに映してしまう、見世物小屋的な要素としての面白さで映画が保っているかというと、そうではありません。確かにそういった見世物小屋的なものも、映画には登場するんですが、これ見よがしに見せようとはあんまりしないし、事実、映画全体から考えると、そういったシーンはちょこっとあるだけです。また、グロテスクな描写で観客を惹きつけているのかというと、これも違います。では、強烈にサイケデリックな描写をバンバン入れることで、魅せているのかというと、実はこれも違って、そんなにサイケデリックではありません。もちろん、極彩色で画面を構成するところはサイケデリックですが。いかにも芸術映画といった、シュールな場面、エポックメイキングなところで勝負しているのかというと、実はこれも違います。確かに、シュールな場面は多いですし、間違いなく芸術映画です。ですが、それと同時に、実はやたら人の涙を誘うようなエンターテイメント映画のような側面も持っています。

 つまり、それくらいホドロフスキーの映画というか、なんだかよく分からない映画ということなのですが。

 

案の定、リアリティのダンスもそういう映画になっています。

 

 話としては、アレハンドロ・ホドロフスキーの幼少期を語った映画――ということになっていますが、後半は完全に、アレハンドロ・ホドロフスキーの父親が主人公にすり替わっています。ハッキリ言って、原作となっているホドロフスキーの自伝小説「リアリティのダンス」とはあんまり関係がないです。かなり、最初らへんに書かれている描写だけが関係あるといった程度です。

 舞台は、第二次イバニェス政権下のチリです。*1この当時のチリは深刻な「インフレ不況」に陥っており、それをまったく解決させることができず、簡単な話、国自体が経済的な困窮に陥っていました。

 そこを舞台に、上記のような、ホドロフスキーの「よく分かんないんだけど面白い」物語が繰り広げられるようになっています。非常に人を選ぶ映画であることは間違いないでしょう。

 ただ、ホドロフスキーの過去作を面白いと思った人ならば、誰もが一瞬で虜になる映画であることは間違いがないです。

 

*1:おそらくは、インフレの描写から55年~56年だと思われます

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