映画感想:ラ・ラ・ランド
恒例の手短な感想から
そりゃあ、作品賞取れないのは当然じゃないかと…。
といったところでしょうか。
いやー、困りましたね。こんなに、なんとも微妙な出来の映画になっているとは……。
前評判からすると相当に裏切られた気分としか言いようがないです。一般の人ならともかく、映画に詳しい人が、高い評価を下せるような一作でないことは明らかですから。こんな、”奇抜”という言葉で監督の能力の至らなさを誤魔化したようなものを、平然と評価できる、映画評論家なんてこの世にいるんでしょうか?
……残念ながら、いたわけですけれども。
ともかくとして、本作は出来として微妙です。決して傑作と呼べるような映画ではありません。実際、すったもんだがあったアカデミー賞でも、作品賞は別の作品に奪われていますし……。
なぜ、この映画が微妙だと言い切れるのか。それはもう簡単な話で、ミュージカル映画なのに、肝心のミュージカルやら、タップダンスやら、音楽やらのクオリティが完全に二束三文の代物だからです。
例えば、タップダンスの、目も当てられないクオリティの低さ。
確かに、かつてのミュージカル名画にあったタップダンスのポーズを要所要所で真似たりはしているのです。しかし、それは要所要所のみの話で、全体的には「タップダンスをバカにしてるのか?」と思いたくなるほど、チンタラした地団駄ショーが繰り広げられるだけなのです。
監督はフレッド・アステアとかのタップダンスを見たことないのでしょうか。
そして、劇中で使われる音楽も、まあクオリティが微妙なこと。とりあえず、ジャズにしておけばオシャレで高尚になるんだと言わんばかりの、雑なジャズが延々と流れてくるのです。
音楽もダンスも微妙なミュージカルって、そんなものを一体誰が作品賞にするのか、という話です。
もちろん、僕はこの監督が「セッション」を撮ったデミアン・チャゼルだということは知っています。
ですが、僕から言わせれば「セッション」を撮った人だからこそ、こんなお察しな出来のミュージカルになってしまうのは当然の話しなのです。
そもそも「セッション」自体、音楽のクオリティはびっくりするほど低いです。全編、こまっしゃくれた大学生が作ったような曲が流されているだけでしたから。ただ、セッションの場合は、題材が題材なこともあって、その「こまっしゃくれた大学生が作ったような曲」が、むしろ、相乗効果を生み出しているという状態だったはずです。
ようするにデミアン・チャゼルは、音楽の才能やセンスが皆無だったからこそ、セッションという傑作を撮れたのです。
そんな人が、ミュージカルなんか撮ったらどうなってしまうことか……。
……まあ、どうなったかは、この映画を見れば分かるのですが。
で、ミュージカル部分がダメとなると、あとは映画自体の筋書きはどうなのかという話なわけですが……これも、うーん、あまりよろしくないです。というか、自分がちょっと前に感想記事を上げた映画「ブルーに生まれついて」に半分くらい話が似ているんですよね。
そして、「ブルーに生まれついて」と比べると、本作はなんだか、妙に話が子どもじみています。どの登場人物もとてつもなく、単純というか。ラストの展開も、なんだか子どもくさいです。というか、ハッキリ言いますけど、これ、ほぼやってることは新海誠と同じなのでは……?
ようするに、この映画が言いたい感慨やら、感情やらというものは、すごく大学生の感覚だということです。精神年齢が20~24歳くらいの方だけが、喜びそうな幼稚さで満ち満ちていますし、それが「大人だ」「高尚だ」とこの映画の作り手は思い込んでいるのでしょう。
だから、この映画の全てがクオリティの低いものになってしまっているのです。
「僕、すごく頑張ったし。頑張ったから、ちゃんとやらなくてもいいじゃん」「見た目良さげな感じに仕上がったから、もういいじゃん」という"学生気分"が、作り手にあるから、
ミュージカルのバックダンスが、格好良く揃っていないことや、スローテンポの曲がどれもこれも「Fly me to the moon」のまがい物みたいな曲ばかりに偏ってしまっていることや、タップダンスの肝心のタップ音がまったく聞こえていないことなどを、まったく気にしていないのです。
ライアン・ゴズリングも「ナイスガイズ!」の輝いている演技と比べると、なんか普通ですし、本作、そんなに積極的に観に行かなくていいです。その程度の微妙な映画、なのです。
いやー、これはムーンライトが楽しみですね。