儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:ファインディング・ドリー


「ファインディング・ドリー」日本語吹替版予告編

恒例の手短な感想から

内容:カートゥーン 印象:八代亜紀

といったところでしょうか。

 

 ……言っている意味が分からないと困惑されると思いますが…。

 ともかくとして、本作はこの感想にかぎります。八代亜紀なのです。どうやっても、八代亜紀にしかならないのです。本作「ファインディング・ドリー」を見終わった人はみんなこう思うはずなのです。「あー、八代亜紀だなー」と。「八代亜紀だったね」と。当然、自分もその印象を持ちまして、ということで、この感想と相成るわけです。

  この映画は八代亜紀です。

 

 これには理由がありまして、この映画に登場する”あるもの”――原語版では、シガニー・ウィーバーが本人役でやっているんですが――を、日本語版では八代亜紀が本人役で色々やっているんです。で、この映画上で、登場する八代亜紀が、正直、原語のシガニー・ウィーバーよりも遥かに印象が強烈なんです。

 それはそうですよね。だって、シガニー・ウィーバーはそもそも女優ですし、エイリアンのあの人ですから、別に映画に出てくるなんて当たり前で、出てきたって「まあ普通だね」という印象で終わるのです。でも、八代亜紀は演歌歌手で、普通、映画には出てこない人ですから、出てきた時点で「なんだこれは?!」「この映画、おかしいことをしてるぞ!!」と驚愕せざるをえないのです。

 そのせいもあって、まあ、なんとも八代亜紀が印象に残ってしまうこと…。

 強烈過ぎて、映画自体の印象が全て吹き飛んでしまうレベルです。

 

 物語の構成も、実は八代亜紀が印象に残るような構成になっているので、なおさら印象が濃くなってしまいます。そして、八代亜紀になっているせいなのか、本作、どことなく、物語全体にルーニーチューンズ感が漂っていたりします。ピクサーで、ディズニーの作品だというのに、この作品、妙なほどにテイストがギャグアニメなのです。

 前作「ファインディング・ニモ」のイメージからすると、拍子抜けする人も多いかもしれません。それくらい、基本的にこの作品はギャグの連続なのです。クライマックスもギャグ全開で、観客を感動させようとかそういうことは、あまり考えていません。事実、エンドロール後にちょっと出てくるオマケ映像は、完全にオチの付け方がルーニーチューンズそのものという状態だったりします。

 このように、本作はギャグアニメなのです。

 主役のドリーは記憶障害の持ち主であるため、もっと真面目なテーマを扱って、重い話にもっていくことも可能であったはずなのですが、本作はそういった変に真面目ぶった、小難しいことを言い出すのはやめて、なるべく作品をアッケラカンとした陽気な雰囲気で一貫させています。

 

 本作で、よく分かるのはピクサー/ディズニーは現在方向性を模索中だということです。最近のピクサー/ディズニーは、その話題性に比べて「では、実際に子どもたちが見ているのか」と問われるとそうではないことが多く、興行収入的にも、ドリームワークスにお株を奪われている状態が続いていました。

 その状況に思うことがあったのでしょうか。ともかくとして、アーロと少年、ズートピア、本作……今までのディズニー・ピクサー作品からすると、いずれもかなり意欲的な作品です。

 そして、その中でも本作は特に意欲的です。ピクサーらしい”教訓”などは、まるでありませんから。

 

 なので、実は今まで「ピクサーとか、ああいう真面目そうなものはなぁ…」と思っていた苦手意識のある人ほど、本作はオススメなのです。ぜひ、見てください。

 苦手意識のあるあなたに、この作品は必ず「あー、八代亜紀だなぁ…」と思わせてくれることでしょう。

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