映画感想:007 スペクター
恒例の手短な感想から
作り手の意図は分かるのだけど、出来としてはちぐはぐ
といった感じでしょうか。
作り手の意図としては、かつてのボンド映画の完全復活を狙おうとしているというのが、とても目立つ映画となっています。スカイフォールもその気配がありましたが、今回はその比ではありません。いきなりオープニングシーンから、とある過去のアクションコメディー映画(ジャッキー・チェンも影響を受けている金字塔のあの映画シリーズ)のオマージュから始まるところからして、懐古主義と宣言しているようなものです。かつての、それも80年代より更に前の、60~70年代アクション映画に、007シリーズを戻そうとしている意思表明が感じられます。
事実として、サブタイトルにある"スペクター"はかつて007シリーズで登場した敵対組織の名前であり、言ってしまえば、アメコミにおけるヒドラみたいなものです。ショーン・コネリー時代のボンドは事実上、この組織に所属する敵との戦いになるのが、ほぼ毎回でした。*1それが堂々とサブタイトルに冠されたという時点で、作り手の意図は明確に打ち出されているといえます。
ショーン・コネリー時代のボンドの復活。現に、敵のボスの名前も”ブロフェルト”と、キッチリかつてのスペクターに設定を合わせているので、007シリーズは今後原点回帰して、この路線で突っ走っていくという宣言をしている映画とも言えます。
なおかつ、映画の内容は、実はコメディ要素も多く、前述したコメディー映画オマージュから始まったところといい、要所要所、馬鹿馬鹿しいようなお笑いの場面が組み込まれていて、ロジャー・ムーア時代の007に近い印象を覚える場面も多いです。つまり、ロジャー・ムーア時代のボンドの復活も同時に意図されています。
その他にも、様々な場面で「あれ、この人、ジョーズっぽくない?」とか「オッドジョブ…?」とか「サメディ男爵…?」とか、そんな感じで往年、とても印象深い敵役を意識したと思われるオマージュ描写などが入っていまして「ここまで昔のボンドの復活を目指すか」というレベルでそれを目指しています。
さらに、単なる原点回帰で終わらないために、最近のボンド映画ではよくあった時事性のある物事がテーマとなって、それを操ろうとする敵とのボンドの対決という、最近のボンド映画のフォーマットも、キッチリ守られています。事実、Qは前作で交代したとおり、ものすごく若々しい*2青年のままですし、話の要所要所が、どことなく虐殺器官的というか――そんなところも見受けられたりする映画になっています。
さて、こうして、様々なこの映画の中に込められた要素、作り手の意図を開陳していきましたが、こうして並べてみて、この記事を読んだ方は一つ疑問が出てくると思います。
こんな複数の、まったく違う方向性の、要素やテーマや話を一つの映画にまとめるって、それは作品として成立するのか?という疑問です。
そのとおりです。この映画、そこが全く成立してないです。
一つの映画として見た場合、この映画を一体どう見たらいいのか、まったく分かりません。コメディシーンがあったかと思えば、なんとなく、陰謀的な話が渦巻いて、深刻そうなシーンがあったかと思えば、優雅な描写が出てきたりして……と、各シーンの方向性がバラバラすぎて、そして、目まぐるしすぎて、見ていてとても疲れます。
そして、見終わった後に「制作陣はなにがしたかったのか、どういうボンドを目指しているのか、よく分からない!」という一言が残ってしまうのです。
一応、ラストの展開などは、演出編集や伏線等がよく出来ていて、盛り上がったりもできるのですが、全体としては(007シリーズだとしても)引っかかるところも多いかなという映画になっています。