儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:七つの会議


「七つの会議」予告

 恒例の手短な感想から

歌舞いてるよ、これ、超歌舞いてる

 といったところでしょうか。



 この映画ほど、各映画サイトで公開されている場面写真や、断片的な予告編だけではつまらなそうに見えてしまう映画もないでしょう。キャストの一覧や、主演である、野村寛斎の演技等々、「映画として、それをやって本当に面白くなるのか?」と疑問に思わざるをえない要素が随所に見えているのが、断片だけ見ても明らかでしたから。

 しかし、本作、実は結構面白い映画です。

 それも予告編などで見えた「映画として、面白くなるのかな、それ」と疑問に思えた要素のおかげで、むしろ映画として面白くなっているとも言える出来であり、本作は映画の奥深さを感じ入る一作とも言えるでしょう。

 

 本作、出演する役者たちの演技が「この演技をつけた人は、頭がおかしいのか」と言いたくなるほど過剰なことになっていますが、むしろ、その過剰すぎる演技こそが、本作の肝の演出と言っていいくらいです。

 予告編を見た段階でも、そして、キャスト一覧を見た段階でも、誰でも気づいたであろう、野村寛斎の歌舞伎全開で、大仰な、馬鹿馬鹿しささえ感じさせるほどに大袈裟な演技--あれこそが、本作を独特な味わいの作品にしてしまっているのです。

 

 本来ならば、本作のような大きな企業の闇を暴いていく映画は、どうしても、どんよりとした陰鬱な空気を覆いがちなのですが、本作は、そこを歌舞伎的で、形式的な型にハマった演技をさせることで、観客に「おとぎ話のような、どこか現実を象徴化させた物語」であるような印象を与え、陰鬱な空気を緩和させることに成功しています。

 

 早い話が、大袈裟な演技というものが、観客たちがこの物語に没入しすぎないように、物語を一歩退いた視点から見れるように調整させる効果を放っているのです。

 

 また同時に、そもそもこの物語自体が持っている細かいアラを誤魔化すことにも成功しています。

 冷静に考えると、この映画で描かれている会社の構造は、現実的に考えると若干奇妙なことになっているのですが、*1それも、形式的に描かれている本作ならば、「まあ、あくまでこの映画は、ドキュメンタリーみたいなリアルな企業の闇の話ではなく、こういうことがあるよねって戯画化された話がしたいんだろうしなぁ」と納得がいくのです。

 

 実際、クライマックスの御前会議シーンなど、全登場人物をまるでウェス・アンダーソン映画のように、横一列に並べて撮影していたりと、明らかに作り手もそういう「戯画化された話」に本作を落とし込みたいのだろうという意思が感じられる演出、撮影を行っており、これは意図的にやっていることだと思われます。

 そもそも、それ以前に、主役陣に歌舞伎役者と、及川光博を選んでる時点で、どう考えたって意図的にやってるとしか思えません。この人たちを勢揃いさせて、形式的で大仰な演技以外のなにをやる気なのか、と言いたくなるキャスティングですから。

 

 また、本作はそうやって戯画化をはかった上で鑑賞してみると、とてもリアリティを感じる物語であるのも事実です。実際、企業が行ってしまう不正のだいたいは、大枠では本作のようなことが起こっているのは間違いがないのです。

 例えば、最近ニュースになった出来事で言えば、スルガ銀行の諸問題などは、第三者委員会の報告書を読むかぎり、作中の東京建電で不正が起きた流れと大枠では同じと考えていいでしょう。

 

 だからこそ、最後、エンドロールで主人公が長々と垂れる演説にも、ある程度首肯できるものがあるのです。

 もっとも、あのエンドロールの演出は、映画としては若干余計な演出でもあるので「これはどうなんだかなー」と、頭を抱えてしまう部分でもあるのですが、それでも、言っている内容に、なかなか左右にバランスの取れた主張ではないかと感服できるのは、上記の演出方針によるものが大きいのでしょう。

 正直、この大仰な演出方針で固めた本作ならば、あの「普通なら、駄作になりかねないエンドロール演出」も多少は許されるような気もします。

 

 少なくとも自分としては、この上手くいくか分からない演出・演技プランを最後まで押し通して、面白い映画に出来た作り手を誉めたいと思います。

*1:例えば、作中のような巨大規模のグループ会社で、作中のような問題が出てきたときに、なぜか経理部が話に関与して、監査部や審査部にあたる部門が一切関与しないのは、かなり変な話です。普通は作中で経理がやっていることは、経理の仕事ではなく、監査がやる仕事のはずです。

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