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儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:バードマン(あるいは、無知がもたらす予期せぬ奇跡)

映画感想 好評・絶賛評


映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』日本版予告編 - YouTube

※ネタバレ全開です。注意。

 

 

恒例の手短な感想から。

これは、よくある”ただの虚実綯い交ぜ”映画ではない!そして、傑作だ!

といった感じでしょうか。

 

 素晴らしい映画を鑑賞したと思っています。元々、マイケル・キートンが演じるバットマンがとても大好きで、そんな興味で見に行った僕なのですが、内容は、期待をはるかに上回り、かつ、かなり予想していたよりも違う方向で素晴らしい映画となっています。

 この映画は、ハッキリ言えば、人が言う「本当」「本物」「リアル」――虚実のうち、虚ではないものとして挙げている”実”とは、一体なんなのかを追及している映画です。

 レイモンド・カーヴァ―の劇を、かつてハリウッドでスーパーヒーローを演じた俳優が、プロデュースし、劇を演じようとする、そのさなかに起こったさまざまな出来事を、絶え間なく描いていく内容であり――かつ、そのスーパーヒーローを演じた俳優を演じているのが、現実にも、かつてスーパーヒーローを演じたマイケル・キートンという時点で、大抵の人ならば、この映画がそういった虚実綯い交ぜにされた映画であることは見る前から予想できると思います。

 ただし、この映画は、ただ虚実を綯い交ぜにしている映画ではないのです。それ以上になによりも、「虚、実」というそのもの存在がなんなのかを問うている映画なのです。つまり、最近流行っている虚実綯い交ぜの映画の大抵は、実と虚の境目――境界線が曖昧だという話に終始するだけなのですが、この映画は、それよりも、更に根源的な「虚」と「実」その二つの存在をもう一度見つめなおした映画なのです。

 分かりやすく言いますと「虚実、虚実と人は言うけど、虚にしても実にしても、僕たちの指している虚と実は、実際の、”虚と実”を指しているのか?」を問うているのです。

 

 たとえば、劇中で主人公は、レイモンド・カーヴァ―に自分の劇を褒めてもらったことがきっかけで、レイモンド・カーヴァーの劇をやったのだと説明するとき、こう言われてしまいます。

 「カーヴァーは酔ってたんだよ」

 つまり、レイモンド・カーヴァ―が本当に劇を良いと思って褒めたかどうかは怪しいと暗に言っているのです。カーヴァーが劇を褒めたことを示す紙は、確かに”実”として存在しているけれども、その内容自体は”虚”かもしれないと。本当に存在している”実”であるはずなのに、虚ではないかと疑われてしまうのです。

 

 また、別の場面では、劇中で主人公が酷く打ちひしがれ、自分の楽屋で暴れまわっていると、友人がやってきて彼に嘘を言い、彼を励まします。共演の女優たちも主人公の様子をうかがいながら、タイミングを見計らって、さっと部屋に入って「明日は夢にまで見たブロードウェイだわ」なんてふうに、おどけてみせます。二人とも、主人公の前で「演じている」のです。主人公を励ます役を。

 実際、楽屋に入るタイミングを窺っている彼女たちの様子は、まるで舞台袖で劇に入っていくタイミングを今か今かと待ち構えている女優の姿とそっくりです。舞台に上がっているわけではない、”実”の世界にいながら、彼らはなぜか”虚”になっているのです。

 そして、あれだけ打ちひしがれて、心の中の”自分”と葛藤していながら、人にちょっと「スコセッシもこの舞台を見に来るぞ」と言われてあっさり機嫌を取り戻してしまった主人公――彼の葛藤自体、どこまで本当に葛藤してやっていたことだったのかは怪しいものです。本当に葛藤していたところもあったのでしょうが、それと同時にあの葛藤の中には大げさな嘘も含まれているように思えます。

 

 更に、別の場面。緊急の代役で呼ばれた舞台俳優が、主人公の娘と話しているとき、彼はタバコなんか吹かして格好をつけて、誰がどう見たって演技しているようにしか見えません。事実、彼は「舞台でしか自分を出せないんだ」なんて吐露したりしています。彼は実の中で虚を演じ、虚の中で実を演じていると自分自身では言っているのです。

 ただし、このセリフは前述のように「格好をつけて――格好いいやつを演じたうえで」言っていることなので、このセリフ自体が、どこまで本当の事なのかハッキリとしないのですが…。

 

 その他、この映画の中には、このように、たくさんの「本当でも嘘でもないもの」がよく登場してきます。そうして、「”虚実”のうち、僕たちが"虚"と呼んでいるもの、"実"と呼んでいるものは、そもそも本当に"虚"なのか、"実"なのか」が繰り返し、作品の中で問われ続けるのです。

 

 この映画の最後で、主人公が公演した最後の劇は批評家によって「無知がもたらす予期せぬ奇跡」として、スーパーリアリズムであると褒め称えられます。この批評家が「スーパーリアリズム」だと称えた、"リアル――実"は果たして本当の現実を捉えて評しているのでしょうか。

 

 現実の僕たちだってそうです。僕らは、常に、自分が望む自分と、かつ周囲が望む自分の二つを自分なりにバランスを取った形で存在する「なにか」を、周囲や自分が変わるたびに、形を変えながら、演じ続けています。

 

 しかし、勘違いしてはいけません。演じ続けているからといって、じゃあ、自分の言っていることの全てが嘘なのかというと、そうではないです。

 確かに嘘もありますが、本当もあります。

 自分自身にさえ、その区別は容易でなく、ときとしてまったく見分けることが出来ないのだけれども、どちらも確かにあるのです

 

 バードマンはその全てをひっくるめて「全てが実であり、虚であるのだ」と結論付けている映画です。それこそが、本当の意味での”正しい現実”であり、それを描いたこれは「スーパーリアリズム」なのだ、と。だからこそ、この映画のタイトルには劇中で批評家が使った批評のタイトル「無知がもたらす予期せぬ奇跡」が冠されているのです。

 

 

 

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――私の嫌いなものがまた出てきた。本物主義というやつだ。本物のレストラン、本物の人たち、本格的なもの、本当の人生なんて、これ以上の偽物はない。人生は、もっと違う場所にある。

 引用:ダニー・ラフェリエール 吾輩は日本作家である

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