儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画レビュー:鉄くず拾いの物語


映画『鉄くず拾いの物語』予告編 - YouTube

 

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。そこでお世辞にも裕福とはいえない生活で暮らしている一家があった。父親のナジフは、山の木を切って薪にしたり、道に捨てられている車を解体し、エンジン等の重要な部品や解体したフレームなどの鉄くずを業者に売る人で、それで家族を養っているような状態。
 そんなある日、妻のセナダに異変が起きる。朝から妙に気だるいような様子が続いたかと思うと洗濯の途中で、お腹が痛くなってきたのである。帰宅したナジフもセナダの様子がおかしいことに気が付き、セナダの様子を見る。セナダは医者に診せなくていいというが、次の日気になったナシフは、セナダを医者に診せにいくことに。
 セナダは第三子を妊娠していたのだが、医者いわく、そのお腹の赤ん坊が死んでいて、流産しているというのだ。産婦人科で掻爬手術を受ける必要がある。だが、しかし、セナダは手術のさいに必要な保険証を持っていなかった…そのため、莫大な手術費が掛かってしまうという。


 実際にあった事件が映画化されるというのは、そんなに珍しい話ではないのでしょう。ただし、この映画は実際に事件に遭遇してしまった本人たちが、事件を再現して演じている映画であり、そういう意味ではかなり珍しい映画だと言えます。カメラのタッチも、極めてドキュメンタリーに近いタッチで撮られており、見ている間中、ずっと本当にカメラの目の前でそういった事件が起こっていたかのような錯覚に陥ることだと思います。
 また、この映画に出てくる主役の一家のような話というのは、決して日本にないわけではありません。世の中には、自分の保険証さえ発行できない発行していないような生活環境で生きている人間が多くいるのもまた事実です。
 そういった意味でも、真に迫るものがあります。
 主人公一家は、ロマ族という、元々は世界各地を放浪する形で生活していた民族であり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにはもともと存在していない人たちでした。そのためか、憲法上で彼らの存在は国民として認められておらず、そのために、これほどの貧しい生活を送らされてしまっている側面があります。監督は、そこを物語を通じて浮き彫りにしようとしているのです。

 ――と、こう書いてしまうと、この映画がとても難しい社会派の映画であるように感じてしまうかもしれませんが、決してそうではありません。映画の筋書き自体は、エンターテイメント映画に準拠したものであり、実際にあった事件を元に、しかも本人が演じている映画とはいえ、中身自体は極めてまっとうな映画として製作されています。
 もちろん、派手派手なBGM等を期待させるような映画ではありませんが、しかし、そもそも70分程度の尺ですし、退屈することなく、最後まで見ることが出来ると思います。

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