儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:アイアムアヒーロー


「アイアムアヒーロー」予告

 

恒例の手短な感想から

得体の知れない傑作

といったところでしょうか。

 

 ゾンビものというジャンルは、極めて多く作られておりその中には数多くの傑作が存在するわけですが、この映画も間違いなくその傑作の一つとしてカウントしていいと思います。それほどにトンデモナイ出来の映画となっていました。

 本作「アイアムアヒーロー」は、原作漫画の魅力を最大限に引き出した出来となっています。そのため、自分はこの映画を単純に「面白い」と一言で現すことができません。映画を鑑賞している間、ずっとエンターテイメントとして楽しんでいる感覚がなかったからです。とても単純には割り切れないような複雑な魅力を放っていました。元の漫画と同じように。

 

 ハッキリ言って、この映画は序盤から終盤まで延々と、とにかく得体の知れない絶望感が支配しているのです。それも、従来のゾンビ映画のような「このままじゃ、死ぬかもしれない」という絶望感ではなく「生き残ったところでどうするんだ、これ…」という絶望感なのです。

 

 昔、和製ソンビゲームとして「SIREN」というゲームが出たことがありました。*1このSIRENというゲームのキャッチコピーは「どうあがいても絶望」だったのですが、このアイアムアヒーローもまた、とにかく「どうあがいても絶望」なのです。ある種、この絶望感は仏教的な無常感と結びついているようにも感じられます。そして、この無常感はよくよく考えてみると確かに、今までのゾンビものにはあまり見られない要素でした。

 

 原作の時点で相当にそれを感じる内容だったのですが、映画版はそれを極めて上手にまとめています。

 まず、この映画かなり最初のほうで、この映画の登場人物たちは全員見捨てられた人たちであることが分かる描写をいくつも挿入しています。そして、その提示があった上で主人公が様々な場所へ逃げていくことになるわけですが、この逃げている道中の描写も非常に上手いのです。

  今までのゾンビものでは、パニックに陥った人々は「とは言っても背景だよね」という描写が多かったように思います。例えば、全員同じような行動を取っていたり、同じような逃げ方をしていたりといったように。しかし、この映画は違うのです。人々は、みんなまったく違う方向に逃げているのです。

 それぞれの人が、自分なりに考えて必死で逃げようとする――しかし、その全ての人が結果殺されているという描写が積み重ねられています。これによって、なにをやってもダメなのだ、という八方塞がりな状況を観客に印象づけることに成功しているのです。

 

 また、パニックが広がる広がり方も極めて独特です。人によってはゾンビの存在が分かっておらず状況に付いていけていない人もいたり、実は日常が続いていたりと、まったく多種多様な民衆が描かれています。だからこそ怖いのです。やるせなさに襲われるのです。

 今までのゾンビ映画ならば「周りの人に惑わされなければいいんだ」という安心感が実は漂っていました。しかし、この映画では周りの人に惑わされてなくても死にます。独自に行動しても感染します。自らの行動と死に因果関係がないのです。

 

 事実、よくよく考えてみると主人公の英雄もほとんど偶然で助かっているだけです。何か一つ間違っていれば死んでいたかもしれません。しかし、生き残りました。理由はまったくありません。死ぬことに理由なんてなく、ただ死ぬというこの価値観は、極めて東洋思想的です。

 映画の終盤、ある人が生き残っていることに観客は驚きを覚えたはずです。映画の文法的に言えば、相当に悪いことをしまくっていた彼が生き残っているだなんて、挙句主人公たちと共闘するだなんて、あまり考えられないことです。自ら犯した罪の分、罰を受けて死ぬというのが普通の考え方であり、普通の映画文法です。

 しかし、彼は生き残っていました。それはなぜか。理由は簡単です。とにかく生き残ったからです。理由なんてないのです。因果などなくとにかく生き残ったのです。

 こういう部分が極めて無常感を感じさせるのです。

 

 ひょっとしたら、この無常感を感じさせる話作りは下手をすれば原作者も、この映画の製作者たちもまったく無自覚で行っているのかもしれません。日本はなんだかんだ言って、東洋思想の倫理観が根付いている国です。意識せずに偶然編み出してしまったということも全然に考えられます。

  しかし、そこがなによりも今までのゾンビ映画を超越したなにかに、この映画を昇華させてしまっているのです。

 

 西部劇(特に許されざる者)を意識したのであろう、銃をいつまでも使わない英雄から、通過儀礼を迎えてからは銃を使いこなしてゾンビを次々葬っていく英雄に変化するところや、極めてゲームの「ICO」的といえるヒロインの存在や、おそらく「28週後」オマージュと思われる描写など、その他にもこの映画の魅力はあるのですが、なによりもこの映画を異様に傑出したものにしている要因は、

 「無常感」

 これに尽きるでしょう。

*1:本ブログでも、進撃の巨人前編の感想記事で挙げたことがあります。

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