映画感想:聲の形
恒例の手短な感想から
予想を裏切って素晴らしい!!
といったところでしょうか。
正直、最初に京都アニメーションがアニメ化すると聞いたときは、かなり不安になりました。聲の形は、そこらへんのネット世界にどっぷりな人たちに、ありがちな「イジメ、ゼッタイ、ダメ」的な解釈も――「報われない主人公たちのうんたらかんたら」的な解釈も――いわゆるリア充的な側からの「障害のある恋、かわいい」的な解釈も――「障害、かわいそう」的な解釈も――あるいは、イジメ経験側からの「イジメたやつはとにかく悪いんだ」的な解釈も――全てやったら、一発アウトという、ものすごく難しい案件だからです。
それを果たして「けいおん」や「たまこまーけっと」の山田尚子監督が、映像化出来るのかと考えたら……当然、疑問しか浮かびません。
が、不安に反して、本作は聲の形が抱えている「いくつものテーマ」の中から、見事に「本筋のテーマ」を見出すことに成功しています。本編中、観客が単純に「こいつ悪いやつ。良いやつ」と解釈しそうになる心を、何度も裏切り続け、延々と惑わせていくストーリーと演出の数々に、誰もが「これはとても難しい問題を突きつけてきている」と感じたはずです。
考えさせられる、という感想を並べる人も多いことでしょう。
そう感じざるをえないほどに、この映画が的確に「聲の形」の全てを描いているからです。全てを描いているとは、つまり、上記のような幼稚な解釈たちを俯瞰できる、一つの大きな解釈を提示している、ということです。
ハッキリ言えますが、聲の形は「障害の話」でも「恋の話」でも「いじめの話」でもありません。それらは「そういう現実」という舞台として用意されたものに過ぎないのです。
耳の聞こえない人も、イジメた人も、イジメられた人も、現実としてどこにだって存在しています。イジメられた人が、かつてはイジメた人でもあった――そんなことだって、別に珍しいことではありません。誰もハッキリ言わないだけです。そんな現実は陳腐なほどに存在しています。
ですから、実はこれらをテーマにしたところで、特段、胸に訴えるような作品にはなりえませんし、作品としての意義もありません。
事実、イジメをテーマにしたものも、障害をテーマにしたものも、散々ありますが――大体にして、見ている人の「こんなのに同情できる私ったら良い人ねぇ」という自己満足を誘って、なにも意識を変えずに終わり、という、ゴミみたいな結果しか生み出してきませんでした。
聲の形がそれらと一線を画す存在になっているのは、それらの上を行く話を描いているからです。
本作は、「そういう自分の周りにある、圧倒的な、取り返しなどつかない、変えようもない、どうしようもない現実という暗中で、もがきながらでも成長する――しなければならない理由を描いた話」なのです。
ここに気が付いて、ちゃんと映像化しているからこそ、聲の形は、非常に意義のある一作となっていると言えるでしょう。
予想を裏切って素晴らしい作品でした。
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……蛇足ですが、立川談志という噺家が言った「よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。」という言葉はご存知ですか?
まあ、人によっては「なんて酷いことを言うんだ」なんて言われたりする、冷たい現実を突きつけた言葉なんですが……実は、この言葉、続きがあるんです。
よく覚えとけ。現実は正解なんだ。
時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。
そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。
その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う