映画感想:消えた画 クメール・ルージュの真実
映画『消えた画(え) クメール・ルージュの真実』予告編 - YouTube
例によって、いつも通りの簡単な感想から。
簡単な感想は書けない。
この映画は、今年話題になった「アクト・オブ・キリング」と並び、そして、立ち位置として完全に対になっている、ドキュメンタリー映画です。クメール・ルージュ――早い話が、ポル・ポト派です。こう言ったほうが、日本では聞き馴染みがあるでしょう。彼らが一体、なにをしたのか。それを、本作の監督であるリティ・パニュが、自身の中に残っている記憶から泥人形を使って再現していこうという映画です。
公式サイトにも書いてありますが、クリストフ・バタイユとの共著である「抹殺」が着想の元になっているようです。
映画としては、メインテーマとしては、監督自身の中にあるあまりにも凄惨すぎる過去と折り合いを付けたくても、付けられず、そもそも、付けていいものなのかさえ分からない、そんな葛藤がテーマとなっています。強すぎる呪いのような記憶に悩む監督自身の独白がずっと続く映画です。極めて内省的で、実は冷静に考えてみると、この映画は最初から最後まで、ひたすら監督自身のことを語っているだけの映画とも言えます。そして、そこになにか新しい答えが出るわけでもありません。ひたすら、監督の内省的な表現が続くだけなのです。
ただ、実際に映画を見てみると、かなり複数のテーマがひっきりなしに出てきたように感じるはずです。この映画のテーマが、『監督の葛藤』というそれだけではないように思えてしまう、その原因は、この映画が扱っているのは、ポル・ポト派だというそこが大きいです。
ポル・ポト派とは、簡単に言ってしまえば、既存の知識を憎み、それがなくなれば社会が良くなると信奉し、知識に頼らず全てを実践して確かめるべきであるという、とんでもない主張のもと、大虐殺や、社会変革を行っていた共産主義のグループの一つです。彼らは、それまでの経済のシステムや、文化というものを、破壊しまくっていました。
そのこともあって、この映画には、メインテーマの他に「文化」や「経済」という人間の生活にとって必要なものが、サブテクスト(サブテーマ)として入っています。この映画を見れば、なんで、たとえ格差がある社会になったとしても、経済成長が社会にとって必要なのか、よく分かると思います。そして、なんで、たとえ無駄なように思えても、人間にとって文化や文明、エンターテイメントが必要なのか、その理由もよく分かるようになると思います。
それだけ、この映画がたくさんのテーマを含んでしまっている、良い証拠でしょう。
最後に。
決して勘違いしないで欲しいのは、この映画は別に「”現状の”経済社会」を肯定しているわけではないということです。ポル・ポト派は確かにとんでもないグループです。彼らがつくった社会よりは間違いなく、マシな社会に僕たちは住んでいます。ですが、マシなだけです。この監督は「なぜ、ポル・ポト派のようなとんでもないグループが出来てしまったのか」というその理由にも、一瞬触れています。そこで示唆されている理由は、日本の社会だって他人事ではない話のはずです。
この映画は、監督のあくまでも内省的な葛藤を描いた映画です。しかし、その内容は、この社会自体が抱えている葛藤でもあったのでしょう。少なくとも、僕はそう思います。