儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:スター・ウォーズ/最後のジェダイ


「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」本予告

 恒例の手短な感想から

あまりにも歪な傑作

 といったところでしょうか。

 

 正直、この映画は貶してしまう人の気持ちも理解できます。そういう評価があっても仕方ないものだろうな、とは思います。それほどにライアン・ジョンソンが奇抜なことをしてしまったのは、間違いがないからです。

 ライアン・ジョンソンは巧妙に、そして、露悪的にあえてこの映画の魅力を奥深くに隠してしまっているのです。そして、あえて魅力がないように見せかけているのです。

 実際、自分もこの映画の魅力に気づくのに、かなり時間が掛かってしまいました。

 少なくとも、前半まで「この映画は何がしたいんだ?」「なんだこの、ヘンテコなギャグだらけのやり取りは?」「ツッコミどころの矛盾点だらけじゃないか…」「ふざけているのか?」という、数々の文句が頭の中には絶えず浮かんでいましたから。

 

 だからこそ、文句を言ってしまう人たちの気持ちも理解できます。しかし、それでも自分は言いたいです。このスター・ウォーズ八作目は、冗談抜きで後世に語り継がれるべき傑作です。それほどに、強烈なワンダーを内に秘めた映画なのです。

 歴史上、こういう映画が最初に真価を見出されず、酷評されてしまうのはよくあることです。2001年宇宙の旅にしろ、羅生門にしろ、最初は酷評でした。しかし、この映画の奥底にある力は、確実にそんな酷評を後世で消し飛ばしてしまうことは間違いないでしょう。

 スター・ウォーズは、おそらくこれから後の世代にも、何代にも渡って見られ続ける映画だと思いますし、そうして、見た後の世代が、頭を抱えながら「とんでもない映画だ!」と喜び叫ぶことは、スター・ウォーズに対して頭の固い反応しかできなくなってしまった我々よりも容易いことだからです。

  

 ……実際、そういう未来が訪れるかはともかくとして、自分としては本作はそれくらいの傑作であると考えています。この映画は、前半まではあまりにも苛立つ物語になっています。観客にとっては何がなんだか分からない説明不足が続く上に、全ての登場人物が宙ぶらりんな状態で物語の中を漂っているために、余計にフラストレーションが半端ではないのです。

 挙句に、スター・ウォーズ内で神格化されていたジェダイ・オーダー、シス・オーダーという存在が、話の展開によってどんどんと矮小化されてしまうことに、なんとも言えない不快感を感じることでしょう。今作のスター・ウォーズは、異様に人間じみているのです。

 SFとファンタジーの合いの子である、スター・ウォーズの物語には似合わないほどに登場人物や、舞台背景に生活感があり、かなり幻想感が薄れているのです。中盤のカジノシーンは特にそれを象徴しているものだと言えます。

 今までは、映画上には滅多に登場せず、せいぜい外伝の小説(それもファンによるSS)で語られる程度であった、スター・ウォーズ世界の経済状況を、本作はかなり具体的に描き出してしまっており、そのためにどうしても、今まではSFワンダーとファンタジーの、廃墟でさえも神々しい世界であったはずの、スター・ウォーズが急に自分の周りにあるつまらない路地裏になってしまったような感覚を覚えることだと思います。

 

 しかし、それらは実は「後半からの怒涛の展開のために用意された仕掛け」なのです。前述した、宙ぶらりんで異常に人間臭い登場人物たちは、映画のある象徴的な瞬間を境に、立場が次々とはっきりしていき、そして、善も悪も全てがギラギラと輝き始めるのです。

 そして、観客は「この映画はスター・ウォーズの最も基本的な思想に立ち返ろうとしている」ということに、無意識で気づいてしまうのです。

 スター・ウォーズの最も基本的な思想――それはライトセーバーと振り回すことでも、ジェダイという強い騎士の活躍でもないのです。

 それはフォースです。あの世界の運命論とも言える、巨大な力の流れ――森羅万象の全てがそれに従うという"フォース"の思想にこの映画は立ち返ろうとしているのです。

 

 先程、自分はジェダイ・オーダーとシス・オーダーが矮小化されている、と書きました。ですが、それは正確には違います。

 正確には、二つが矮小化しているのではなく、この八作目においては「フォースはジェダイ・オーダー、シス・オーダー程度の存在で捉えきれる、扱いきれるような、くだらないものではない」という考えが貫かれているだけなのです。

 言ってしまえば、今まで、ミディクロリアンだのなんだのという要素によって、散々に矮小化され続け、幻想性を失っていた「フォース」という概念の復権を、この映画は目指しているのです。そんな、つまらない説明なんかで測れる程度の存在ではないぞ、と。

 

 ある種、フォースを仏教の「空」的な概念にまで昇華させようとしたと言えると思います。フォース――それ自体が、あの世界にとっての運命を決定づけている概念そのものであり、その流れには誰も逆らえないのです。だからこそ、ルーク・スカイウォーカーの顛末に巨大な意味を観客は感じることができ、それを理解した観客はどうしても、この映画を評価してしまうのです。

 どこまで欠点があると分かっていても、そんな欠点などゴミにしてしまうほどの巨大な存在を、この映画は捉えようとしていることに気づくからです。

 だからこそ、自分はこの映画を「あまりにも歪な傑作」であると考えています。

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