儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画レビュー:キューティー&ボクサー


映画『キューティー&ボクサー』予告 - YouTube

 

篠原有司男は、ニューヨークにいる現代芸術家だ。若い頃から、世間にその奇抜な芸術によって注目されてきてはいたが、まったく作品が売れないような芸術家だった。彼と一緒に暮らしているのは妻の乃り子。19歳のときに、ニューヨークへ旅立ち、両親の仕送りをもらいながら暮らしていたところ有司男と出会い、それ以来、ずっと一緒に暮らしている。

 

 芸術家ってどうやって暮らしているんだろう、というのは多くの人がたまに頭に浮かべる疑問だと思います。芸術家の中には、口八丁手八丁で上手いこと大学教授の地位を手に入れたり、ギャラリストと手を組んで、芸術市場に上手いこと自分の作品を売り込んで大儲けしたりしている人もいますが、それは本当にごく僅かな数であり、そうではない人のほうが圧倒的多数であるはずです。

 ですが、芸術家は作品こそ世に出ても、一体、どんな生活でこんなものを作っているのかは一切分からないことの方が多いです。若い芸術家ならば、まあ「もし、貧乏だったとしてもなんとか暮らしていけているんだろう」と思えるかもしれませんが、老いた芸術家となると、その生活はまったくもって謎です。

 

 この映画は、まさにそういう老いた芸術家夫婦の姿をドキュメンタリーで追ったものです。こういった芸術を扱う映画は、常にある一つの問題をむき出しにしていることが多いです。それは「お金」です。もっと言えば「生活」です。芸術家として、一生芸術を作りたいのであれば、芸術によって生み出された作品を売って、お金にしなければいけません。でなければ、生活そのものが破綻してしまうからです。

 篠原有司男は芸術家としては、かなり才能がある人なのですが、才能があるからといって売れるかというと、それは全く別です。売れる理由と、作品そのものの素晴らしさには、因果関係は愚か、相関関係さえも存在してないものです。芸術作品を売るには、芸術に対する才能以外に「芸術作品を人に売り込める才能」が必要になります。

 篠原有司男氏は、映画を見れば明らかですが、この「芸術作品を人に売り込める才能」がない芸術家です。となると、当然、私生活は極貧ということになります。映画上でも、常に「俺は売れないといけないからさ」「売れないと」「売れないと」と、自分の芸術を売って金が欲しんだと、ことあるごとに連呼しているような状況です。

 

 こういった「お金が欲しい」と連呼する、老人の芸術家の姿は、ある種の人たちにとって、とてつもない衝撃を与えることだと思います。それは芸術とは、お金や社会のシステムとは関係がない世界なのだと思いたがっている人たちのことです。

 当たり前ですが、芸術も――いえ、芸術こそが――社会の中でしか存在できないものです。特に現代アートともなると、その価値観は”社会的なもの”から決まっている度合いが強く、だからこそ、それらの芸術は社会というシステムの中以外の場所では存在できないものです。その現実を(おそらくは監督自身も意図せずに)まざまざと見せつけてしまっている映画となっています。

 

 ただ、この映画はそれだけの映画でもないのですが。

 この映画は、芸術を取り巻く様々な現実、辛くなるような現実を見せつけているのと同時に、そのような現実の中で、愚痴をこぼしながらも、ときとして心の奥底に憎しみや、戸惑いや、悲しみを見せながらも、それでも、なぜか一緒にいようとする――そんな芸術家夫婦の、腐れ縁のような二人の繋がりを描いている映画でもあるからです。

 

 

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