儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:さよなら、人類


映画『さよなら、人類』予告編 - YouTube

恒例の手短な感想から

これ、みなさん、本当に良いと思って褒めてます?

といったところです。

 

 ロイ・アンダーソン監督の作品は、恥ずかしながら、実はまったく見たことがなく今回が初めての鑑賞になるのですが、正直、これ一作を見た限りでは「いや、世評ほどすごいことを描いているわけではないような……」という感想がどうしても出てきてしまうような作品でした。

 まず、確実にこの映画でおかしいところを挙げておきましょう。邦題です。この邦題「さよなら、人類」――たまのあの曲と引っ掛けたんでしょうかね――は、基本的に邦題としては酷いです。本当に、映画の中身をちゃんと見て付けたのか、と言わざるをえないほどの適当ぶりです。「神々のたそがれ」という邦題も、そこそこ内容とズレていると思いましたが、この「さよなら、人類」はズレているなんていうレベルじゃありません。

 なぜなら、この映画、本編中に『原題の「枝の上で実存を省みる鳩」という題じゃないと、意味を理解できなくなるだろ!』という場面が、五箇所くらい存在していて、しかもそのどれもが作品のテーマに関わるような、重要であるはずの場面ばかりなのです。

 しかも、「さよなら、人類」って……なぜ、今更、たまなんでしょうか。宣伝の都合上、「枝の上で実存を省みる鳩」をそのままにするのはマズイというのは理解できます。が、だからといって、「さよなら、人類」なんてダサすぎるタイトルにするのは訳が分かりません。「宣伝の人のエゴみたいなものが透けて見える邦題だなー」というのは、僕が斜に構えすぎて見ているせいでしょうか

 

 さて、邦題だけでここまで貶してしまいましたが、肝心の内容の話に移りましょう。この内容ですが……これなら、モンティ・パイソンの映画をもう一回全部見返したほうが遥かにタメになります。途中、露骨にモンティ・パイソンをオマージュした(床屋のシーンは、TV版「木こりの歌」のオマージュと思われます)シーンまで入れている、この映画なので、あえて比較しました。

 なぜ、モンティ・パイソンを見たほうがいいと言えるのか。なぜなら、イマジネーションがあまりにも、どれもこれも似たり寄ったりすぎるからです。個人的には、監督にお前の頭の中には「死」と「横恋慕」と「搾取的関係の問題」と「孤独」以外のものを描ける回路が無いのか、と問いたくなるほどでした。本当に、描いていることがそればかり。

 しかも、どのシーンも「さっき見たシーンをまた繰り返してるだけじゃないか」と言いたくなるほどに、似ているのです。天丼的なギャグの意図でわざと繰り返しているものもあれば、おそらく、作り手たちの中では繰り返していないつもりなのだろうと思うようなものもあります。

 そして、そんな中でしつこく……酷くしつこく――うんざりするほどしつこく問われ続ける「こんなショッボイ人生を生きている僕らに、なにか意味ってあるんだろうか」というメッセージ。まず、問いがしつこすぎてまったく知的ではないでしょう。これのどこがインテリジェントですか?そして、しつこくしてしまったがゆえに、妙に真面目くさった雰囲気まで出てしまっていて、ブラックユーモアとしても失敗しています。

 一応、フォローを入れれば、この「こんな人生を生きている僕らに――」と憂いている作り手の姿こそが、まさに「枝の上で実存を省みる鳩」なわけで仕方ないという向きもあるんでしょうが、いやいや、それにしたって、この映画は、なんだか似たようなことばかりを寄せ集めすぎでしょう。

 そもそも、そんな悩みは、もうさんざっぱら、いろんな映画やら小説やらで問われまくって、ついにはマグノリア等まで行ってしまった話なわけで……正直、言ってること自体は「お前は山中さわお*1か」と言いたくなるような程度のことばかりですし。それをこんな仰々しく言われましても…という感想を抱いたのは僕だけなのでしょうか。

*1:ザ・ピロウズのボーカルで、同バンドの楽曲の作詞作曲もしている。正直、「店(コミュニティ)の中では様々なドラマが展開されていて楽しそうだけど、自分は、他人とすれ違ってしまうので、そこに上手く入っていけないボク…」と言いたげなあのシーンとか、言ってることはそんな程度のことではないかと…

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