儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:海よりもまだ深く


映画『海よりもまだ深く』予告編

※ネタバレ多めです

 

恒例の手短な感想から

是枝監督らしい作風の映画――のように見せかけて…

といったところでしょうか。

 

 基本的にはいつもの是枝監督らしい仕上がりになっていると思います。本作「海よりもまだ深く」は。どこかにありそうな状況を舞台にして、そこに極めてリアリティ溢れる、どこかに居そうな家族を登場人物たちを配置し、そこから人物同士のやり取りや関係性といったものを描いていく――。

 非常にいつもの是枝監督テイストに仕上がっている映画です。特に本作は、ほとんど設定やキャスティングだけを見てしまうと「歩いても歩いても」の続編のように見えるほどで、近年の是枝監督作品の中でも特に「是枝監督といえばこれ」という描写や、登場人物の連続となっています。細かく見ていけばキリがないほどに、各々の場面や登場人物の設定は今までの是枝監督作品を連想させるものとなっています。

 しかも、今回はそれに重ねて「島尾敏雄」の名前なども出てくる内容となっており、是枝監督自身も、かなり自覚的に家族の関係性を描くつもりで本作に望んでいるようです。島尾敏雄といえば「死の棘」ですから。死の棘も夫婦の関係性を描き出していく小説でしたが、本作もまた、やはり夫婦の関係性を問われる面があります。

 

 ただ、同時にこの映画は、今までの是枝監督作品とは「なんだか違う」部分が見え隠れしていたりもします。例えば、この映画の終わり方です。今までの是枝監督作品は、明るい希望のようなものがほのかに見える形で完結していたように思うのですが、実は本作の鑑賞後はそのような印象があまり残りません。

 むしろ、どことなく淀んだまま終わります。

 なんだか、モヤモヤした感触が強く残る映画となっているのです。主人公たちは重大な決断をして、そして、ハッキリと成長したはずなのになぜか、成長の先に描かれている希望が、あるようなないような描かれ方になっています。

 これはどういうことなのでしょうか。

 映画の鑑賞後は自分も首を傾げていましたが、しばらくして、冷静に作品の内容を整理し直すことでその原因がハッキリとしてきました。この映画、今までの是枝監督作品ではあまり見られなかったほどに「いろんなことが暗示されている映画」なのです。

 特に暗示されているのは、主人公たち一家の行く末です。一家の映画の後に訪れるであろう未来が、実は、映画上に出てくる他の登場人物たちによって暗示されているのです。

 

 例えば、探偵をやっている主人公・良多の助手として働いている青年・町田、ある場面でしれっと「実は両親が離婚している」ことが描写されていました。そして、野球の場面ではかつて自分が野球の好きな子どもであったことも示されます。それら、二つの描写から見えてくるのは、この良多の助手をしている町田の姿が、良多の息子・真吾が辿るであろう将来の姿を暗示しているということです。

 例えば、主人公の母親・淑子が通っていたクラシック講習会の先生。彼はかつて音楽家の先生として活躍していたことや、一度あったチャンスを棒に振ってしまっていたことが話から分かります。そのことから、彼の姿が将来の良多を暗示しているように読み取れるのです。クラシック講習会の先生には、娘が居て、ヴァイオリンをかつて弾いていたらしいことが示されますが、同時に良多もかつてヴァイオリンを弾いていたらしいことが示されています。あの親子自体が良多の内省を表しているのです。

 そうです。不思議なことにこの映画、主人公家族の将来を、なぜか主人公家族の周りの人達が暗示し続けている映画なのです。

 離婚してしまった主人公の元妻・響子の将来も暗示されています。探偵として浮気調査をされていた、おそらく金持ちであろうビジネスマンの妻がいましたよね。彼女の姿は、これから金持ちの不動産家と結婚しようとしている響子の将来の暗示と言えるのではないでしょうか。

 

 ようするに、この映画の全体が、主人公たちが、映画後もまったく上手くいかないことを暗示しているように読み取れるのです。だからこそ、なんだかこの映画のラストには焦燥感が残ります。確かに主人公たちは決断し、成長する映画なのですが、それでもどこか付きまとう不安感の原因はこれです。

 「未来に嫉妬している」「なんで今を愛せないの?」

 この二つのセリフは、この映画でも特に強いインパクトを残したセリフだと思います。そして、この映画のメインテーマを伝えてくるセリフでもあります。この二つを鑑みたとき、前半で”主人公たちの不幸な未来が暗示され”、それでも決断を迫ってくる本作は「たとえ、不幸な未来が来たとしても今を愛せ」と訴えているかのようです。

 愛して、今という現実を受け入れるべきだと。

 不幸な未来でも、最低300円くらいは当たっているはずだから、と。

 

 このメッセージが果たしてどこまで正しいものと言えるのか――それには疑問の余地があることだと思います。*1しかし、現実を受け入れなければならない瞬間は誰に訪れてもおかしくはないです。

 そういった、誰しもにあり得る映画として本作を鑑賞してはいかがでしょうか。

*1:ハッキリ言って、最近、一部の人達に流行りがちな”貧乏を人に押し付けるだけの”役立たずの清貧主義を根底に感じるところもあります。

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