儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画レビュー:雪の女王〈新訳版〉

雪の女王 ≪新訳版≫ [DVD]

 ある国に住む少年少女・カイとゲルダは幼なじみで、とても仲良しだ。互いにプレゼントするために育て上げたお花を一緒の鉢に植え、ずっと仲良しでいようと誓い合うほどの。

 夏は屋上の庭で過ごし、雨が降ったり、長い冬の時期などはお婆さんから一緒に話を聞いたりする。

 ある日、二人はお婆さんから、外の雪がどこからやってくるのかを語り聞く。お婆さん曰く、雪たちは全て遠くにある雪の女王からやってきている、彼女の家来なのだというのだ。雪の女王はとても美しい氷の女王で、常に輝きを放っている不思議な女王だ。美しさの反面、心は冷たく、常に領地を見張っており、女王は夜の道を走り抜けて、家の窓を覗くのだという。

 

 話の最中、ゲルダ雪の女王が鏡の向こうから見ていると叫ぶ。雪の女王が家の中にやってきてしまうのではないかと不安がるゲルダ。カイはへともせずに、暖炉で温めてしまえばいいのさと、ゲルダを笑わせる。

 その様子を鏡を通じて見ていた雪の女王は、怒り心頭。雪たちに二人の心に氷の欠片を刺すよう命じる。そして、カイの目に、雪の女王が放った氷の欠片が刺さってしまう。

 途端、カイはゲルダに冷たく接するようになり……

 

 

 え、アナもエルサもいないんだ、と驚いた人も少なくないのではないでしょうか。雪の女王は、御存知の通り、ディズニーでもかなりのヒット作となった「アナと雪の女王」の原作です。その原作である、雪の女王はこのようなストーリーとなっているのです。

雪の女王が実は悪役だった」という部分までは知っている方も多いと思いますが、上記のような内容であることまで把握している方は少ないかと思います。ですが、本作は素晴らしい出来の映画です。

 なにせ、宮﨑駿でさえドハマリしているほどの出来ですから。実際アニメーションの動きなどは、要所要所で宮崎アニメの動きに影響を与えているような部分が見受けられます。特に、カイとゲルダが仲良くしているときの描写は、ジブリアニメの原点と言っていいでしょう。

 

 ですが、なによりも本作の最大の魅力は、雪の女王という童話への解釈でしょう。本作は「思春期の始まり」というものをメタファーにしている映画です。舞台となる冬という時期は、言い換えれば「春、夏へ向かう前の時期」とも言えます。つまり、これは主人公ゲルダと、幼なじみのカイがイノセントな関係から少し大人な関係へと変化していこうとしている物語なのです。

 事実、数々の描写がそれを裏付けています。

 例えば、ゲルダは連れ去られたカイを追う過程で、もう少しでカイに会えるかもしれないとなった場面で「ドキドキする」と言い出したりするのです。お城に潜入し、兵隊から隠れたときに出てくるセリフなのですが、果たしてゲルダは隠れていることにドキドキしているのでしょうか。カイに会えると思ってドキドキしているのでしょうか。……暗示的な場面だと言えます。

 また、カイが徐々にゲルダに冷たくなっていく過程と、雪の女王に惹かれていく過程も、思春期の始まりを感じさせるものになっています。

 例えば、ゲルダに冷たくする描写といえば、一緒に遊ぼうとするゲルダをイチャモンつけて追い返したり、お花を踏んづけたり……まるで少し成長して気恥ずかしさから、女の子を遠ざけようとする男の子のようです。

 そして、雪の女王に惹かれる過程も、雪の女王に美しい人工物を見せられ、その魅力を教えられる中で雪の女王に惹かれ、連れさらわれてしまう姿は、大人の女性の魅力にべったりになってしまおうとする少年のようです。

 

 このように、本作、「雪の女王〈新訳版〉」では数々の描写から、それとなく思春期という要素を感じ取れるように作られており、極めて、暗示的な内容なのです。だからこそ、クライマックスに訪れる雪の女王の顛末は、雪の女王が象徴的なものであることを表すような不思議なラストとなっているのです。

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