儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画レビュー:眼には眼を

眼には眼を [DVD]

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※予告編動画が見つかりませんでした。

 

 シリアの小さな都市の病院に努めている、医師ヴァルテルは、勤務時間外には絶対に患者を診ないような医者だ。ある日の夜中、彼の病院に緊急の患者がやってくる。彼以外は、新米医しかいないような病院なので、当然、患者を診て欲しいと頼まれるが、ヴァルテルは勤務時間外だったこともあり、電話口で患者の様子を聞き、テキトウな処置を指示してから、「ここじゃなにも出来ないから、別の病院へ行け。車で来ていたこともあり、20分で辿り着く」と追い返すよう頼む。
 次の日、彼が病院へ行ってみると一人の患者が死亡していた。どうやら、ヴァルテルが周りから様子を聞いたところ、死亡したのは、昨夜の患者らしいということが分かってくる。追い返した後、あの車は故障してしまい、長い道のりを引き返して、病院にやってきたのだ。しかも、宿直だった新米医は、患者の病状を誤診してしまい、手遅れとなり、患者は死亡してしまったのだ。
 その日、以来、ヴァルテルの元に不審な無言電話が毎晩のように届いてくるようになる。死亡した患者は女性であり、彼女には夫がいた。ヴァルテルは、その夫が自分の周りを彷徨き始めていることを察知する。

 

  ただ、主人公が逆恨みを受けて、悪くないのに復讐されてしまう映画――そういう見方も出来る映画かもしれません。この「眼には眼を」は、表面的には避けがたい事故、避けがたい災難を認められない男が、なにか、誰かを恨むことで安心しようとしている映画だという捉え方もできる映画でしょう。そして、その見方はあながち間違っているわけでもありません。

 ただ、それと同時に、そういう見方だけで、そういう映画なんだという思い込みだけで見られても困る映画でもあります。なぜなら「ヴァルテルが完全に正しかったか、ヴァルテルに一切非はなかったか」というと、そんなことはないからです。確かに時間外労働です。ヴァルテルは建前的には正しいのだと言えます。ただ、それはあくまで建前の話です。表面上の話、上っ面の話なのです。

 

 ヴァルテルの心理に、ヴァルテルの心の中に、何一つ「やましい考え」が無かったかというと、そんなことはないのです。そもそも、やましい考えがなければ、たとえ、男が付き纏っていようが、そんなに気にするはずがないのです。一々、男が居ないときでさえ、周りに男が居るのではないかと警戒して、キョロキョロと挙動不審に周りを見ているのは、心の中にわずかでも罪悪感が存在しているためです。

 ですが、ヴァルテルは、自分が抱えている罪悪感とやましさを決して認めようとしません。自分があたかも、潔癖であるかのように振る舞い続けているのです。……その実、心には邪なものを抱えているはずなのに。

 

 この映画はそこを暴き出している映画でもあります。

 ネタバレになってしまうので、詳しくは書けませんが、この映画で出てくるボルタクは、そう思わせる行動を取り続けているのです。言ってしまえば、ボルタクは存在として極めて、悪魔に近いものであると言えます。そして、悪魔が彼の本性を暴き出そうとしている映画でもあるのです。彼の本性を暴くことで裁きを下そうとしている映画なのです。

 極めて、恐ろしい映画だといえます。

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