映画感想:ムーンライト
恒例の手短な感想から
んー、惜しい映画過ぎて、頭が痛い……。
といった感じでしょうか。
第二章まではかなり面白い映画だったと思っています。第二章までは、アカデミー賞で、ラ・ラ・ランドを抑えた上で、しかもゲイ映画で初の作品賞受賞を達成した映画に相応しく、精緻な描写が備わった立派な映画だったのです。
人よりも小柄な黒人の男の子が、イジメを受けながらも、ギャングのリーダーや唯一の親友に支えられながら成長していくものの、状況は一向に良くならず――どころか、ヤク中の母親は症状が悪化し、学校でのイジメもより一層に過激化、しかし、そんな中で自分がゲイなのだという自覚を覚えるようになり――。
畳み掛けるように、複雑な問題とテーマが次々とこの映画で提示されるだけでも、相当に面白いのですが、その上、この映画は全体的に「実はシュールな」「実は抽象的な」表現が合間に挟まる構成となっており、それらの描写を手伝って、物語に強く引き込まれていく内容となっています。
特に、主人公と親友のラブシーンは美しさと、性への生々しさが同居しており、ここは冗談抜きでかなり素晴らしいです。
その後、主人公に訪れる――ネタバレになるので表現をぼかしますが――急転直下の展開も、人生の"らしさ"と言いますか、人間関係の複雑さや様々な想いが交錯する展開となっており、主人公と親友どちらに感情移入しても、心苦しさが残るものとなっています。
この"展開"の部分は、撮影も素晴らしかったです。あの「グルグルと周囲をカメラが回ってるかと思えば――」という、見せ方の順序立てが上手く「すごい。考えたなぁ」と感心もするのです。
しかし、それでも、この映画は非常に残念なことに、最終的には「えぇぇぇ……」と困惑せざるを得ないほどに、ガッカリとした展開になってしまいます。
具体的に言えば、第三章の「ブラック」からは、本当にこの映画はどうしようもなく薄っぺらいのです。
例えば、あれだけの複雑な問題が絡み合って、母親の、嫉妬とヤク中と息子への愛がグッチャグチャに混じり合って、最悪の方向に進んでいたあの状態を、映画上でなにか解きほぐすような場面も与えずに、それら全てをこの映画は「時間が解決してくれましたー」で終わらせてしまうのです。
いくらなんでも、これはないでしょう。
もう一つ、例えば、主人公が非行に走った原因です。この原因には、映画を見た方なら誰でも分かるとおり、親友も加担しているのです。同調圧力への恐怖があったとはいえ、事実としてこの親友は主人公が、麻薬の売人になってしまう原因をつくった一人であるわけで――では、そんな親友を、主人公は「憎い!」と思うと同時に「でも、お前が好きなんだ!」という気持ちが交錯するシーンがあるかというと、これもほぼ無いのです。親友がそれを後悔することもないのです。
ひたすら、映画の終わりまでその問題をフワーとした雰囲気で誤魔化して「観客にバレる前に逃げちゃえ!」と言わんばかりに話を強引に終わらせているだけなのです。
「一体、第一章・第二章の奥深さはどこへ行ったんだ?」と思うほどの浅さです。
で、なぜ、このようなことになっているのかというと、答えは簡単で「ウォン・カーワイ」のせいです。
第三章は見る人が見れば、すぐに分かるほどにウォン・カーワイの「ブエノス・アイレス」がオマージュされています。どうやら、監督が好きなんだそうです、ウォン・カーワイ。
確かに、ウォン・カーワイは画面上のこだわりや美しさには定評があります。それをオマージュして真似するだけなら、全然、個人的には大丈夫だと思うのです。
が、ウォン・カーワイはそれと同時に「とにかく話が薄っぺらい」「無神経」という巨大な欠点も抱えていまして――ようするに、ウォン・カーワイのそういう部分まで真似してしまった結果、こうなっているのです。
いやー、本当に惜しいというかなんというか……。
ウォン・カーワイは、画面を真似するだけなのが一番理想的なのです。本当に、あの人の話作りとかは真似しちゃいけないのです。
本当に惜しい映画です。