映画感想:I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE
映画『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』日本語版予告編
恒例の手短な感想から
ピーナッツによく似ている、でも、確実にピーナッツじゃない映画を見させられてしまった…。
といった感じでしょうか。
ピーナッツの久しぶりの映画ということで、ピーナッツ愛好家というわけではないけれども、それなりにちゃんとした思い入れのある僕としては、「これはどんな出来でも行かなきゃダメだろう!」というわけで、行ってきました。
「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」
まず、なんで、男である僕がピーナッツに対して、それなりに思い入れがあるかと言いますと、端的に説明して、実はピーナッツという作品、どちらかというとボンクラな人向けの作品だからなんです。
主人公の飼い犬である「スヌーピー」のイメージが強すぎるせいか、パブリックイメージ的には「癒し系」で「ゆるふわ」な物語だと思っている人も多いかもしれませんが、実際には、チャーリー・ブラウンという、なにをやっても上手くいかない、全部の行動は逐一裏目に出てしまう、根暗な男の子を中心とした、なんだか大人の世界とは異なるヘンテコな子どもの世界が主な軸であり、結構、話自体はネガティブ思考で、ちょっとブラックな内容であることが多い作品なのです。
もちろん、それだけではないのですが、特にピーナッツがいろんな人にウケた大きな理由は、チャーリー・ブラウンというネガティブ思考のダメな男の子と、それを取り巻く子どもたちの、良い意味でも悪い意味でも純粋で、利己主義的で、まさに「子ども」なところが、”奇妙なおかしさ”を持っていたからです。
で、今回の映画なんですが、この部分が……なんだか変なのです。
確かに、基本的には、ピーナッツに忠実といえる映画なのです。ピーナッツの「様式美」とも言える、お決まりのやりとり等を上手に駆使していますし、絵柄もCGでありながら原作らしい感じにおさまっていて、画面としては納得できるのです。
チャーリー・ブラウンも、案の定、失敗ばかりです。が、あくまで「基本的には」なんです。実は、今回の映画はそれだけに終わっておらず……。
ネタバレになるので、詳しくは書きませんが、言ってしまえば「水戸黄門の映画で、黄門様の印籠が効かない的な描写」をこの映画は、なぜか、頻発しているのです。
チャーリー・ブラウンに限らず、様々なキャラクターが「それ、普段悪いコトばっかしてるやつがいいコトしたら、とても感動できる、みたいな反則技だよ?」ということを、やりまくっており「こんなのピーナッツじゃない!」という内容になってしまっています。
そして、最後のアレ。そもそも、この作品において、あの子の姿をハッキリ見せるのって、結構ギリギリアウトのような気がしてしまうのですが…。挙句にチャーリー・ブラウンも、結果的に「こんなのチャーリー・ブラウンじゃないよ…」と言わざるをえないような行動をする始末で……。
総じて、今回の映画、「ピーナッツの表面的な部分はよく守っているのだけど、各キャラクターの解釈がことごとく間違っている」と思うのは僕だけでしょうか。ピーナッツっぽいのだけど、本来のピーナッツより登場人物が常識的すぎておかしさがないと言いますか…。もっとピーナッツの登場人物って、現実に居たらウザったくて面倒くさそうなくらいに、癖のあるキャラクターが揃っていたと思うのですが…。
あと、もう一つガッカリしたのはBGMです。スヌーピーのBGMは全編、ジャズ調(それも小編成でハードバップ気味)という、そこそこ渋めなBGMで統一されていて、そこが少なくとも従来のアニメ版における持ち味になっていました。が、今回は、途中でバリバリのポップスが掛かったりしていて、なんだかそこもピーナッツのあの独特な雰囲気とかけ離れてしまっています。確かに「今の時代的に、元のBGMのままだと不味いかも」という憂慮も理解できるのですが…。
こんな感じで「見た目はとてもピーナッツっぽく作られているのだけど、なんだか根本的なところを大きく取り違えているとしか思えない」というのが、今回のピーナッツ映画だったなと、そう思います。