儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:ドラゴンクエスト ユア・ストーリー


「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」予告②

 恒例の手短な感想

いつもの山崎貴

 といったところでしょうか。

 

 デビルマン級に酷い等々の、散々な巷での評価を聞きつけまして「ならば、テンペスト3D*1を見て、映画館で悶絶した経験から、ネット上に映画の評価を書き込むようになった、自分としては見ないわけには行かないなぁ」と思いまして、見に行きました。

 「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー

 最近、妙に日本のゲーム業界が「映画化、映画化」と活気づいていますが、本作もまさにその活気の一つに数えられると思います。なにせ、あの大御所ファンタジーRPGドラゴンクエストが――しかも、その中でもストーリーが特に濃いとされているドラゴンクエストⅤが、こうして映画という形になっているのですから。

 

 

 ただし、このゲーム業界の"活気"ですが――正直、映画ファンからの評判はそこまで良くはないです。当ブログでも、感想記事を書いた「名探偵ピカチュウ」などを筆頭に、全体的に「あれ?」と言いたくなってしまう出来の映画が多いのは事実です。

 そして、本作「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」も案の定、巷の評判はよくありません。いえ、それどころか、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」はこのゲームコンテンツ映画化の波の中でも、最も評判が悪い映画です。

 デビルマン級――という形容がついてしまっているあたりからして、その評判の悪さが伺えるでしょう。

 

 前置きが長くなってしまいましたが、自分が鑑賞した感想を述べたいと思います。

 

 デビルマン級は明らかに言い過ぎですね。

 デビルマンを見たことがないくせに、いい加減なことを言っている人たちが、こんなにもいるとは困ったものです。デビルマンは本作より遥かに酷いです。

 ただ、面白くないのも事実ではあります。

 クソ映画と言うほどではないけれども、面白くもない映画だとは確実に言える――そんな出来の映画が、本作になっております。

 

 なぜ、そんな出来の映画になっているかというと……巷では、この映画の、しょーもなさすぎるメタ展開について、いろんな人からの酷評が見受けられますが、正直、そこの部分だけが問題というわけでもないのです。

 

 メタ展開自体は、上手く使えばそこまで大きな問題にはなりません。例えば、レゴを題材にした映画で「レゴザ・ムービー」という子供向けの映画がありますが、こちらでも、メタ展開というのは普通にありました。

「レゴザ・ムービー」は伏線すら貼っていないまま、急にメタ展開に入るため、扱い方としては、下手すれば「ドラクエよりも酷い」と言われてしまいそうです。*2

 それでも、レゴザ・ムービーのメタ展開を悪しざまに言う人はそこまでいません。

 

 つまり、メタ展開になった事自体や、そこに対する伏線を与えたこと自体が問題なわけではないのです。

 では、本作は何が問題なのでしょうか。

 それは、この映画の最初から最後まで延々と存在している問題であり、同時に山崎貴監督作品に、毎回のように見られる問題でもあるのですが「一貫性のなさ」が問題なのです。

 

 端的に言ってしまえば「いや、お前、さっきまで『大人になれ』って話なんか、一瞬もしてなかったじゃん……」ということです。

 

 

 例えば、本作のリュカが「息子が生まれているにも関わらず、ずっとパパスのことばかりを考えていて、息子のことなど知らん顔している。息子を育てる気が全然ない」というような描写を入れていれば、「大人になれ」というメッセージにそれなりの説得力が出たことでしょう。

 あるいは、メタ展開にするだけの理由があるテーマを提示出来れば、それもありです。前述の「レゴザ・ムービー」はまさにその、メタ展開にするだけのテーマを提示することが出来ていました。

 

 が、しかし、本作はそんな「大人になる」というテーマに合わせて物語を整える――などの工夫など、ちっともやっておらず、ただただ、最後に急に「大人になれよ。それはともかくとして、ゲームって偉大だね」と言い出しているだけなのです。

 それくらいに一貫性がなく、ようは作り手が、このドラクエという話の何を魅力に感じているのかサッパリ分からないのです。映画に限らず、エンターテイメントにおいて、この「自分がとりあげようという題材に対して、自分が魅力に感じるポイントへの注力」というのは、とても大事なことです。

 

 その「魅力に感じるポイント」を、絶対、他の人にも感じてほしいと思って、様々な工夫や、演出の緩急をつけ――そして、それらによって、観客が言葉では伝えきれないはずの、その魅力と感じた感情や、感慨や、尊さを共鳴して感じれるからこそ、エンターテイメントに痺れるほどの感動や、胸を掻き毟りたくなるほどの価値が生まれるのです。

 

 そして、この映画は――というより、山崎貴監督には、毎回「この物語にある、この魅力を絶対に観客に伝えたい!」という一貫性が、なんだか無いのです。自分の好きな映画の場面や、設定や、お話を真似して、部分的に撮ったら、それで満足してしまうのです。

 本作、ドラゴンクエストも、全編に渡って「ドラクエ5という長い物語の、どこを重点的に描きたかったのか」がサッパリ分かりません。ほとんどのシーンや演出、全てが等間隔で区切られ、時間の進み方に緩急がつくこともなく、ただただ、だーっとダイジェストしていくばかりではないですか。

 

 その上で、あんな唐突に「大人になれ」などと、それまでしてもいなかった話を急に始めたら――そりゃあ、色んな人から反発も食らいますよ。

*1:おそらく、邦画において数少ない、デビルマンよりも酷い映画の一つです

*2:しかも、レゴザ・ムービーの方も暗に「大人になれよ」と言っているのです。

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