儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:グリーンブック


【公式】『グリーンブック』3.1(金)公開/本予告

 恒例の手短な感想から

評判よりも更に良いかもしれない。

 といったところでしょうか。

 

 元々かなり評判の良い映画でしたが、実際に見ると評判以上に素晴らしい映画でした。ここまで素晴らしい映画ならば、もっと早くに見に行くべきだったなぁと後悔するくらいには、良い映画です。

 もちろん、本作は見た目どおり、そして、評判に違わない人種を越えた友情の話であり、人種に関する話であります。予告編で見た印象や、巷の評判から想像した内容から大きく逸脱しているわけではありません。

 ただ、その人種に関する話の掘り下げ方が、非常に深い考えのもと行われているのです。

 早い話が、本作は人種差別批判者たちが唱える薄っぺらい「黒人はかわいそう」論なんて一切唱えていない映画なのです。むしろ、黒人差別撤廃を訴える人の中には、本作を憎く思う人さえ存在しているはずです。

 

 そのことを象徴しているのが、本作の主人公であり、実在の音楽家でもある、ドン・シャーリーになります。はっきり言って、彼の存在は人によっては「黒人を差別している黒人」などと形容されていてもおかしくないはずです。

 そういった、悪い意味で人種差別に目ざとい方々からすれば、彼はホワイトウォッシュされた黒人に見えているはずだからです。黒人音楽をまったく聞いたことがなく、白人たちが作り上げたアカデミックな音楽教育を身に付け、あの時代にジャズもロックンロールでもなく、ポップスを弾いている彼は、そう形容されても仕方ない存在なのです。

 

 実際、劇中ではドン・シャーリーが「黒人の中でさえ、変に浮いてしまっている」姿が幾度となく描写されており、もう一人の主人公であるトニー・リップから口論の際に「自分の方が、よっぽど中身は黒人だ」と言われてしまったりしています。

 

 これはこの系統の映画において、本作が極めて突出している部分だと言えます。

 

 例えば、本作と比較してあげられがちな映画で「最強のふたり」なんて映画があります。本作もまた実話を基にした、黒人白人の友情映画なのですが、本作における黒人像はあくまで従来の黒人らしい黒人を強調したキャラクターになっていました。

 その「最強のふたり」の、さらに元ネタになっている映画として「ラウンドミッドナイト」というジャズをテーマにした黒人白人の友情映画もあるのですが、こちらでもやはり、黒人がジャズを弾いており、そして、酒に溺れ、やさぐれている設定で描かれておりました。

 

 この図式を本作は完全に破壊しているのです。

 

 言い方を変えれば、本作の作り手たちは、わざと本作が、いわゆる人権派を自称する人種差別批判者の"お気に入り"映画にはならないように作っているようなのです。実際、本作は物語の筋書きや、自分が挙げた上記の要素などについて、批判されている向きも存在しています。

 

 しかし、それこそが本作の狙いなのでしょう。本作は明らかに、白人側のみならず、黒人側に対しても「目を覚ませ」と必死で訴えている映画だからです。

 ドン・シャーリーの「黒人でも白人でもない自分は一体なんなんだ?!」という叫びは酷く絡まり合い、意地を張り合い、自らの過ちを認められない集団心理によって――互いに自分に都合の良いところだけ拾い合って罵り合うゲームと化した――現在の差別論争において、もっとも重要な前提を提示しています。

 人種がどうこうではなく、それぞれの人がそれぞれの人として、個人として存在できるかどうか、それこそが本当のゴールであるはずだろう、と。

 

 そういった意味で、本作グリーンブックは単なる人種を越えた友情映画とは一線を画しているのです。だからこそ、評判以上に本作は素晴らしいのです。

 周りの意見に埋もれながら、周りと同じことを言ってどや顔するだけなら、誰でも出来ることでしょう。

 しかし、周りの意見に埋もれながらも、そこから一つステップアップした視点から、意見を言えること。これは簡単ではないのです。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村