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儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:キングスマン


映画『キングスマン』US版予告

恒例の手短な感想から

もはや、マシュー・ヴォーンは恐ろしい!

といったところでしょうか。

 

 マシュー・ヴォーンは恐ろしい、というこれに尽きると思います。もちろん、原作のアメコミ「キングスマン」の面白さも、この映画の面白さの要因ではあったりするのでしょうが、それでも、マシュー・ヴォーンでなければこの映画はどうなっていたことかと思います。それくらいに難しいバランスの話で――それを、見事に形にしてしまったのですから、本当にマシュー・ヴォーンは恐ろしいです。

 この映画は、一見すれば、パロディ映画であり、全体としては、軽いコメディタッチのものです。が、その実のところ、敵の戦略が異様なほどに巧妙で、かつ、はっきり言って伊藤計劃のSF小説を思い浮かべてしまうほどに、現代でも"最新なSFガジェット"を余すところ無く使い込んでいたりと、非常に難しい要素も多く入っています。なおかつ、実は軍隊訓練もの的な要素も含んでいたりします。それくらいに複数の要素が、実に奇妙なバランスで混ぜ合わされている映画なのです。

 それも、話の筋書きだけに留まらず、演出の面でも、この映画はこの奇妙なバランスが遺憾なく発揮されているのです。

 深刻なシリアスシーンが続いたかと思えば、ある一点を境にパッとコメディ調に変えてしまったり、そこから違和感なく、またシリアスシーンに戻したり、エージェント大活躍のはずの場面が、なんだかスカッとしないような筋書きで、スカッとしないように撮られていたり、と常に天邪鬼なことを観客に仕掛けてくる内容となっています。

 

 通常では、このような明らかに方向性の違う要素同士は、まず一本の映画として消化することは不可能で、大抵は、前に記事を書いた「007 スペクター」のように「ちぐはぐなまま、どう見たらいいんだかよく分からない、かつ、面白くもあんまりない映画」になってしまうものです。現に、自分も「スペクター」の記事では、そこが悪いのだ、と論じました。

 

 ですが、世の中にはたまに相反するテーマを、まったく方向性の違うテーマや要素を、なぜだか、器用に、かつ巧妙に混ぜあわせてしまった挙句に、なんともいえない不思議で斬新な感触の、面白い作品、映画、小説、アニメというものにしてしまう――そんなクリエイターというのも、存在していまして…。

 まさに、マシュー・ヴォーンは今回のこの映画の出来を見るかぎり、それが行えてしまうクリエイターだと断言できます。

 

  現に、この映画のクライマックスは笑いとも、爽快感とも、残酷さともつかない奇妙な感情に襲われます。この映画が、スパイ映画における活劇を、パロディにしながら、かつ、現実と照らしあわせて、ブラックコメディ的にも見せながら、しかし、同時に興奮できるくらいのカッコイイものとして描くことが出来ているからです。

 これはマシュー・ヴォーン自体が、スパイ映画を愛しているからというのも大きいでしょう。彼の監督作には、主人公が『スパイ映画に出てくるスパイのような行動』を取るシーンが、実は多いのです。ふと隙を見つけたら、スパイシークエンスを映画に入れてくる、と断言してもいいでしょう。そのレベルでよく入っています。

 例えば、近年で話題になった「X-MEN ファースト・ジェネレーション」においても、そのような侵入シーンがありましたが、それに留まらず、例えば「レイヤーケーキ」では、あのダニエル・クレイグ主演で、ダニエル・クレイグが相手の豪邸にこそこそとスパイまがいに忍び混んでいくというシークエンスを撮っていたりさえします。

 そうなのです。

 どうにもマシュー・ヴォーンは、007がそもそも好きな人のようなのです。

『いや、好きだからといって、そんな高等すぎることができるのか』と疑う人は多いでしょう。当然です。そして、当たり前です。普通の人であったならば、ただ好きなだけでは、こんなことはできないからです。しかし、世の中にはそれをやれてしまうトンデモナイ感覚を持った人間も存在しているのです。

 まさに、マシュー・ヴォーンは恐ろしいのです。

 

 クラシック音楽を極めて残酷なシーンで、しかも、ものすごいふざけた感じで使うというコメディ演出を含めた、相変わらずキレッキレの絶妙すぎる音楽の使い方といい、いや、やはりとんでもない才能の持ち主だなとそう感じざるをえない一作でした。

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