映画感想:メッセージ
恒例の手短な感想から
文句はないが、感慨も特にない
といったところでしょうか。
まあ、その程度の映画かなというのが本作への感想です。テッド・チャンの「あなたの人生の物語」を原作としている本作ですが――そもそも、テッド・チャン原作の時点でそうなのですが――まあ、「妥当な」「順当な」「そこそこな」出来ではあるけれども、それ以上の出来ではない映画が本作です。
映画の宣伝などでは、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が「新しいSFの映画なんだ」的なことを言っていますが、実のところアイディアとしては、新しいどころか、むしろSFとしては、ありきたりと言い切ってもいいくらいの、普通の映画です。
元も子もなく言ってしまえば、オチあたりはヴォネガットあたりがよくやっていたようなことを、単にやっているだけの映画でして――というか、どう見てもスローターハウス5ですよね、これ。「スローターハウス5」にも映画版がちゃんとあるんだから、それ見ればいいじゃないですか、って思っちゃうのは僕だけですかね。
唯一、原作で新しいアイディアが凝らされているのが「言語」に関してで、逆に言ってしまえば、その、宇宙人の言語に関しての考察が面白かったから原作はそれで良かったのですが、本作は……。
どう考えても、力の入れるところを間違えたとしか思えないのです。
この映画を奇特なものにしたいならば、どう考えても「宇宙人の話す言語を理解する過程」にもっと力を注いで映像化するべきだったように思います。その一点のみが、唯一、原作の時点で「斬新」と感じられる点であったのですから。
ですが、本作はドゥニ・ヴィルヌーヴ監督がなにを勘違いしたのか「幼年期の終わり」や「2001年宇宙の旅」*1あたりから、SF史に連綿と続いている"地球人の常識を超えた超宇宙生命体"がやってきて、人類にどうこうする話の"類型"でしかない部分をクローズアップしてしまったのです。
しかも、クローズアップして描くにしても、描き方自体があんまりにも普通なのです。
どういうことかと言いますと、この映画、ある理由から時系列が錯綜するような構成で作られているのですが、2017年の映画だと言うのに――あるいは、映画の作り手たちも、時間から開放されて過去を忘れてしまったのか――今までの時系列が錯綜するタイプの映画と比べても、「錯綜」のやり方が雑なのです。
例えば、無理やりに現在の時間に、未来の音声やらを流して未来の映像をフェードインさせようとしてたり、未来から現在に戻すときもだいたいが、主人公がハッと夢から覚めて戻るシーンばかりだったり、雑なのです。
前述した映画版の「スローターハウス5」と比べても雑です。またそれ以外の、時系列が錯綜するタイプの映画と比べても……。
例えば、このブログで紹介した映画で言えば、今敏監督の「千年女優」、ヴォイチェフ・イエジー・ハスの「砂時計」などからすると、比べ物にならないレベルで本作は雑です。この二作がいかに上手く、見ている側の時間の間隔を狂わせるレベルで、時系列を錯綜させていることか。
本作を見終わっても「あれ、今って、今だよな? 今じゃないわけないよな?」とか、そんな混乱したような思考をすることはないでしょう。多少、複雑な構成に頭を使うことはあったとしても。
とはいえ、悪い映画ではないです。撮影や、話の展開などに難はないですし*2普通にお金払って、普通に見て、普通に納得して帰る分には、なんら問題がない映画です。
ただ、期待している方は、あんまり期待しないほうが良いかなと思いますが……。