儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:百年の時計


映画『百年の時計』予告編 - YouTube

※ネタバレはなるべくしないようにしています。

 

 

 さて、さっそく今回の百年の時計への感想になりますが、

頑張った。最高。

 という感想がまさにぴったりだと思います。

 

 もう明らかに、映画としてはとてつもなく画面や、その他美術等含めて、全然いいものではありません。正直、テレビドラマでも最近はもうちょっとマシだったりするだろうという程度であることは一目瞭然だと思います。逆に言うと、それほどに誰の目に見ても明らかな低予算映画です。

 が、それが「映画自体の面白さ」の評価を揺るがす何かになっているかというと、そんなことはまったくないから映画というものは不思議です。

 もちろん、これから正直な自分の感想を述べるため、多少キツいことをいうところもあります。が、前提として、はっきり言いますが、この映画は素晴らしい映画だと思っていて、その上での感想だということは忘れないでください。

 まず、この映画の良くなかったところをさらっと挙げてしまいましょう。色んなところに欠点がありますが、大きく分けると「演技」「美術」の二つになると思います。おそらく、たいていの人はここが気になるのではないかと。譬えば、演技では特に木内晶子さんの演技が僕は気になりました。(名指しで申し訳ありませんが、そこそこドラマに出ている女優さんとのことなので…)彼女の演技は、なんというか、一挙手一投足の全てがわざとらしすぎると思います。まるで学生演劇のような演技でした。不安な表情も、困った顔も、一瞬間を溜めるときの表情も、全てがどれもこれも大げさでとてもではないけれど、映画向きの演技とは言い難いところがあります。

 もう一つ、美術では、妙に綺麗になってしまっている照明等、微妙に「汚し」がないところの違和感もありますし、終盤の電車での美術は冷静に考えると「いくら現代アートでも、こんな美術はないよ」という出来だったりします。あと、あの電車内での、各々の登場人物の「服装」がちょっとどうにかならないのかなと思ったりするところもありました。そして、映画の前半で出てくる教会や、空港の様子とかも、あまりにも人がスカスカすぎて、そして、美術的な方面であまり目を見張るものがなくて、なんだか物足りない印象がありました。

 この映画、序盤は正直、「つまらなくはないけれど、そこまでの映画ではないよなー」と思ってしまうかもしれません。が、決してそこで映画館を後にしないでください。なぜなら、この映画はだんだん真価を発揮する種類の映画だからです。 

 この映画の最大の美点と言えばなんといっても、現在と過去が映像によって錯綜するところです。この百年の時計という映画、ミッキー・カーチス演じる安藤行人が自分の過去を振り返り、フラッシュバックが起こって、映画がその過去の話を描きはじめたかと思うと、途中でその過去の話の中に、現在の主人公たちが登場してきたりするんです。そして、主人公たちはその過去の出来事を観客みたいに眺めているという不思議な演出が入ったりします。これは今敏監督の「千年女優」という映画にて、使用されていた演出方法に非常に近いものです。僕は千年女優が大好きなのですが、あれはアニメ映画で、かつ今敏監督という天才の力であったからこそ可能であったと思えるくらい、非常に難しいものでした。が、この映画は低予算でその複雑な演出を完璧とは言わないまでもかなりの部分で成功してしまっているんです。

 もうこの時点で、この映画はまず立派だと思います。普通、こんな難しいこと、低予算でやろうとも思わないし、まずやれないことです。しかし、それが見事にやれてしまっています。これを立派と言わずしてなんと言いましょうか。

 しかも、この現在と過去の錯綜という映像表現、この映画のテーマである「時間と記憶」というものを実に効果的に描いていると思います。人が芸術と触れ合うからこそ、人は「記憶」を蘇らせ、「時間」を感じることが出来る、現在から過去の時間を見渡すことができる、というこの作品のテーマを、率直に映すことが出来ています。

 そして、またこの映画は伏線の貼り方が綺麗です。セリフでわざとらしく説明するとか、そういうあざとくことは一切していません。ただ、ちょっと記憶が良ければ、ちょっと注意が行き届いていれば、観客がはっと気づくような仕掛けがいくつも映画に仕込まれています。譬えば、ミッキーカーチス演じる、安藤行人が香川へ帰ってきた際、最初に訪れる場所が、安藤行人自身の記憶の中にある、重要なシーンのあの場所とまったく同じであることに誰もが気づくはずです。気づいていない方はぜひもう一度劇場へ足を運ばれるべきです。この伏線に気づいたとき、きっとより大きな感動が生まれると思います。それくらい、上手いところにこの映画は伏線を張り巡らせています。

 登場人物たちのキャラクターもどれもよく出来ていました。この映画を一回見れば、おそらくほとんどのキャラクターたちを、とても好意的に見ている自分がいることに気づくはずです。そして、細かいところまで、様々に出てきたキャラクターたちをなんとなく記憶してしまっている自分に気づくと思います。それくらい、脇役のキャラクターでさえ、大事に丁寧に描いている映画なんですね。そして、この脇役でさえ、丁寧に描くこの丁寧さの積み重ねがあるからこそ、電車のシーンに意味が出てくるのだと思います。キャラクターに実在感があるからこそ、実在感の強い彼らにモノローグで自分の気持ちを吐露させながらあの美術を映していくからこそ、本来ならば大したことないはずの芸術に、観客に素晴らしい芸術であったかのような錯覚を与えてしまうのです。

 そして、「観客に素晴らしい美術であったかのような錯覚を覚えさせ」られるからこそ、前述した、この映画の人に眠っている時間と記憶は、芸術によって呼び覚まされるというテーマの説得力が増しているとも言えます。また、「観客に素晴らしい美術であったかのような錯覚を覚えさせ」られるということは、観客もまた映画の中の登場人物たちと同じように、あの芸術に魅せられているということであり、それは同時にこの映画自体に魅せられているということでもあります。この映画には様々な年代の人たちの「昔を回想するシーン」が挟まっているので、ある意味ではこの映画自体が「人の中に眠っている時間と記憶を呼び覚ます芸術」なんでしょう。実際、この映画は、その時代を知らないはずの若い世代の僕でさえ、その時代の記憶を呼び起こさせてしまうような"なにか"があります。

 それがなんであるのかは分かりません。ただ、僕はこの映画を見て、確かに"なにか"を実感したと思います。

 

 最後になりましたが、映画上映後(僕の回だけかもしれませんが)プロデューサーの方から挨拶がありました。なんでもこの映画は「香川県で最初に公開され、大ヒットし、その大ヒットした資金を元に、東京へ進出。東京で資金をまた稼ぎ、その元手で、別の県へ」という、巡業による、全国公開を目指しているそうです。

 僕は、個人的にこの映画の公開方式はご当地映画の鑑だと思います。東京のわけの分からん、制作会社に資金丸投げしてつくるとか、親善大使頼んだ作家がしゃしゃり出てきて話つくって、大資本で全国公開とか、そういうことではなく「その地域で撮って、その地域でヒットしたもの」を全国に届けるという方式こそが、本当の意味でのご当地映画でしょう。

 なにより、傑作ですし。

 そんな事情もありますので、みなさん、是非ご覧になってください。

 

好きなシーン。

ことでんのダイヤを見せるシーン。

 ここ、地方の人はあるあるネタとして笑えるし、都会の人はちょっと虚を突かれて笑ってしまうという、両方に気の利いたギャグだと思います。

・白黒写真の背景に、電車が通って行くシーン。

 こういうシーンこそ、映画の醍醐味だと思います。とてもケレン味があって面白いと思いました。

・現在から過去を眺めているシーン。

 具体的にどこ、というわけでなく、この映画の「現在にいる登場人物が過去を眺めているシーン」はどれも素晴らしいと思います。演出として大変、優れていました。

・電車内でおばあさんが転び、それまで過去を回想していた「それぞれの時代」の人たちが、一斉におばあさんに視線を送るシーン。

 とても感動しました。おばあさんは「現在、泣いている人を助けたくて」立ち上がり、結果倒れてしまいました。そして、それをきっかけに、それぞれの時代の人達が一斉にその「現在」の方へと目を向けます。「全ての過去が集まって、現在が出来ている」ということを、これほどまでに鮮やかな展開で見せてくるとは思いもしませんでした。

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