映画感想:翔んで埼玉
[字] まさかのあの人も登場!? 映画『翔んで埼玉』予告編 日本語字幕
恒例の手短な感想から
悔しいかな、良く出来ている。
といったところでしょうか。
正直、出落ちとしか言いようがない本作が、ここまでちゃんとした映画になっているとは、誰もが想像していなかったことでしょう。最近の邦画は、意外にも面白い映画が多いことは、知っている人ならばとうに知っている事実ですが、本作まで面白い映画になってしまうことは誰も想像だにしていなかったのではないかと。
監督の過去作も大してパッとした出来の映画はなく、個人的には「いくらなんでも、本作はクソ映画に仕上がるはずだ」という予測を立てていたのですが、見事に外れてしまいました。自分はこの映画の作り手、そして何より埼玉を侮っていたようです。
自分も埼玉にかつて数年ほど暮らしたことがあるからこそ言えるのですが、埼玉という県はとにもかくにも、煎餅とねぎと古墳以外は何もないわりに、天候は季節ごとに妙に荒れ、無駄に広大で、田んぼばかりある場所なのです。
その上、少なくとも自分が暮らしていた頃は、地域によっては、東京の近隣県なのかと疑いくなるほどに、排他的かつ文化的にも遅れているところが多々あり、未だに大人が体罰を容認している空気さえあるという、平成だと言うのに昭和をまだ引きずっている県という有り様でした。
まさに、本作のような揶揄をされても、仕方ない土壌が確かに存在している場所であり、それどころか、自分は「なにもない場所から、どうやって二時間にも渡る話を引き出せるわけがないから、絶対つまらない映画になる」と見くびってすらいました。
しかし、本作はその見くびりに対して、完璧な返答を出しています。
まず、作中の埼玉冒涜間違いなしの設定に対し、予め「フィクションで埼玉を貶すつもりはない」と予防線を張った上で、更に、本編の話を、作中の親子達がカーラジオで聞いている都市伝説という設定にして、何重にも物語にオブラートを包み、なるべく観客と作品との距離感を遠ざけることに成功している時点で上手いです。
おかげで「埼玉だ、埼玉だ」と作中でいくらバカにしても、観客が真に受けることがない訳です。だからこそ、作中に出てくる埼玉ギャグに対して、観客はなんの抵抗も感じることなく、笑ってしまうわけです。これが多少でも、現実との接点を感じさせるような描写があれば、怒ってしまう人も出てきたことでしょう。
その後も、本編の話を進める合間合間に、前述した親子の描写を挟み込むのがまた上手いです。立場的に観客はこの親子と同じような状況ですから、観客はこの親子に感情移入しやすい状況になっているわけです。
……そんな中で、この親子が少しずつ埼玉への郷土愛を思い出していく筋書きになっていたらどうでしょう?
当然、観客も次第に埼玉寄りの気持ちを持つようになっていくわけです。
入れ子構造にした物語が、幾重にも効果的に使われているのです。なるほど、これは見事な映画です。おかげで徐々に埼玉に興味を持っていない観客でも、埼玉に興味を持ち、だからこそ、埼玉をテーマに闘う登場人物たちに好感が持てるようになってくるわけです。
BLやら貧富の差やら、いろんな人の興味をそそりやすい要素を合間に挟み混むのも、同様の効果を生んでいます。
そして、最後に最初に提示した「都市伝説」という設定を、伏線として活かした大きなオチを堂々と持ってきて、高らかに埼玉の力を宣言するわけです。なんとも上手い映画ではないでしょうか。この映画を見れば否が応でも、埼玉に多少なりとも愛着を覚えてしまうわけです。
ここまで巧妙な(ある意味で)プロパガンダ(とも言える)映画は見たことがありません。埼玉め、なかなかやるな、と。
実は本作、一見するとネタ映画のように見えて、かなり趣向が凝らされている良作だと言えるでしょう。
……だが、闘う。