儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:メアリと魔女の花


「メアリと魔女の花」予告3

 恒例の手短な感想から

大人の事情しか見えない映画

 といった感じでしょうか。

 

 突然ですが、告白します。このブログ、実はある時期だけ、やたらアクセス数が伸びる現象が起こるんです。

 それまでは、当ブログは一日最大でも100アクセスが限界だろうという、(主にアフィリエイターからすれば)見下されていること間違いなしの、弱小ブログなのですが、ある時期だけはこれが10倍くらいに跳ね上がることがあるのです。

 その時期とは「思い出のマーニーがテレビ放映された時期」です。

 まー、「思い出のマーニー」という映画はそこそこ難しいというか、理解に手間のいる映画であるため、簡単なヒントを記した当ブログの感想記事に飛びついてくる人が多いわけです。

 「思い出のマーニー」は多少の疵があるものの、自分も評価しています。脱ジブリという宣言に相応しい一作でした。

 

 その「思い出のマーニー」の監督、米林宏昌監督の最新作が本作「メアリと魔女の花になるわけですが、この映画、どうやら各所で激論を巻き起こしているようです。

 確かに予告編の段階で嫌な予感のする映画でした。なんというか「第一報で見た予告編と、その後で伝わってくる情報に乖離がありすぎる」と言いますか。

 予告編の段階で「普通の少女が、生活に退屈している中で魔法の花を見つけて、魔女になって魔法学校へ行って、でも、魔法学校はヤバいところで、だから、魔法学校から抜け出すんだ」というあらすじは分かるのですが、それはちょっと話を詰め込み過ぎじゃないのか、と。

 そんなわけで、自分としても気になるので本作を見てきたのですが、いやーまさか!

 予告編で想像した内容と正反対で、こんなに話がすっからかんだとは思ってませんでした。

 

 この映画のすっからかんさをよく表しているのが、登場人物の数です。

 ジブリといえば、個性的なキャラクターたちが画面を跋扈して、さながら「毎回が妖怪大戦争」みたいな状態になっているのが、定番です。――というか、児童向けの映画や童話というのは、基本的にはそういうふうに出来ているものです。

 しかし、本作は登場人物の数が本当に少ない。チョイ役のキャラクターを含めても、両手で数えられる程度しか出てきません。それはエンドロールの出演クレジットを見ても明らかです。他の映画ならば、主役級の人たちが十数名、それにチョイ役がずらりという状態のはずのエンドロールが、本作は「え、これだけ?」という人数しかいないのです。

 しかも、話の本筋に深く関わる登場人物まで絞ると、たったの四人しか出てきません。嘘かと思うかもしれませんが、本作、敵役である魔法学校の先生とドクター、主人公側の少年少女、メアリとピーターが延々と、小競り合いしているだけの内容です。

 それ以外の人たちは、途中から思い出したようにちょっと出てきたりするだけです。

 

 なんというか……この時点でこの映画の状況がよく分かると思います。

「あぁ、そうか。そんな多い人数に出演料も出せないほど予算に困ってるんだな」ということです。有名人にオファー出したら、もうそれ以上出演料出す予算がないのではないかと。だから、登場人物が極限まで居ないことになっているのではないかと。

 

 本編の作画や構成に関しても、それが言えます。

 宮﨑駿的な方向性の、登場人物たちがちょこまかと動き回ってリアクションしたりするのは枚数がかかるので、とにかく登場人物たちには、セリフで感情を表現させ、細かい動きはやめさせよう――。

 そんな考えがあるのではないか、と疑うほどに実はアニメーションが動いてないのです。動いているように見せているだけのシーンが意外と多いです。

 例えば、この映画の始まり。ここでは食卓のシーンでメアリたちが延々と会話をしてメアリの状況を説明しています。

 宮﨑駿ならば、ここでメアリを街で散歩でもさせて、場面を次々変えながら、いろんな登場人物を登場させて、メアリの性格を描写し――などという構成を考えそうなものですが、そんな場面をちょこまか変えられるほど予算がないのか、ずっと同じ食卓シーンで、長々としたセリフでメアリの性格を説明して終わらせてしまうのです。

 また、ジブリのように細かい作画修正を掛ける予算もなかったのか、よぉく見ると作画がミスってる箇所もそのままになっています。

 

 実はこの映画、ずっとこの状態が最後まで続いているのです。全てにおいて「んー予算なかったのかなぁ……?」と思ってしまうほどに、様々な表現が"詰められて"いないのです。

 例えば、樹木の表現などもそうです。これを突き詰めて描く暇など無かったのか、木の葉の部分は、雑多なモコモコとした緑のマリモにブツブツが生えているようにしか見えない仕上がりになっています。おそらくブラッシュアップする予算がなかったのでしょう。木々らしい、不規則な凹凸の線などを表現できていないのです。

 箒で飛ぶ描写も、宮﨑駿らしい「溜め」や、「慣性の働いている感じ」などが表現できていないままです。

 

 この映画、ジブリっぽい描写やオマージュがたくさん入っている映画なのですが、どんなにジブリっぽい描写を入れても、この映画は明らかにジブリとは別物です。今年公開されたアニメ映画ならば、夜明け告げるルーのうた」の方が、描写のフェティッシュさにおいて遥かにジブリっぽいと言えます。

 子供向け映画としても、各々の箇所にある、長すぎるセリフ回しや、そもそも二時間を超えている尺など、子どもを飽きさせる要素満載でとてもではないですけれど、評価できません。実際、映画館にいた子どもはだいたいが飽きていて、親の言うことをよく聞いてそうな"いい子"だけがニコニコしている、という酷い状況になっていました。

 

 思うのですが、本作はそもそも題材が間違っていたのではないでしょうか。ここまで予算がなさそうな状況で、本作のような大スペクタクルものを作ろうというのは本当に無理があります。

 米林宏昌監督は「思い出のマーニー」のように、地味なんだけれどもよく心に響く一作のほうが演出の方向性など含めて似合っているように思いますし、その方向性のほうが予算的に大助かりのはずです。

 そうですね。……例えば、「肩胛骨は翼のなごり (創元推理文庫)」などどうでしょう? 本作、宮﨑駿が絶賛していた小説ですが、これなんかは米林宏昌監督の才覚によく合っていると思うのですが。

 

 ですが、この路線だとおそらく「儲からない」のでしょうね。ジブリっぽくしないと人は来てくれません。映画冒頭、スタジオジブリと見間違えそうなロゴを使っているのも、そういう事情からでしょう。儲けるためには、観客に本作がジブリであるかのように誤解してもらわないといけないのです。

 

 メアリと魔女の花は、そういう大人の事情がよく見えてしまう映画、と言えるかもしれません。

映画感想:ジョン・ウィック:チャプター2


映画『ジョン・ウィック:チャプター2』予告

 恒例の手短な感想から

前作以上に濃く、でも、前作ほどじゃない

 といったところでしょうか。

 

 ジョン・ウィック――「キアヌ・リーブスが久々に放つ、キレッキレのアクションもの」ということで、2015年に一部で話題に上がった作品なのですが、まあ、誰もが本作の発表を知った時にこう思ったはずです。

「え、あれで続編出るの?」と。

 前作、ジョン・ウィックは、未だに説明に迷うかなりのヘンテコ映画です。基本的なコンセプトは、不死身で不落で無敵の元殺し屋「ジョン・ウィック」が、銃や体術や車を熟して次々に人を殺していく内容なのですが……なんというか、この作品、設定も人物も撮り方も話の展開も、全てが異様にシュールに出来ているのです。

 鈴木清順監督の諸作品やら、五社英雄の諸作品を思い出すような設定や描写が詰め込まれ、その中を「座頭市か」「眠狂四郎か」と思ってしまうような、主人公ジョン・ウィックが暴れる――という、おそらくキアヌ・リーブスの趣味を片っ端から全てくっつけたと思われる、鵺映画だったのです。

 

 そんな映画の続編なんて、一体どうなってしまうことか――想像するに、前作の面白さだった「趣味全開な、こだわりだらけの訳分からない要素」が削がれ、いかにもハリウッドな映画になっているのではないか、なんて危惧が浮かんでくるわけです。

 完全に杞憂でしたが。

 というか、本作の場合、前作以上にキアヌ・リーブスの趣味な描写やらこだわりの描写やらを足しまくった結果、前作以上に訳が分からなく、前作以上に癖の強すぎる、前作以上に人を選ぶ作品となっています。*1

 前作では「ちょっと鈴木清順っぽい?」と思うだけに留まっていた描写も、今作では全てが異様に真っ白い空間等々、ハッキリと鈴木清順オマージュをしていることが受け取れるシーンが多くありますし、また、終盤では「燃えよドラゴン」を明らかにオマージュしているシーンもあったりなど、前作以上に色んな要素がごった煮で詰め込まれています。

 

 ただ、「じゃあ、本作が前作よりも面白かったのか」というと、うーん、結構微妙です。

 というのも、前作は基本的には「あいつは俺の大事な恋人が大事にしていた犬を殺しやがった!許さねぇ!ぶっ殺してやるー!」という、復讐もので一本道の筋書きであったため、どんなにヘンテコな描写で惑わされても、話の大枠を理解するのは簡単でしたし、だからこそ、細かいこだわりの描写も余裕を持って楽しむことが出来たのです。

 が、今作は意外と大枠の筋書き自体が、結構複雑というか……。まあ、基本、映画としては前作の時点で完全に終わっているので仕方ない話かもしれませんが、どうにか殺し屋「ジョン・ウィック」を暴れさせようと、かなり無理くりで二転三転する筋書きを付けてしまっていて、これがなんとも、この映画を見づらくしています。

 

 また、クライマックス付近もなんだかなぁと。

 前作は結構、クライマックスでジョン・ウィックもかなりの死闘を演じていたのですが、今作は意外とクライマックス付近が、あっさりしているのです。むしろ、今作はクライマックスより中盤のほうが死闘だったのではないかと思えるほどでした。ラストは強敵の殺し屋たちを次々にサクッと葬っており、ここも結構「……あ、あれ?」と気になりました。

 本作の終盤があっさりしているのは、ひょっとすると「ジョン・ウィック:チャプター3」を作ることを前提にしているような終わり方をしたため、かもしれませんが。

 

 まあ、ただ、本作のラストに関しては「さすが、マトリックスのオファーを受けたときに『分かる!僕もこの世界が現実じゃないような気がしてたんだ!』と言い出したキアヌ・リーブスだな」と思えるような、キアヌ・リーブス自身の世の中に対しての疑心暗鬼っぷりが全開になっているとも取れるラストで、ここは大好きです。*2

 

*1:ちなみに、僕はこの作品の癖の強すぎる描写はかなり好きです。駅の人だかりの中で、平然と歩行しながら、ジョンウィックと殺し屋が周りに気づかれないように、サイレンサーを撃ち合う描写とか、最高すぎでしょうと

*2:というか、あのラスト、普通に見たらヤク中の妄想にしか見えませんよね

2017年上半期映画ランキング

今年も気がつけば上半期を過ぎました。

自分としては短いような長いような、不思議な半年でした。

前置きはさておいて、いつものごとく、今年もまだ上半期ですがたくさんの映画を見ることが出来ました。そんなわけで、今年、映画館で見た映画のランキングを書いていきたいと思います。

 

12位 モアナと伝説の海

harutorai.hatenablog.com

  今年の映画は「選べば粒ぞろい」な状況でした。そのため、なかなか自分としてはランキングに入れたい映画が多く、12位からのスタートになっています。

 で、本作ですが、良い映画だとは思うのですが、それと同時にあまりにも思い入れがないんですよね。あと、個人的にただオマージュがワンシーンあっただけで「海のマッドマックス」とかネット上で騒いでた人たちが、ウザすぎて……。*1

 それは別としても、感想記事では書きませんでしたが、エンドロール後のリトルマーメイドを自虐したギャグなども「で、出たー。自虐ギャグを言えば賢いとか勘違い奴ー」とか言いたくなりましたし、「最後に結局、鉤爪貰えちゃうんかーい!」とも思いましたし、良い映画だと思うけど、そこまで思い入れがないのです。

 

11位 22年目の告白 -私が殺人犯です-

harutorai.hatenablog.com

  良い映画だと思うけど、思い入れがない映画その二です。なんでしょうね。この映画に関しては「面白かったけど、まだダークナイトなのかよ!」というそこに尽きると思います。

 自分が大人になってみて気づいたのですが、正直、ある程度大人になってから、ダークナイトみたいなテーマで興奮できる人ってちょっと引きますね。なんというか、だいぶ周りのことを見下している幼稚な人間観を持ってないと、あのテーマって共感が難しいでしょう。え、その歳にもなって中二病ですか、と。

 この映画も同じなわけです。

 

10位 美しい星

harutorai.hatenablog.com

  10位からは、思い入れがある映画たちになっていきます。この美しい星も、個人的には非常に思い入れがある一作だと言えます。正直、吉田大八監督にはそこまで期待していなかったのですが、今回は非常に頑張ったなと。

 感想記事でも書いていますが、今敏監督のアニメ映画を思い出すような、日常の風景にあまりにも異質なものが混ざり合っている、この不思議な感覚を出した実写映画というものは、実はありそうでなかなか無いのです。大抵は、そういう異質さを恐怖の方向性で演出してしまいがちですし……。

 しかし、本作は見ても分かる通り、コメディなわけです。特にリリー・フランキーの怪演は最高でしたねー。ここまで情けなくて、輝いているリリー・フランキーを見たのは、初めてのような気がします。

 

9位 SING/シング

harutorai.hatenablog.com

  モアナとは対照的に、確かに映画としては粗削りでいろいろとおかしいところだらけであったものの、音楽映画としてはもう優秀すぎて、思い入れが半端ではないのが本作です。本当に素晴らしい音楽映画でした。ジャズの描き方も、実は結構「お、なかなかいいとこを抑えてるじゃねぇか」って描き方してるんですよね。

 色とりどりに音楽を揃えているからこそ、内容として飽きないものになっていますし、一層にテーマが引き立っています。音楽に本当に敬意を払っているのだなと思えるのです。自分の好きなジャンル以外を糞だの何だのと貶して「だから、俺様がすごいんだ」とでも言いたげな人たちでは、到底叶わないものがこの映画にはあるのです。

 本当に、本当に、ララランドを褒めている人たちは、この映画を見て反省してほしいです。ジャズ以外の音楽が低俗なんてことはないのです。

 

8位 帝一の國

harutorai.hatenablog.com

  これも最高でした。一部の映画ファンに賛否両論を起こしていた「ジャッジ!」の監督が、満を持して放った一作でしたが、この映画を見るかぎり賞賛していた側が正しかったことは間違いないでしょう。(ちなみに、自分は賞賛側でした)

 どこまで馬鹿馬鹿しい設定でも、馬鹿馬鹿しい人物造形でも、ここまで突き詰めてちゃんと人物たちの描写を積み重ね、突き詰めて登場人物たちの関係性を浮き彫りにし、突き詰めて画面を作り上げて撮れば、ちゃんと観客の心を掴めるし、観客を沸かせられますし、観客の感動を呼べるのだと証明した貴重な一作です。

 個人的には感動の場面で、わざと登場人物の涙を隠した演出も「やるなぁ」と感心しました。そうですよ。映画は涙を隠すべきです。だらだらと雫を溢すような描写は避けるべきなのです。それだけで感動シーンが、一層に引き立つのです。

 今後の実写化案件において、また一つ、指針とすべき優秀な教科書が追加されました。

 

7位 無限の住人

harutorai.hatenablog.com

  三池崇史監督が、久々の特大ホームランを放った一作です。まあ、なんといってもグロテスク!そして、なんともカッコイイ殺陣の数々。

 もちろん、時代劇をそれなりにさらって来た自分からすれば、まだまだ甘いところもあって「三池は、全力出しても三隅研次には遠く及ばない監督だなー」とか思ったりもするのですが、それはそれ。

 三池独特の残酷描写は、鬱展開上等の変態漫画家・沙村広明と見事な融合を果たして、過去最高の出来となったと言えるでしょう。

 なんとも痛そうな描写の数々!しかも、本作はどこか五社英雄監督を思い起こさせる、唐突な話運びや、とにかく見どころを凝縮して詰め込んだ内容で、個人的には尚の事、それがぐっと来てしまいます。ある種、日本版「ジョンウィック」です。気がつけば、邦画も再びこれくらいの時代劇ならば撮れるまでに復調していたんですねー。

 

6位 ナイスガイズ! 

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  これを公開初日、まだ誰の前評判もない状態で嗅ぎつけて見に行けたことが、今年の自分の中でも誇っていいことかなと思っています。本当にここまで老若男女、誰にでも見せても面白いと言ってもらえるであろうサスペンスコメディが出てくるとは思っていませんでした。

 いや、もう最高でしょう。本作こそがライアン・ゴズリングの真価を引き出した作品と言っても過言ではないです。ライアン・ゴズリングファンも、必見の一作です。しかも、内容はビバリーヒルズコップやらの、往年のハリウッドエンターテイメントを、ちゃんと現代向けにブラッシュアップをさせることも成功しているわけです。

 あの手のサスペンスコメディが、ちゃんと今っぽい映画として生まれ変わって、生き残れる道があったことを示したことも賞賛に値します。

 

5位 わたしは、ダニエル・ブレイク

harutorai.hatenablog.com

 今年の映画の中でも、最も異色の政治映画でしょう。

 しかし、正直、最近のケン・ローチ監督作の中では本気で傑作と言える内容であり、ダニエル・ブレイクという人物を通じて様々な人たちが、ジレンマな状況で苦しむ姿を映した本作は単純に映画としても面白い一作です。

 どこまでもどん底な状況であっても、必死で朗らかに、健気に、ちゃんと普通の人間として日常を謳歌しようとする主人公たちの姿には、様々な人が自分を投影できるはずだと思います。

 そんな人でさえ、決して、救われることがない――いえ、そんな人たちが救われない状況を生んでいる"制度"を変えなければダメなのだ!と訴える本作は、間違いなく、これからの世の中の行方を示していると言えます。

 

4位 夜は短し歩けよ乙女

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  あーなんでこう、亜細亜堂出身のアニメ監督って映画で外れがないんでしょうね。

 亜細亜堂とはドラえもんの監督・芝山努が率いてるアニメ会社なのですが、ここから排出された監督たちは、まあどの人も非常に高クオリティの映画を作ってしまうんです。

 湯浅監督も例に漏れず、今作も、相変わらず最高なわけです。最初から最後まで延々とハイテンションなまま、終わりまで突っ走ってしまうこの素晴らしさ。しかも、上映時間は内容の濃さに反して「あれ、思った以上にみ、短い!?」――映画の濃さは尺に比例しないことがよく分かる好例です。

 しかも、原作のテンションを再現どころか、何倍にも膨らませてこの内容にしてしまったわけですから、本当にとんでもないです。ただ、今年はコレ以上にぶっとんだ湯浅監督作があったのですが……。

 

3位 夜明け告げるルーのうた

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  みんな、この映画を見た後はおそらく、斉藤和義歌うたいのバラッドYOUTUBEで延々と再生したことでしょう。いや、それにしても、とんでもない一作でした。本作の狂いっぷりは世界的にも比類ないレベルに相当すると思います。

 感想記事で書いた「10分に一回、ピンクエレファントパレードがやってくる内容」とは、この映画を最高に言い表していると思います。本気で、そのレベルで狂っています。しかも、本作はアニメーションにFLASHソフトを使っているらしく、FLASH独特の線の動き方と相まって、まあ見ていて変な感触しかしないのです。

 しかし、変な感触しかしないことが、この映画にとっては大事なのです。

 むしろ、まともになったら、絶対に駄目なわけです。一瞬でも、観客の目を覚まさせてはいけないのです。目が覚めたら「僕は一体、なんで喜んでいるんだ?」と自問自答の世界に沈むことは必然です。延々と催眠を掛け続けることが必要なのです。その点においてFLASHソフトのアレな感じは、催眠を手助けしていました。

 おかげで、誰もこの映画を一片も説明できないこと……。というか、あんまり内容を憶えていないのです。楽しかった感触しか残ってないのです。まるで眠りの中で見る夢のような映画と言えるでしょう。

 

2位 ブルーに生まれついて

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 本来ならば去年の映画ランキングにあるべき映画なのですが、自分が見たのが今年なので今年の映画に含んでいます。しかし、それにしても素晴らしい映画でした。JAZZ映画にありがちなジャンキーな要素や、哀愁漂う雰囲気などを備えつつも、ただ今までのJAZZ映画とはひと味違うものに仕上げてきた傑作映画です。

 特にラストの「あぁ……そうなっちゃったかぁ」というオチを、セリフではなく、歌っている曲の歌詞と演者たちの演技で観客に伝えてくるシーンは白眉です。それがチェット・ベイカーというのも、また味わいを深くしています。

 ジャズを少しでも理解したいと思う、あなたに是非おすすめの一作です。

 
1位 キングコング 髑髏島の巨神

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  本気で怪獣映画として、かなりの傑作だと考えています。ちゃんと人に伝わってさえいれば、下手すれば怪獣映画の新しいマスターピース足り得ていたのではないかとさえ思うほどに、大傑作の本作ですが、なぜかイマイチ話題になってくれませんでした。

 しかし、本作は正直に言って、これほど鑑賞したときにお得な気分になれる映画はないと思うのです。モアナ的な要素やら、進撃の巨人やら、もののけ姫やら、スター・ウォーズやら、ジュラシックパークやら、様々な映画の要素が実はこれでもかと隙間なく詰め込まれているのですから。挙句、廃墟の様子などはニーアオートマタやブレスオブザワイルドなど、今年話題になったファンタジーゲームさえも想起させるものでした。

 それほどに素晴らしい要素がたくさん詰め込まれているので、なおかつ、この映画はキングコングなのです。もう最高でしょう。

 誰が見たって問答無用で面白いと感じる一作のはずなのです。

 ポスターもなんともお洒落でかっこいいこと!

 そして、このタイトルですよ。

髑髏島の巨神

 全てに文句がないでしょう。だから、一位です。

 

 というわけで、上半期ベスト・ワンは「キングコング 髑髏島の巨神」でした。正直、下手すると今年のベストワンもこれの可能性も重々あります。それほどに同作は素晴らしい一作でした。

 さて、上半期の総括になりますが「話題作がことごとく、微妙」という結構、酷い状況だったなーと思っています。

 ツイッターで活躍するあの人この人、雑誌で活躍するあの評論家この評論家――みんな揃って「えー…? あんた数年前はこういう映画を貶してる人じゃありませんでしたっけ?」って言いたくなるほど、微妙な出来の映画を妙にプッシュしていくこと。

 なんとなく、ここ数年続いていた転換期の終わりが近づいているな、という実感があります。全体的に政治的な理由や、ジャンル差別的な理由でみんなが映画を変に褒める状況が続いているなぁと。

 

 2017年下半期も期待の作品は多数あります。おそらく、期待されていない傑作も多数あることでしょう。

 この状況下で、周囲に惑わされずに面白い映画をつかめるよう、相変わらずのマイペースで本ブログは運営していきたいと思います。

 

以上です。

*1:ああいう人たちって、他の作品を認めず貶す傾向があるんで僕は大嫌いです。

6月に見た映画

鑑賞した映画を挙げていきます。

・武曲


映画『武曲 MUKOKU』本予告編

・美しい星


美しい星 - 映画予告編

・ペット

ペット (吹替版)
 

・ 22年目の告白


22年目の告白 予告編

・LOGAN/ローガン


映画「LOGAN/ローガン」Legacy映像

怪物はささやく


『怪物はささやく』本予告

・怪盗グルーの月泥棒

 

以上、7本になります。

今月ちょっと記事を書きすぎて、かえって映画を見に行く時間がなくなってしまいました。反省ですね。で、見た映画なんですが、想像以上にガッカリな内容の映画が多くて「弱ったなー」と。

 22年目の告白と美しい星以外は、わりと僕的には「ちょっと……大丈夫?!」と言いたくなる内容でした。

 

 特に残念だったのは「怪物はささやく」です。

 バヨナの傑作「永遠のこどもたち」って、見た目は感動的な内容に見せかけておいて、実は半端じゃないほどに底意地が悪い構造になっているところが最高だったんですが、こっちはわりと単純に「泣ける話」になってしまっているのが、残念というか。

 永遠のこどもたちって、そもそも発端の「呪い」がなんだったのか、明かしているようで実は一切明かしてないんですよね。あの子どもたちも「呪い」の犠牲者たちであって、呪いの発端ではないのです。

 でも、映画上では「あたかも子どもたちが呪いの正体であるかのように偽装して」話を終わらせてしまう……つまり、不可知のなにかを映画の作り手たちが意地悪にも隠蔽したまま、話を終わらせてしまうのです。あそこにはまだ存在しているはずなのです。

 その、なんとなく「察することが出来る不可知の存在」が半端じゃないほど怖くて、素晴らしかったのですが……。

怪物はささやく」は、そこらへんが非常に安直というか……。結構、序盤で観客が予想した真相をそのまま、少年と怪物が洗いざらい説明に説明を重ねて、挙句、説教みたいな内容で終わってしまうので「えぇー?」と。

 これ、もう少し捻ったオチがいると思うのですが……。

 

 ともかくとして、上半期ベストは、数日以内になんとか作りますので、少々お待ち下さい。

雑記:デジモンハリケーンについて

 この間、ニコニコ生放送にてデジモン劇場作品がまとめて放送されました。内容はデジモンアドベンチャーデジモンアドベンチャー02のそれぞれの劇場版アニメをまとめた四作。

 細田守監督の出世作も含まれている構成であることもあって、それなりの人数が鑑賞したようですが、やはり、四作の中でも、鑑賞した人たちを強烈に困惑させたのは、このブログでも紹介している、

デジモンアドベンチャー02 前編 デジモンハリケーン上陸!! 後編 超絶進化!!黄金のデジメンタル

 でしょう。

harutorai.hatenablog.com

 

 この作品、上記のレビュー記事でも挙げているように、かなり、アニメ映画として――というより、映画として――奇天烈な作品となっており、まあ、ライト層にとっては取っ付きづらい作品ではなかったのかなと思うのです。

 あまりにも、見慣れないのでどう鑑賞すればいいのかよく分からなかった人が多いのではないかと。人によっては「あーそういう、意識高い系が喜ぶようなやつね」と拒絶反応を示してしまう人もいるかもしれません。

 ただ、本作、実はそこまで難しい作品でもないのです。そもそも、子供向けのアニメ映画ですし、なので、子供でもなんとなく話を理解できてしまう子もいるかもしれません。

 取っ掛かりさえ、見つかってしまえば、意外と容易に読み解ける作品となっています。

 

 この記事では「デジモンアドベンチャー02 前編 デジモンハリケーン上陸!! 後編 超絶進化!!黄金のデジメンタル」を読み解く取っ掛かりを失っているあなたが、取っ掛かりを見つけられるようにアシストする記事を書いていきたいと思います。

(アシスト目的なので、いつもと違って形式も読みやすくしてみました)

 

デジモンハリケーンの本質は「ウォレスの心」

 さて、まずこの映画ですが、鑑賞された方なら分かる通り、一人ゲストとして物語の主役を務めるキャラクターが出てきます。チョコモンとグミモン、二匹のデジモンをパートナーにしていた少年、ウォレスです。

 ウォレスは、映画本編でもグミモンや大輔に何度も言われているように、年齢に反して、自分のママに反抗することが出来ない”マザコン”な少年として描かれています。マザコンな少年が「大人になる」と言って、一人で旅をしている、そういう話なのです。

 実はこの映画の本筋は、これです。

 この映画は「ウォレスが旅を経て、大人になるための一歩を踏み出す物語」であり、そのウォレス自身の心を描いた作品なのです。

 

チョコモン

 この映画の冒頭は、幼いときのウォレスとチョコモン・グミモンが一緒に遊んでいる場面から始まります。その場面の中で、チョコモンだけがよく分からない現象に見舞われ、はぐれてしまうわけですが、実はこの場面こそがウォレスという少年をよく表しているのです。

 幼いときに、はぐれてしまったチョコモンは本編でも分かるように、自分の成長に気づかないまま、ひたすら自分が幼かった時に戻ろうとそれを求め、デジモンに関わりのある子どもたちを次々に攫っては、彼らを幼児退行させながら「幼かったときのウォレス」を探して彷徨っています。

 これは本編中のウォレスも同じなのです。ウォレスもまた、大人になるために一人旅に出ると言いながらも、その実は自分が幼かったときに過ごしていた場所――サマーメモリーに向かっています。彼自身も、実は心の底で「幼かったときの自分」を求めているのです。実際、セリフでも「サマーメモリーに行けば、きっとなんとかなる」と彼は言っています。

 その姿は「幼い時に戻ればなんとかなる」と思っていたチョコモンと一致します。

 そうなのです。チョコモンは「ウォレスの幼さ」の象徴なのです。それはチョコモンが基本的に退行を起こす能力を持っていることからもよく分かります。

グミモン

 そして、グミモンはそんな「幼い心」とは正反対の、大人になりたい心を表しています。グミモンはウォレスの幼い部分を、いつも指摘し、事あるごとにウォレスのことを諭そうとしています。ウォレス自身も、グミモンの小言をうるさいと思いながらも、自分の幼さを自覚しているのは確かです。

 でなければ、そもそも、「大人になるための旅に出る」なんて行動をするわけがありませんから。常に母親に心配かけないように電話してしまうような、マザコン少年ですが、それと同時に母親から卒業したいという心も持ち合わせているわけです。

二匹のデジモン

 ウォレス自身の「幼くありたい心」と「成長したい心」は映画本編上で、よく矛盾した反応を起こしています。前述したように「大人になる」と言いながら、なぜか「幼い記憶の場所(サマーメモリー)」へと戻ろうとしていることからも分かるように、実はウォレス自身、認識の合わない心同士が分裂しているような状態だと言えます。

 元々は同じように過ごしていたのに、はぐれることで2つに別れてしまったチョコモンとグミモンは、ウォレス自身の心をよく表しているのです。

 

 

 この映画本編は、そんな、誰しも何度も経験する「成長したい心」と「幼くありたい心」の二つがぶつかりあう様子を描いたものなのです。そして、そんなぶつかり合いの中で「暴走してしまった幼い心」をどうにか、子どもたちが救い出そうとしている物語なのだと言えます。

幼さの救済

 しかし、これは社会の上でも、学校生活の上でもよくあることなのですが、「幼い心」というのは、なかなか他人がどうこうして変えられるものではありません。

 どこまで、他人が尽くしても、最後の一歩は「自分側から踏み出さなければいけない」のです。つまり、「幼い心」自身が自分のどうしようもなさに気がついて、幼さ自体から脱却しないといけないのです。

 そうしないと、成長したことにはなりません。

 つまり、幼い心自身が幼さを脱却する必要があるのです。

 

 しかし、よく考えてみてください。前述したように、チョコモンとは「幼さの象徴」であり、チョコモン自身が幼さそのものなのです。チョコモンにとって幼さの否定とは、同時に、自分自身の否定を意味します。

 だから、チョコモンはラストで、あの選択肢を取るしか無かったのです。

 

 

まとめ

 どうでしょう。意外と、こうして読み解いてみると、実はこの映画「難しい話は全くしていない」ことに気づけると思います。むしろ、どこにでもあるような、ごくごく当たり前の、普通の話をしているのです。

 成長するためには、幼い自分をどこかで否定しないと行けない。幼い自分を全肯定し続けることは出来ない。なぜなら、もう、自分は幼くないから。

 こんな、よくある物語を抽象的に描いているだけなのです。

 

映画感想:LOGAN/ローガン

 


映画「LOGAN/ローガン」予告E

 恒例の手短な感想から

ショック受けるほど、つまらないよ……

 といったところでしょうか

 

 面白いと思っていたんですけどね。見る前までは。

 前情報として入ってくる予告編や、設定云々の数々とそして西部劇オマージュらしいという噂……どれを取っても「面白そうだな」と興味を惹かれる内容で、これはもう映画館で見たらすぐに太鼓判押して、今年の当ブログ映画ランキングにも食い込んだりして――なんて、妄想を膨らませていたのです。

 まさか、こんなにダメな映画だとは……。

 

 本当にショックを受けすぎて、映画の良かった場面でさえ悪く思えてしまうほどに辛かったです。なんでしょう、この映画のしょうもなさというか。どうしようもない、つまらなさは。

 まず、ハッキリ言えるのは「これ、たぶんヒュー・ジャックマンが現場で相当ワガママ言ってるよね」ということです。なんというか、クライマックスの展開といい、ヒュー・ジャックマンの「俺様のためにある、俺様を盛り上げるための映画」感が半端じゃ無いんです。

 異様にヒロイズムに浸っている内容は、ハッキリ言って、ナルシスト過ぎて気持ち悪い領域に入っています。それほどに酷いです。喩えて言うなら「一時期のウィル・スミス級に酷い」のです。

 そして、その異様なヒロイズムに、ナルシズムのせいであの名作西部劇「シェーン」が見事に汚されていることに、個人的には憎悪と怒りを覚えざるをえないのです。今作は、これ見よがしに「シェーン」を長々と引用していますが、ハッキリ言います。

 本作はシェーンをまったく理解していない――どころか、正反対のことをしています。

 

「映画シェーンのなにが素晴らしかったのか」をこの映画の作り手たちは、まったく理解していないとしか思えないのです。なぜなら、シェーンは「本来ならば、映画のセオリー上、ヒーローと見做される人物が自分の死を隠し通したから素晴らしい作品足り得ている」のです。

 シェーンのラストでは、登場人物の誰も「シェーンが死ぬこと」を知らないのです。本当は重傷を負っていて、シェーンはやがて死ぬことが映画で暗示されているのですが、それでも登場人物たちは彼の死を知らない――だから素晴らしい映画なのです。

 なぜなら、シェーンは言っても人殺しだからです。

 ヒーローであっても、彼は所詮は人殺しなのです。だから、彼の死を誰にも悟らせなかったのです。誰かに彼の死を看取らせてしまったら、誰かが彼を弔ったりしたら、それは間接的な人殺しの肯定になってしまいます。

 それを登場人物たちにさせないために、シェーンはひっそりと死ぬことを選んだのです。

 

 さて、ここまで言えば分かると思いますが、本作は、それを見事に蔑ろにしています。第一に死を看取らせて、挙句に弔っています。第二にそもそも子どもたち自体が、残虐な人殺しを(それも明確に処刑と思われる描写で)行ってしまっています。

 シェーンのテーマをこの映画は、台無しにしているのです。

 この時点で、僕はこの映画を一切褒める気になりません。オマージュ元を無意識に毀損する映画なんて、どう擁護しようとも駄作としか言い様がないからです。

 

 このように、テーマの時点で相当に酷い映画なのですが、その上、脚本や撮影にも問題が多すぎるのがまた頭を抱えさせてくれます。

 まず、この映画を最後まで見て、僕が思ったことを素直に言わせてください。

「なんでもありか!」

 この映画の筋書きは、本当に、ご都合が過ぎます。理由もなく、ただ構成の都合だけで少女を延々と黙っている状態にさせ続け、これまた構成の都合で、急にベラベラベラベラ喋らせ始めたり、理由もなく構成の都合だけで子どもたちを逃げ回らせ、抵抗なく捕まったことにして、また構成の都合で子どもたちの能力を発揮させたり――もう全てがこの調子です。

「んー。この部分は、ちょっとド派手なことが起きるシーンがほしいなぁ」

「よし。プロフェッサーがやっぱ薬飲んでなかったことにして、暴走させるかー」

「どうしよう。そういえばプロフェッサーの薬ってこれ以上ない設定じゃなかったっけ」

「じゃあ、今作のラスボスでサクッと殺せばいいんじゃね?」

ウルヴァリンたち行き詰まっちゃったよ―」

「じゃあ、ローラが実は運転できる設定にして、ウルヴァリンを倒れさせてローラで病院まで運ばせようぜー」

 こんな感じのやり取りでいい加減に決められていったのではないかと疑いたいくなるほどに、この映画の話は、行き当たりばったりでいい加減なのです。

 その上、話は全体的に妙なほどにお涙頂戴もので、やたら終盤に愁嘆場が多くて、最終的に登場人物たちがテーマを演説し始める始末で「一体、君たちはこの映画をどこまでクソにするつもりなんだ?」と問い詰めたくなってしまったほどです。

 

 撮影も決して良い出来ではありません。特にクライマックスの戦闘シーンは編集の下手さと相まって人物の配置関係がよく分からない状態のまま続いていく上に、各登場人物がバラバラに行動しているので「この人は、この人から見てどっちに居て、何をやってるの?」という疑問が絶えない状態です。

 あえて言うならば、今回主役に抜擢されたダフネ・キーンの演技は良かったと思います。もちろん、基本的な今作の設定も好きです。ただ、設定が良いからこそ、活かすどころか、蔑ろにしたこの作り手たちが本当に酷いとも思いますが……。

 評価できるのはそこくらいでしょうか。あとは、評価できるのはこの映画が持つ政治性でしょうか。まあ、本作、どう見てもミュータントが移民のメタファーなのは見て分かりますから。

 ただ正直、僕は"政治的正しさ"だけで物事を評価するような、腐った人間ではないので「政治的に正しくても……」という感じですが。そもそも政治的に正しい話だからといって、映画として、物語として価値があるかというとそれは別です。

 むしろ「政治的に正しくはないが、実は倫理的には一理の正しさがある。あるいは納得できる理念がある。あるいは考えさせられる感情がある」とか、そういう話のほうが価値があるわけです。

 そういう意味でも、この映画はあまり良い映画ではありません。

映画感想:22年目の告白 -私が殺人犯です-

www.youtube.com

 映画『22年目の告白 -私が殺人犯です-』本予告

 恒例の手短な感想から

普通に面白かったよ

 といったところでしょうか。

 

 各所で藤原竜也がまた殺人犯役を演じるということで、それとなくネット上で盛り上がっていた本作品ですが、実は「SR サイタマノラッパー」シリーズで有名な入江悠監督の最新作でもあります。ついでに言うと韓国映画「殺人の告白」のリメイクでもあるわけです。

 まあ……正直な気持ちを打ち明けますと、入江悠監督に対しては、個人的には「これは本当に好き」という作品*1と「これは本当に嫌いだ」という作品*2が混じってる状態でして――なおかつ、最近はあまり良い評判を聞かなかったこともあって倦厭していたのですが、なんとなく本作については気になるものがあったので、見てきました。

 

 結果ですが、いや、なかなか普通に面白い映画でした。

 本作、よく出来ています。感心しました。90年代から現在という時代設定や、それの描写も非常に良かったですし、また、時間経過をタイムラプス風の映像で見せていくところなど、演出としての工夫も多く見られ、編集や撮影を含めても全体的に(そもそも、最近の邦画は、評判に似合わず頑張りがちなのですが)良いクオリティを持っていたなと。

 また、話も日本の時効に関する法律のアレやコレやなど、ものすごく細かいディテールまでキチンと考証がなされていて、こういった面でも、まったく文句がありません。

 

 合格点どころか、普通に値段の三倍くらいは楽しめる内容になっています。それも、この映画の面白さは、結構「元の韓国映画とは関係がない面白さ」を孕んでいるのではないでしょうか。

 つまり、端的に言ってしまって「他力本願」で面白い映画を作ったのではなく、自力でちゃんと面白い映画に出来ているのではないかと。

 

 リメイク元の「殺人の告白」については、自分は、なんとなく、あらすじのみを人から話として聞いているだけなのですが、まあ、正直、本作品と「殺人の告白」は似て異なる別作品と言ってしまってよいかと思います。あらすじの段階でも、それくらい話が違うことになっています。

 

 また、そもそも、元の「殺人の告白」のあらすじ自体、実はミステリーとしては結構ありがちな筋書きで、正直、この手の「逆転劇」は日本のミステリー小説でも嫌になるほど見かけます。その程度のものです。

 

 正直に言いますけど、上記の予告編を見た段階で「これ、藤原竜也が実は〇〇っていう筋書きなんじゃ……?」と想像した人も多いのではないでしょうか。で、実際本作の内容は、一切その予想を裏切りません。本当に藤原竜也が実は〇〇という筋書きです。

 映画本編を見てても、もう開始三十分くらいで「あぁ、こいつが本当の〇〇なのね」というところまで、なんとなく分かってしまうほどに、実はミステリーとしては古典的なネタです。

 

 しかし、それでも本作は面白いのです。

 元の韓国映画はアクションが大炸裂した内容として面白いようなのですが、むしろ、本作はアクションが控えめとなっており、むしろ人間模様や、周囲の人間の反応などのドラマ性、あとは見ていても苦しい殺人描写などの見せ方によって、グッと観客に「悔しい」という感情を覚えさせることで、深く物語へ感情移入出来るように作られています。

 また、作品自体のテーマも元の映画とは異なる結論に変遷しています。*3それは、ある場面などにクリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」そのものなテーマと、演出や描写を持ってきていることからも明白です。

 まあ、個人的には「今更、ダークナイトなのか」と問いたくなるところはあるのですが……ただ、日本のダークナイトオマージュ作品としても、結構本作は優秀な方です。

 

 かつて三池崇史監督の映画で「藁の楯」という映画がありました。*4あれが、日本で散見されたダークナイトオマージュ映画では「ギリギリ良いほうかな?」という出来でした。が、本作は、あれよりもずっと、遥かにダークナイト的な映画としてちゃんとしています。

 つまり、日本のダークナイトオマージュ映画の中では、間違いなくトップの出来なのです。

 

 そういった様々な観点から考えても、本作はスタッフたちが、入江悠監督が、プロデューサーが「頑張って面白い映画作ってやるぞ」と意気込んだ、その意気込みでここまでのものに仕上がったと言えるのではないでしょうか。

*1:SR3は良かったです

*2:かまってちゃんのやつは、本気でいろいろダメでした

*3:少なくとも、自分の知っているあらすじのかぎりでは

*4:ちなみに、本作のプロデューサーって、藁の楯と同じ方らしいです。映像作品って実は監督よりもプロデューサーが重要なんですよね。プロデューサーはいわば土台を作る人なのです。そして、その土台の上で踊るだけの人が、監督なのです。土台がダメだと監督は上手く踊れないのです

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