儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:クリード 炎の宿敵


映画『クリード 炎の宿敵』特別映像

 恒例の手短な感想から

 本当に新人監督が撮ったの?!これ?!

 といったところでしょうか。

 

 本作、かなり面白かったです。

 ロッキーシリーズや、前作のクリードとは違い、かなり無名の新人監督に任せたということで、多少なりとも奇をてらったりする可能性もあるのではないか、と思っていましたが、その不安に反して、本作はかなり王道の手法と、王道の演出が用いられており、新人監督がここまで堂々とベタベタな演出を用いてくるかと感心する出来となっております。

 

 特に感心したのは、この映画の序盤です。

 

 え、そんなに素晴らしい序盤だったかな?感心するような出来だったかな?と映画を鑑賞された方は首を傾げたかもしれません。

 そうです。そんな出来ではありませんでした。しかし、だからこそ素晴らしいのです。

 この映画の序盤は、わざと素晴らしくないように作られています。観客に「なにが話の本筋で、なにが話の脇道なのか」をはっきりと理解させるために、この映画は序盤をあえてつまらないように描いているのです。そのあえて、つまらない序盤にする、テクニックと計算高さが実に素晴らしい作り手じゃないかと自分は感心したのです。

 

 あえて盛り下げるテクニックが遺憾なく発揮されたのは、序盤のクリードがチャンピオンとなるシーンです。このシーンで使われている話を盛り下げるための演出テクニックの数々は、教科書にしてもいいほどです。

 普通であれば、クリードがチャンピオンになった時点で――前作からのファンであれば、なおのこと――物凄く気分が高揚してしまうことだと思います。普通ならば、このシーンが映画のラストになってもおかしくないのです。

 しかし、今作では、そこは話の主軸ではありません。だから、そのシーンをあえて盛り下げる必要があるわけです。その後の「本当に主軸にしたい話」をちゃんと盛り上がる話にするために。

 

 そのために、この映画では巧みに「観客を拍子抜けさせるように仕組まれた」演出が、序盤で畳み掛けるように入れられています。例えば、「試合中に一切、クリードの視点からのカットを挟み込まない」や「重要な場面で、極めて論理的にあえて無音にする」など細かく細かく様々なテクニックで、観客の気持ちがクリードの試合から離れるように仕組んでいます。

 

 この時点で自分はかなり感心しました。

 そして、「ここまで計算して観客の気持ちを映画にのめり込まないようにコントロールできる作り手ならば、逆に、観客の気持ちを映画にのめり込ませるようにコントロールすることも可能なはずだ」と、確信していました。

 結果として、自分の確信は当たっていました。見事にこの映画は、脚本で演技で撮り方で演出で観客の気持ちを巧みにコントロールしていくのです。

 あるときには、パンチの打撃のテンポに合わせて、音楽を流し、気分を高揚させ、またあるときは、主人公の悲劇を観客と同じように画面から眺めている視点から写し、歯痒い思いをより倍増させてきたり――物語の悲喜のレールに、観客たちが見事に乗ってしまうのです。

 

 そして、終盤のこれでもかと、ベタベタなタイミングでベタベタに流される、あのメインテーマ……普通の映画なら、これをやってしまうと寒いことになってしまうのですが、ここまで観客の気持ちをコントロールしている映画だからこそ、本作ではこのベタベタな演出がむしろ様式美のような、素晴らしい王道演出に様変わりしています。

 

 ここまで計算高い演出を堂々とやってのけた、ティーブン・ケイプル・Jr監督、この手腕なら、クリード以外の映画でもかなりの手堅い技量を見せてくれるのではないでしょうか。今のところ、日本では、彼の過去作を見ることが出来ないのが少し残念です。

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