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儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

変則映画レビュー:誰がマーニーの日記を破いたのか。

変則的記事 映画感想 好評・絶賛評


「思い出のマーニー」劇場本予告映像 - YouTube

 

 ジブリ最新作、「思い出のマーニー」を鑑賞してきました。「脱・宮崎駿」という宣言が高らかと打ち上げられ、事実として、制作の体制といい、題材にしている小説といい、明らかに今までのジブリとは、一味違う作品になるであろうことが謳われていた本作でしたが、簡単な感想としては「見事な脱・宮﨑駿映画だったな」と思います。

 かなり僕としては、好きな映画に分類されるものでした。日本が舞台でありながら、実はどことなく、イギリス映画やフランス映画のような雰囲気を携えている、とても不思議な感触のする映画です。

 さて、そんな素晴らしい本作だったわけですが、少し、細かい描写を見て、気がついたことがあったので、そちらの方をちょっと、変則的なレビューとして書いてみたいと思います。

 題して「誰がマーニーの日記を破いたのか

 

(※ここから、先は完全ネタバレありのレビューになります。あと、これはあくまで”僕の見解”であり、一般解ではない、ということも注意しておきます。)

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 最後まで、思い出のマーニーを鑑賞して、自分が気がついたことがあると書きましたが、その気がついたこととは、とてもシンプルなことです。タイトルにもあるとおり「一体、誰がマーニーの日記を破いたのか」ということです。映画、中盤~終盤にかけて登場する、マーニーの日記、あれは主人公の杏奈の祖母であるマーニーが、少女時代に書き残した日記でした。

 ですが、あの日記、劇中に登場したときには、途中からのページがごっそり破かれていました。そして、破かれた途中のページは、映画のクライマックス近くになって発見されます。あの日記、一体、誰が破いたのでしょう。映画を最後まで見ても、実はここがハッキリしていません。

 

 あの日記、マーニー自身が破いたのでしょうか。いえ、それは違うでしょう。なぜなら、破かれたページに書いてあるのは、彼女にとって、とても大事なものである、カズヒコとの思い出だからです。それに、あの日記は、古くなってから破かれていることが分かります。しかも、その後で破かれた途中のページが見つかったことからしても、あれは比較的最近になって破かれた日記であることがよく分かると思います。

 では、日記を見つけたあの少女が破いたのでしょうか。それも違うでしょう。それなら、途中でなんで自分で破いたカズヒコのページを自分で見つけ出したのか説明がつきません。また、少女は、日記を見つけた時点では、マーニーが一体誰なのかよく分かっていませんでした。杏奈をマーニーだと思っていたことからもそれは明白です。

 となると、残りは一人しかいないことが分かります。

 そうです。杏奈です。

 事実として、杏奈はマーニーをカズヒコに取られてしまうことを恐れていました。マーニーとカズヒコが話しているところを嫉妬深げな目で見つめています。彼女だけには、マーニーの日記でカズヒコのことが書かれてある部分を破り取ってしまうだけの動機が存在しています。

 ただ、そうすると、とても強い疑問が浮かぶと思います。「一体、いつ杏奈があの日記を読んでいたのか」という疑問です。それに杏奈は最初にマーニーの日記を少女から見せられたとき、自分の空想が生み出したマーニーと偶然にも一致していることに驚いています。そのときに既に日記は破かれていましたから、杏奈は違うのではないかと思えるでしょう。……一見すると。

 ですが、そもそも、杏奈は一体どうして、マーニーのような少女を空想してしまったのでしょうか。日記とぴったり一致するような少女を偶然で空想できた、とは考えづらいです。ここを、映画を最後まで見た人は「幼いころにマーニー自身から、マーニーの話を聞かされていたから…」と普通は考えるでしょう。

 ですが、実は、それが全てではないことが劇中で何度か示唆されています。そもそも、杏奈が最初に空想していたマーニーは、どうも、祖母のマーニーではないようなのです。

 杏奈が少しだけ回想する、自分の幼い時の場面に示唆されています。幼少期の杏奈が腕に抱えている人形が、マーニーと全く同じ髪型と服装をしているのです。そう、最初、杏奈が空想して作り上げたマーニーの姿は「彼女が幼いころ、大事に抱えていた人形」の姿をしているのです。

 彼女が作り上げたマーニーの姿、実はもともと人形なのです。

 人形というのは、誰にとってもそうですが、究極に理想的な自分の友達です。どんなときにも自分の気持ちを理解してくれますし、反論も言うことがありません。つまり、最初、杏奈は祖母の少女時代とかそういったものとは一切関係がなく、自分のただの理想の友達としてマーニーを作り上げたのです。

 

 おそらくは、杏奈は、日記に書かれてあるマーニーと自分の人形を重ねあわせて、自分にとって最も理想的な友達を作り上げたのでしょう。ただ、日記には最終的にはマーニーが本当に思いを寄せる、カズヒコのことが書かれてあり、カズヒコという存在は杏奈にとっては邪魔でしかなかったので、日記を破いて、その部分を隠してしまった……。

 

 ――と、ここまで書いてしまうと、僕のただの妄想になってしまいますが(笑)、近いことはあったのだろうと推測できます。つまり、早い話、実は杏奈は「少女からマーニーの日記を見せられる前から、既に日記を読んでいたのではないのか」と考えられるのです。

 なぜ、劇中にそんな描写がないのに、そう考えられるのかと思う人もいるでしょう。それは一重に、杏奈がマーニーに関しての出来事をよく忘れるからです。劇中でも、一回、マーニーのことを忘れかけているシーンがありましたが、このように杏奈は、マーニーに関しての、自分の行動をよく覚えていないことが劇中、とても多いのです。実は、映画中のクライマックスにあたる、サイロでの出来事も、杏奈はさりげなく「よく覚えていない」と言っています。

 日記についても同様で、杏奈は一回すでに読んでいたことを自分の記憶から消してしまったのではないでしょうか。そして、自分の完全なオリジナルの空想で作ったのだと思い込んでいる状態だったのではないでしょうか。そう考えると、マーニーの日記が破かれていたことにも、上記してある僕の妄想*1のような感じのことがあったのだろうと上手いこと説明が付けられます。

 

 そして、この前提があることでサイロでのクライマックスのシーンの意味合いも、だいぶ違うものであることに気付けます。杏奈がサイロで最初助けようとしていたマーニーは、空想の中で作り上げた自分のマーニー(人形マーニー)です。このマーニーは杏奈を頼りにし、杏奈に寄り添うマーニーです。対して、杏奈がその後で夢うつつな中で見た、カズヒコに救出されるマーニーは、彼女が赤ん坊のころに聞かされていた本当のマーニー(祖母マーニー)です。もともと、マーニーの日記には、カズヒコがマーニーを救出したことは書いてありませんでした。あの場面だけは、祖母から聞かされていた、杏奈しか知らない物語です。

 あそこで、杏奈の中にいるマーニーが入れ替わったのです。杏奈が作り上げた「自分にとって都合がいいマーニー」から「祖母から聞かされていた本当の姿のマーニー」へと。そして、杏奈は本物になったマーニーと夢の中で対峙し、「本当の姿」になったからこそ、マーニーは、杏奈に告げるのです。

 「あの場面にあなたは居ないはずだった」と。

 杏奈はそれを受け入れることで、波に飲み込まれます。僅かな時間ですが、波に飲み込まれた杏奈は、すぐに苔の生えている小さい島へと上がり、マーニーの方を目をやります。すると、曇天だった空がさーっと晴れるのです。

 これは非常に、通過儀礼的な描写です。

 自分にとって都合がよくないマーニーの姿を受け入れることで、彼女は、通過儀礼を超え、一つ人間として成長したのです。

 

 「一人の少女の葛藤と、成長」そこにほんの少しだけ支えとなった「祖母の愛」

 思い出のマーニーはそういう映画であったと思います。

*1:あの妄想自体は酷いものですが…笑

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