映画感想:リズと青い鳥
恒例の手短な感想から
一つの頂きへ至った傑作音楽映画
といったところでしょうか。
ここまでに”音楽”というものを、描ききった作品がよもやアニメ映画で誕生するとは驚きに尽きます。音楽をテーマとした、今年のアニメ映画としては間違いなく本作は最高峰です。「リメンバー・ミー」などの映画を遥かに下に見下ろせる傑作と言い切っていいでしょう。
それどころか、実写の音楽映画と比較しても、これほどに芳醇な音楽映画足り得ている映画は少ないです。ジャズ映画、クラシック映画、ロック映画、ヒップホップ映画……自分は様々な音楽映画を鑑賞していますが、これほどに"音楽"を描いた映画は、「ブルーに生まれついて」くらいしか知りません。
それくらいの大傑作です。
映画として、本作は実に話の筋書きがシンプルです。思春期特有の――ともすれば恋ともつかないような――同性への特別な感情を抱く女の子と、そんな感情を抱かれている女の子の二人が、吹奏楽部のコンクールに向け、ある一つの曲の練習を繰り返す中で、二人の気持ちが交錯していくだけの映画です。
話としては、悪く言ってしまえば陳腐にもなりかねないほどにシンプルであり、極めてよく見る「大人へと至る、青春の物語の一つの類型」に過ぎないのです。
それでも本作を鑑賞した人は「あまりにも見たことがない映画を見た」と感じたはずです。
それはもちろん、本作を監督した山田尚子監督が、「聲の形」から身につけ始めた非常に高度な演出や、京都アニメーションのクオリティ高い作画技術や、絶妙なミスリードを混ぜた脚本などによって、映画そのものが特異な雰囲気を放っていたことも、「見たことがない映画を見た」感覚を生み出した一端であるのでしょう。
しかし、本作は、それだけで、ここまで特異な映画になったようには思えません。
そもそも、本作が描く「音楽」の姿自体が、普通の物語では絶対に描かないような姿だったからこそ、本作は「見たことがない映画」になっているのではないでしょうか。
端的に言ってしまって、音楽とはコミュニケーションの一種です。特に吹奏楽などのアンサンブルの世界では、その要素が強く存在しています。リアルタイムなコミュニケーションの中で生み出される”美しさ”を求める芸術――それこそが、音楽であると言えます。
ここまでは、どんな映画でも大抵言っていることで、当たり前にしか思えない話でしょう。
しかし、この映画が特異なのは、この「音楽とはコミュニケーションである」という前提の先を行ったところにあります。大抵の映画において、この「音楽というコミュニケーション」は、超然的な幸せをもたらすものとして描かれているのです。
つまり、「心が通じ合うことは幸福なんだ。幸せなことだ」と、大抵の映画は、そこを信じて疑わない描写を持ってくるのです。
本作はそこが決定的に違います。
コミュニケーションによる相互理解とは、常に幸福なものとはかぎりません。多くの人は、知られたくない思いがあり、そもそも自分自身さえ理解できていないモヤモヤとした何かを、胸に抱えているものです。
それが他人とのコミュニケーションによって、暴かれてしまった瞬間は、とても美しくありながらも、下手をすれば不幸とさえ言える状況を生み出してしまいます。
音楽もそうなのです。いえ、音楽こそが最も、その要素が強いコミュニケーションかもしれません。音楽は、言葉を介さない――つまり、表面を取りつくろうことが出来ないからこそ――伝えようとした瞬間に、ストレートに全ての思いと事実を容赦なく相手に伝えてしまうのです。
本作は、その音楽というコミュニケーション――何もかもを暴いてしまうコミュニケーションの――美しさと同時に内包された残酷さをも描ききっているのです。だからこそ、この映画のクライマックスは、あれほどに複雑な気持ちを抱かざるを得ないものであり、そして、それがあるからこそ、本作が「とても見たことのない映画」に変貌してしまっているのです。
決して、最高の音楽が現れた瞬間が、コミュニケーションとして幸福な瞬間ではないという、この圧倒的な現実の前に、自分たちはただ言いようのない感情を覚え、口を噤むしかなくなります。本作は間違いなく、大傑作でしょう。