映画感想:ファントム・スレッド
恒例の手短な感想から
"見えない糸"に圧倒されて……………。
といったところでしょうか。
本作は、久しぶりのポール・トーマス・アンダーソン監督作品だというのに、なぜか巷では、あまり注目もされず、話題にもなっていないーーどころか、上映館すら今までよりもずっと少ない状態でした。
自分も気まぐれにネットを検索するまでは、本作の存在を知らず、気づいたときにはだいぶ上映館も少なくなっていたのですが、どうにか都内最後の上映館で見てきました。
見た感想なのですが……こんなにも面白いのに、こんなにも感想に困る作品もないですね。
本作、出来栄えとしてはとてつもなく素晴らしいのです。はっきり言って、かなり面白いです。
この映画には、見た人の誰もが「あの場面どう思った?」「あの瞬間、どう感じた?」と同じくこの映画を見た方々に語りたくなってしまう、圧倒的な魔術力があります。
しかし、具体的に「本作のどこがどう素晴らしいのか」を説明しようとすると、これがあまりにも難しくて感想に困るのです。
本作は怖い映画です。ある面においては。
しかし、怖いばかりの映画ではありません。笑えてしまうような場面もあり、普通のラブロマンスでもあったりするのです。
そして、時折、話の筋書きがおかしかったりもします。
しかも、話の筋書きがところどころおかしいにも関わらず、本作は観客の理解を拒むようなタイプの映画ではなく、基本的には登場人物たちの言っていることや、やっていること、抱いている感情は観客でも共感できる内容なのです。
特に、一つのある恋愛をーー人間関係をーー描くことに注力する、本作は人間関係における難しい駆け引きや、難しい葛藤を巧みに浮かび上がらせており、それをフィルムに映すことに成功しています。
例えば「好きだからパートナーに合わせなければいけない」という気持ちと「相手も好きであるはずなのに、なぜ合わせなければいけないのか」という2つの気持ちで板挟みになる主人公・アルマの心境や、後半でそれと同じような葛藤を彷徨うことになる主人公のパートナー・レイノルズなどの心境には、共感を覚えた人も少なからずいたのではないでしょうか。
しかし、それでも、最終的に誰もがこう思ったはずです。
「この主人公たち、何を思っているのかサッパリ理解ができない」と。
一瞬、とても共感しそうになっただけに、最終的に「あぁ、やっぱりこの人、全然自分と違うんだ。自分には理解できない人なんだ」となったことに、衝撃すら覚えたはずです。
そして、ある意味で、衝撃的なオチにこう思ったはずです。
「どうしてそうなるのか」と。
実際、自分も鑑賞中はかなり唖然というか、呆然とした記憶があります。「ここまで積み上げた物語を、こんなふうに終わらせてしまうことが、あっていいのか」と。しかし、そんなふうに呆然とさせられたというのに、なぜか本作に対して、不思議と怒りも呆れも出てこないのです。
これは、なぜなのでしょうか。
きっと、自分の心の中の何処かで、このオチが腑に落ちたのだと思います。
つまり、矛盾した書き方になりますが「あぁ、なんか分かるかも」とも自分は思っていたのです。
当然、この映画のように、自分の身の回りが、あんな極端で過激な状況になったことなどはありません。が、例えば「明らかに嘘だと分かっているのに、明らかに自分を騙そうとしているのだろうと、察しているのに、それに対して、怒りすら沸いていたのに、いざ対峙すると、諦めのような境地になって…………あるいはそんな境地すらなく、ただただ流れで首肯していた」ーーそんな程度の経験ならば、自分の二十数年の薄い人生経験でも、数え切れないほど多くあります。
だからこそ、このオチにーー言ってしまえば観客に向かって粗暴に殴りかかってくるようなこのオチに、不思議と怒りが沸いてこなかったのではないでしょうか。
確かに筋書きとしては、話の流れとしては、この映画は節々が理解不能で、流れのおかしい映画なのです。オチでさえも。
しかし、「人間ってそういうものじゃないか」と問われたとき、自分たちはあまりにもそれが否定出来ないのです。
見えない糸でどうしようもなく繋ぎ合わされ、その糸の両端を引き合いながら、こっちへあっちへとフラつくアルマとレイノルズの姿を「変だ。奇妙だ。気持ち悪い」と思いつつも、「こんなことはあり得ない」と全てを否定することができないのです。
つまり、この映画は描き出したのは、恋愛における、いえ人間関係における、そんな人間の姿なのです。そこらへんの漫画や小説や映画が描き出す、絆や縁なるものとは明らかに違う、現実の恐ろしく美しく面白い"縁"に縛られた人間の姿なのです。
だから、この映画はとてつもなく素晴らしいのです。