映画感想:名探偵ピカチュウ
恒例の手短な感想から
ポケモンがかわいい以外はゴミ映画
といったところでしょうか。
正直、がっかりした、という気持ちはあまりありません。言ってしまっては、なんですが、本作のこのツッコミどころだらけの、どうしようもない出来に関しては「まー、そうなるだろうなー」と予見できていましたので。
というのも、本作の監督である、ロブ・レターマンはお世辞にも面白い映画を撮ってきたとは言い難い監督だからです。いえ、この言い方には語弊がありますね。正確には彼は「つまらない映画しか撮ってないゴミ監督」です。
そんな人が監督になってしまった、という時点で、レジェンダリーの本作に対する"誠実な姿勢"がよく分かります。――「金さえ稼げれば、クソ映画でもどうでもいい」と誠実に金儲けしようとしている、誠実な姿勢が。
おそらくですが「内容がクソでも、任天堂のあの大人気コンテンツで、しかも観客層は子どもなんだ。なら、みんな気にしないで喜んで飛びつくだろうさ」と、レジェンダリーはそう思っているのでしょう。
――おめでとう。
レジェンダリーの目論見は見事に当たりました。実際、本作は作り込まれたCGによって描かれているポケモンのかわいさ以外は、どうしようもないゴミ映画です。
自分は原作である「名探偵ピカチュウ」を既にプレイしており、原作の話がかなり面白いことを知っていました。――もちろん、大人からすると甘いところもありますが、それでも、「おぉ、よく出来ているなぁ」と感心するほどには、上手い作りの物語でした。
その面白い物語から、本作の作り手たちは要素だけを抜き出し、まるで泥遊びをする子どものように、全てをぐちゃぐちゃにしてしまったのです。
早い話が、どうしてこうなった。
物語には矛盾点が無数に散らばっており、重要なシーンでさえ「お前、ピカチュウをあの場所に一匹で置き去りにして、戻るのかよ!」とか「しかも、あの場所からそこまでピカチュウどうやって戻ってきたんだよ!」とか「結局、ピカチュウが記憶を失った理由、一切説明ないんだけど!」とか、おかしいところばかりです。
そして、矛盾点に目をつぶったとしても、そもそも話の筋書き自体が本作はとてもおかしいです。例えば、最初のシーンで「主人公は内向的で友達がいない」という話を散々していたのに、この件は完全に投げっぱなしで終わっています。
普通の映画ならば、紆余曲折あって本当の友達、仲間を見つけられた――あるいは多くの人と出会えた、という話の筋書きになるはずですが、なんと驚くことに主人公、最後の最後まで、陰キャぼっちのまま映画が終わってしまうのです。
「それの、なにが良い話なんだよ!」と映画館でツッコんだのは、僕だけではないはずです。
また、本作は全体の物語からすると、意味のない要素があまりにも多く、活かしきれていない話があまりにも多すぎます。いかに、本作がそんな状態になっているかというと、なんと主要登場人物であるはずの、ヒロインでさえ、最後の最後まで「こいつ、なんで物語に出てきたんだ?」と言いたくなるほどに、まったく話と関係ない状態です。
当然、その他の登場人物に関しても「お前、なんのために出てきたの?」状態な人だらけ。――いえ、それどころか、ポケモンたちでさえ「何のために、こいつ、わざわざ出したんだよ!」状態になっているものが非常に多いです。
まだ、小さいギャグや、ポケモン世界の雰囲気作りのために出てきているなら良いほうで、酷いものになると「ギャグにも、雰囲気作りにもなっておらず、ただただ無と一緒」という扱いのものまでいて、ポケモンすら持て余している状態なわけです。
いえ、それ以前にそもそも「名探偵」と描いてあるわりに、本作、どこにも主人公が探偵っぽいことをしてるシーンがないんですから、話になりません。原作にあったピカチュウの「ピカッとひらめいた!」っていう決め台詞も、当然、あるわけがないです。
とにかく、本作は、緻密な設定や人物を、全て持て余している状態なのです。
つまり、本作を鑑賞する際は、話のことを気にしたら駄目です。
話はゴミ同然なので、真面目に話を追ったら損します。画面の端っこや、背景に出てくる、モフモフだったり、くりくりだったりして、かわいいポケモンたちが、いかにかわいい行動をしているか――それだけを注視して鑑賞すると良いと思います。
実際、映画館では、子どもたちが、そういう見方をしてケラケラ笑っていましたので、それが一番平和なのでしょう。