儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:15時17分、パリ行き


映画『15時17分、パリ行き』予告

 恒例の手短な感想から

これが現実さと、イーストウッドは乾いた笑みを浮かべる

 といったところでしょうか。

 

 本作はかなり変な作品となっています。

 正直、クリント・イーストウッドを映画監督としてそれなりに尊敬している自分であっても「これはキツイ」と思わざるを得ない映画でした。つまらないというよりも、色々とおかしい作品なのです。

 

 既に様々な人から指摘されていますが、映画として本作は構成やら演出やら編集やらがおかしいのです。特に巷では、中盤のまったく意味がない上に長過ぎる観光シーンがよく取り沙汰されていますが、実はこの映画、それ以外もかなりおかしい映画です。

 

 本来、こういった題材で映画を作るとなれば、それなりにテロ事件のあった列車内での出来事に焦点をなるべく絞り、それを救った主人公たちをそれなりにドラマチックに描いていくはずです。

「母子家庭で学校などでも落ちこぼれ、軍隊でも落ちこぼれだった青年が、テロ犯を倒し、フランスから勲章を授与される」というこの映画全体のストーリ-からすれば、主人公たちを、それなりに格好良く、あるいは誠実な人間性などに脚色して描いたりするものです。

 

 しかし、本作はそれを避けています。

 

 むしろ、本作での主人公たちの姿は、軍隊で自分の荷物を盗まれてしまったり、しょうもない寝坊をしたり、観光でクラブに入ってはしゃいだり――まったく脚色がなされていないのです。むしろ、驚くほどに「現実そのまま」を描いていると言っていいでしょう。

 実際、主人公たちを演じているのは"本人"です。徹底的に現実だけを映画に封じ込めようとしていると言って過言ではないでしょう。

 

 このことでよく分かるのは、イーストウッドは、この事件のことをなんとも思っていないということです。

「アメリカ兵がたまたま乗り合わせて、テロ犯を倒した――だから、なんなんだ? 誇りに思えってのか? 思うわけないだろ」

 そう言いたげなイーストウッドの言葉が暗に聞こえてくるような映画になっています。

 

 実際、肝心のテロシーンも驚くほどにあっさり解決してしまいます。観客の「さぞかし、立派な英雄ショーが始まるのだろう」という期待を裏切るように、本作の主人公たちはテロ犯を軽々と倒してしまうのです。

 むしろ、犯人を捕まえるために行った、主人公たちの一連の攻撃をかなり痛々しく描写しており、その痛々しさはあえてリンチまがいの行為に感じられるよう、描いたのではないかと思うほどでした。

 その後も、イーストウッドはまったく主人公たちを善人に描く気がなく、むしろ、テロ犯よりも主人公たちの方がよっぽど怖い存在として描かれています。

 アサルトライフルを抱えながら、横柄な態度で他の車両の乗客に声掛けする主人公たちなどの姿は、それをよく象徴しています。乗客たちが一瞬、主人公たちをテロ犯だと間違えてましたが、間違えるのも納得してしまうほど、この主人公たちに「人間としての異常な面」を感じるように撮っているのです。

 

 クリント・イーストウッドは、本作を「面白い映画」として撮る気がないです。むしろ、映画の出来を犠牲にしてでも、浮ついた世の中に冷水をかけようとしています。現実なんてものはこんなものだ、と。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村