儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:トゥモローランド


『トゥモローランド』予告編 - YouTube

恒例の手短な感想から

評価できるのは、観客を惹きつける話運びだけ

といったところでしょうか。

 

 予め、断っておきますが、今回の映画、僕はそこそこ悪しざまに感想を書きます。ブラッド・バード監督を絶対視しているような方は、なるべく見ないことをオススメしたいです。それくらいのことを書くつもりだからです。

 

 さて、早速ですが、実のところを言えば、自分はかなり前からブラッド・バードの手腕には懐疑的でした。それこそ、Mr.インクレディブルの頃からです。確かにオタクとしての知識も豊富ですし、エンターテイナーとしての才覚もあり、観客を惹きつけたまま最後まで映画を終わらせられる技術や、細かい描写へのこだわり、過去の作品へのオマージュの数々など、彼の映画は確かに良く出来ているのですが、同時に、全ての作品で「なんだか、なにかがおかしい」という感覚に囚われる映画が多かったのです。(これは、本当に個人的な感覚なので、僕だけが思っているものなのかもしれませんが)

 その「なにかがおかしい」が表出してしまったのが本作ではないでしょうか。本作も、ディズニーのアトラクションの映画化とはいえ、全体的にはブラッド・バードらしく仕上がっていると思います。映画冒頭の、ジェットパックの描写から分かる、同じディズニー映画「ロケッティア」へのオマージュを始めとした、マニアックなオマージュの数々。次々に大きく展開していくストーリー。ツボをおさえた描写の数々。

 今までどおりのブラッド・バード映画です。しかし、同時にこの映画は全体的になんだか、なんともいえない不快感に包まれてもいます。例えば、露骨に涼宮ハルヒをオマージュしている、夢見る少女ヒロインの描写のおかしさ。ブラッド・バードは暗に「夢見ることは暗愚になること」とでも言いたいのでしょうか。そして、これまた露骨に綾波レイをオマージュしている、ロボットである推定10歳前後の少女ヒロインと、ダンディに老けたジョージ・クルーニーの儚い恋愛という、制作者の正気を疑うようなストーリーライン。

 端的に言ってしまって、この映画、異様なほど幼稚なのです

 

 それも子どもにウケを狙ったような幼稚さではありません。立派な大人が、社会と向き合いたくないために、そこから逃げるためにつくったような幼稚さが、映画全体を支配しており、これが酷く鼻につく内容となっています。

 

 そのためにオチも相当酷いことになっています。まず、ことの真相がかなり陳腐です。いえ、陳腐なんてレベルではありません。おそらく、予測される未来を変えろ的なSFの中でも、最底辺に位置すると思われる真相です。

 おそらく、ブラッド・バードとしては「ディストピアSFはもううんざりだ」と言いたいのでしょう。その気持ちは分からなくもないです。確かに、ディストピアの異様に悲観すぎる空気には、自分も「なんでそんなに世の中を積極的に暗く見たがるんだ」と言いたくなる瞬間もあります。

 しかし、それに対抗するための答えがこれでは、あまりにも大人げないです。夢を見ることと現実がどうだと散々煽っておいて、それら全てを投げっぱなしにして、ハッピーエンドにもっていくさまは、もはや狂気すら感じられます

 

 自分もブラッド・バードに懐疑的とはいえ、映画人としてはキチンと評価していますから、擁護もしたいのです。「これはきっとディズニー社の意向に従わされただけだ」など、そう思いたいのです。ですが、どう考えてもディズニー社が、エヴァンゲリオン涼宮ハルヒのオマージュ等を、よりにもよって自社のアトラクションを宣伝するための映画に望むとは思えません。やはり、少なくとも映画上の、異様にオタクめいたストーリー展開や雰囲気を察するに、ブラッド・バードに問題があるのではないでしょうか。

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