儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:閉鎖病棟―それぞれの朝―


『閉鎖病棟―それぞれの朝―』予告編

 ※注意 ネタバレ全開の記事になっています。

 

 恒例の手短な感想から

手放しで褒めるにはノイズ多すぎ…

 といったところでしょうか。

 

 一部で好評を博しつつある本作の話題を聞きつけて鑑賞したのですが、自分としては、本作に対して「確かに感動できる内容にはなってるけど、これを手放しで褒めるのは不味くないか?」という感想を抱いています。

 

 上記で評したように、まさに本作は「ノイズ」が多すぎです。本来の話の筋書きからすると「え、その話、そんな雑な処理でいいの?」と言いたくなるような箇所がチラホラとあり、それが無駄なノイズとなって本作の鑑賞を妨げる要因となっています。

 

 特にノイズの中でも、決定的に「おいおい。それはないだろう」と言いたくなるのは、中盤まで主人公に近い扱いをされていた、小松菜奈演じる由紀の中盤以降の扱いでしょう。

 

 元々、義理の父親から性的暴力を受け挙げ句そのことで母親から逆恨みされている、という重い設定を彼女に課した上で、物語のターニングポイントとして彼女が同じ閉鎖病棟の男にレイプされてしまう話を設けるところまでは物語の筋立てとして理解できます。

 世の中にはそういう残酷な話が本当にあったりしますから、多少不快でもそれを描くことには意義があるでしょう。その後の描き方さえ間違えなければ、女性的な視点にも富んだ良い物語にもなりえます。

 

 

 しかし、本作はその後の描き方が全て間違っています。

 いえ、それどころか、レイプシーンの後、彼女が忽然と閉鎖病棟から居なくなり、しかも登場人物の誰も彼女の行方を気にしていないという描き方は、この手の話の中でも最低最悪レベルの描写だと言えます。

 

 例えば、この映画の登場人物たちが彼女がレイプされた事実を知らないとしても、忽然と居なくなった彼女を探さないのは変です。

 

 しかも、この映画の場合、それどころか登場人物たちの中に由紀がレイプされた事実を知って、男を殺害までしている人がいるのに由紀のことを気にしないから尚の事おかしいです。「いや、そうはならないだろ」としか言いようがないのです。

 

 一応、映画の終盤で由紀は再登場するのですが、そこでも誰も忽然と居なくなった彼女を気にしなかった件には触れません。

「どこ行ってたんだ」「心配してたよ」とかの一言すらないのです。

 しかも、レイプされ忽然と去った由紀が閉鎖病棟を去った後でどうしていたのかという回想でさえ……「レイプ後、街をさまよってたらホステスに罵倒されたので号泣して綺麗な夕日を眺めました。ちゃんちゃん」とかいう「だから、なんなんだよ!」としか言いようがないふわっとした話で終わり、彼女の口からも「今は看護師見習いやってます」という証言が出てくるだけです。

 

 なんじゃそりゃ! ふざけてんのか!*1

 

 これでは映画の作り手たちが、この由紀という登場人物を物語上の盛り上がりとしてレイプされるだけの役として存在させていて、そのレイプされる役目が終わったからどうでもいいと思っているかのようです。

 

 こういった扱いの女性をアメリカンコミック界隈では「冷蔵庫の女」なんて呼ぶのですが、まさにこの映画の由紀は「冷蔵庫の女」そのものでしょう。*2

 

 このように本作は大変にノイズが多い作品なのです。それも本筋に対してどうでもいい要素ではなく「本筋にとってその要素って重要じゃないのか」「この作品のテーマにとって、そこは重要じゃないのか」という箇所に限ってノイズが混じっているのです。

 

 散々、作中でどんな人にも事情があるんだと説いておきながら、あの覚醒剤中毒者や統合失調症者の妹にもあったはずの過去や事情を描かず一方的に悪者扱いし、そのわり元・死刑囚の男は浮気されていたという理由だけで妻と間男を惨殺しているのにそれは仕方ないことと言わんばかりだったり……かと思えば、海の見える公園で亡くなった閉鎖病棟患者は、家族いない寂しさから自殺したのかそれとも偶然の自然死だったのかさえ誰一人として不自然に言及せず、焼きそばパンを頬張っているシーンだけ回想で描かれて「はい、死にました」という扱いだったり……「この作品のテーマにとって、そこが重要な話じゃないのか」という点がなんだかところどころ軽んじられているのです。

 

 ただのサスペンスエンターテイメントならば、ただの悪者扱いがいても、よく分からないまま死んだ人がいてもいいでしょう。しかし、そこをテーマにしたはずの本作でこれを平然とやってしまうのは自家撞着にも程があります。



 はっきり言って、この作品は、結局「ボクかわいそうだなぁ。あぁ、かわいそう。かわいそう。なんて、かわいそうなんだろう。他の人? ボクがかわいそうなんだから、他なんてどうでもいいだろ!」という、"悲劇のヒーロー"イズムを開陳する映画にしか見えないのです。



 本作はそれを堪能するだけのエクスプロイテーション映画に成り下がっているだけではないでしょうか。



*1:そもそも、医療免許制度である看護師で"見習い"っていう表現も、かなり変なのですが。しかも、刑事裁判の証言台で”看護師見習い”って……。普通は"看護助手"って表現するはずです

*2:冷蔵庫の女とは……グリーン・ランタンにて、主人公の恋人が殺されたことで主人公・カイルが変身能力に目覚めるくだりの後、ちっとも主人公が殺された恋人のことを想いもしないし、なんならまるで初めから恋人なんて存在していなかったかのような扱いになってしまう話の流れが問題視されて出来上がった言葉です。

 一連の流れが、まるで恋人が主人公を変身能力に目覚めさせるためだけに存在し、殺されたように見えるので「それは女性軽視じゃないのか」と問題視した人たちは言いたかったんですね。そこから、雑な扱いで主人公が覚醒するためのキーとして女性が死ぬことをこう呼ぶようになりました

 本作の場合、由紀がレイプされたことをきっかけに、鶴瓶演じるチュウさんが覚醒剤患者を殺し、そのことで閉鎖病棟内の患者たちから英雄視されたりしています。そして、当の被害者である由紀自身は本記事で書いたとおりの扱いなわけです。

 これは極めて「冷蔵庫の女」に近い扱いでしょう。女性が死んでいない、というだけです。

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