儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:スター・ウォーズ スカイ・ウォーカーの夜明け


「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」特報

 

 恒例の手短な感想から

普通につまらない

 といったところでしょうか。

 

 ひょっとすると初めてかもしれません。新しいスターウォーズシリーズで、ここまでハッキリとガッカリさせられたのは。

 ローグ・ワンやEP8など、「確かにこれは問題点があるなぁ」と感じさせられてしまう映画は、確かに一連のスターウォーズ新三部作シリーズにもありました。

 

 しかし、いずれも問題点と同時に評価できるポイントもありました。特にEP8は、フォースという存在を仏教の観念的な事象にまで昇華させることに成功しており、だからこそ、問題点があっても傑作と言える出来になっていました。

 

 で、今回のEP9ですが、そこが一番ないのです。EP9は問題点が散見されるわりに評価できるポイントがないのです。

 なぜ、評価できるポイントが無くなってしまっているのか。それは一重にEP9はすべてが中途半端だからということに尽きるのでしょう。

 

 例えば、EP7のように、振り切って元来の一番古いスターウォーズにあった、プログラムピクチャーとしての楽しさを追求したわけでもありません。

 EP8のように、それまで中途半端で意識高い系の愚論のようなものになっていたフォース論を、観念的な、複雑な哲学の世界まで切り開かせたわけでもありません。

 ローグ・ワンのように、戦場や戦争という側面を強調し、ある時期の時代劇的な泥臭い戦いを見せたわけでもありません。

 ハン・ソロのようにスターウォーズ世界を冒険し、探検し、様々なイマジネーションや奇抜な仲間たちとのスペースロマンを描いたわけでもありません。

 

 

 EP9はどれにも根ざさず、ただただ「うるさくて声の大きいファンたち」だけが気に入るように、彼らのつまらないイマジネーションと陳腐に妄想していた中二病ストーリーをひたすら再現することに注力しています。

 だからこそ、本作は恐ろしいほどにつまらないのです。

 

 映画に出てくる要素、一つ一つが、まるで実感もなく共感も覚えられないものばかりで、話はとてつもなくセカイ系で、EP8までの無限な広がりを見せたスターウォーズ世界は矮小化され、最終的にスカイウォーカー家とパルパティーン家がいざこざしてるだけの話にまでスケールが狭まってしまいます。

 

 これならまだEP1〜EP3で繰り広げられた、パドメとアナキンの虫酸が走る恋愛話の方がマシです。

 あの三部作は始めからそういうスケールの小さい話を描き続けていたからです。最後の最後まで「まあ、どうせ主軸はスケールの小さい恋愛話で終わるんだろうなぁ」と分かっていたから許せたし、それを許容したからこそEP3はそれなりに楽しめました。

 

 一方、こちらはスケールを広げに広げたあとでフォース番地のご近所トラブル話を急に始めたEP9なので、全く納得がいきません。

 

 そういった点も納得がいかない状態なのに、更に根本的な問題として本作最大の仕掛けであり、同時に新三部作シリーズで最も核と成していた重大な設定――レイが実は○○っていう設定が、あまりにも話として陳腐すぎて面白くもなんともないのが本作の「どうでもよさ」に拍車をかけています。

 

 EP8辺りから、ずっとリーク情報としてネットで囁かれていたあの設定……リーク情報として囁かれていた頃から「そんな、つまらない設定をディズニーは本気で面白いと思っているのか?」と疑義を抱いていましたが、実際の本作を見ると尚の事「やっぱりこの設定自体がつまらないだろ」と言わざるを得ません。

 

 そもそも、レイの力に血筋という「理屈」を入れること自体が野暮でしょう。

 スターウォーズ世界は、様々な予言と予知で成り立っている世界であり「理屈などなく、ただ運命として結果そうなるのだ」という決定論に近い世界観を共有している作品です。

 その作品で才能にいちいち血縁がどうだの出自がどうだの……そんな理屈が必要なのでしょうか。ただ、圧倒的な力を持つ人として"世界に存在させられたのだ"で十分なのでは?

 

 また、現実の世界から考えてみても、圧倒的な才能を持つ人間に、恵まれた血筋だののくだらない理屈は通用しないのが普通です。

 例えば藤井聡太羽生善治の才能に、血筋なんてまるで関係ありませんよね。それが才能なのです。理屈が通じないからこそ天才なのです。それに説明をつけられないからこそ、天才は天才たり得ているのです。

 説明がつくなら、それは天才――天賦の才とは決して呼ばれません。

 

 だからこそ、レイの力に「血筋という理屈」で納得させようとする本作は、どうしても狭い価値観で作られた陳腐な作品に映ってしまうのです。



 そして、もう一つ残念なのは、結局全ての黒幕がやはりあいつだったという話の筋書きでしょう。そもそも、「ゴルゴムの仕業だ!」ばりに、今まで起こったなんでもかんでもを全部「あいつの仕業だったんだ」と言い出し、都合の良い悪役として使い倒すこと自体に問題が大有りですし「いや、別にあいつシス卿の生みの親的な存在でもないのに、なんでそんなに悪役として使い倒すんだよ」と言いたくもなるのですが、なによりビックリなのは、あいつが映画冒頭の序文でいきなり復活した扱いになっていることでしょう。

 百歩譲って復活させるまでは良しとしても、復活するシーンすら描かず、たった一文で復活したことにするのは雑なんてレベルではありません。

 ソードマスターヤマトと言っていいレベルのいい加減さです。

 

 

 しかも、復活したあいつの劇中での活躍がまた問題だらけで、一挙手一投足の全てがどっかで見たことのある悪役でしかありません。はっきり言って、見れば見るほど「なんか、そこそこつまらないRPGのラスボスを見てるみたいだ」って印象がどんどん増していく有り様なのです。

 なぜ、こんな体たらくで、こいつをわざわざ復活させたのでしょうか。本気で度し難いです。

 

 このようにEP9「スカイ・ウォーカーの夜明け」はEP7、8にかなり好感を持っていた自分でもキツい作品となっていまして――まあ、巷のガッカリした反応も仕方なしかなと思わざるを得ないのです。

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