儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:ハドソン川の奇跡


C・イーストウッド監督×トム・ハンクス主演『ハドソン川の奇跡』予告編

 

恒例の手短な感想から

これが良い映画だろ!

といった感じでしょうか

 

 正直、さすがに不安も大きかったのです。いくらクリント・イーストウッドといえども、今回の題材を一体どうやって映画化するのか、と。「ハドソン川の奇跡」といえば、近年でも有名な飛行機不着水事故です。遠く離れた日本でも、大々的に報道され、その後の顛末も含めて、当時、かなり仔細なことまでキッチリ報道されていました。

 つまり、ハッキリ言って「観客として見に行く人々は、主人公のサリーがどうなったかなんて百も承知」の状態なわけです。だから、予告編の内容を見ながら「え、『ハドソン川の奇跡』のそこを映画化するって、結構、無理がないか?」という心配がどうしても出てきてしまいます。

 果たして、映画として見れるものになるのか、と。

 

 その状態で、クリント・イーストウッドはどんな手を打って、本作を映画化するのか非常に気になっていたのですが……。

 クリント・イーストウッドは、真正面から、ストレートに映画化していました。

 この映画、まったく余計な”味付け”をほとんど行っていません。ハドソン川の奇跡を起こしたパイロット・サリーと例の事故調査での一件を中心に、非常に、淡々と当時起こったことを、そして、騒動に巻き込まれる中で、サリーがどのような心境に陥っていたかを、シンプルな演出で描いていくのです。

 例えば、航空機パニックものを意識したような、パニック描写や事故描写等々の過剰な演出を入れることもありません。乗客がギャーギャー喚いたりすることもないのです。

 そして、過剰にサスペンス的に魅せようともしていません。一応、最低限の映画を面白くするための要素として「ハドソン川の奇跡のとき、パイロット室では何が起こっていたのか?」という謎を残したりしてはいます。が、過剰に観客をドキドキさせるような、思わせぶりな演出は避け、事故調査も、誰かが過剰に声を荒らげることもなく、あくまで淡々と進んでいくのです。

 

 本当に、まったく味付けがされていないのです。

 しかし、不思議なことに本作は、とてつもなく面白いです。

 

 淡々としている映画なのですが、いえ、むしろ、淡々としているからこそ、この映画はなんとも味わいの深い一品となっています。

 なにも過剰さのない映画です。徹底的に抑制を利かせている映画です。しかし、そのおかげで、画面上にある細かい情報や、監督の意図まで観客が読み取れるように出来ているのです。

 だからこそ、『ハドソン川の奇跡』が、ただハドソン川の奇跡を描いただけの映画ではないことに、観客も気づくのです。

 

 まず、この映画は『ハドソン川の奇跡』と、ある出来事を重ね合わせていることが随所で読み取れるように作られています。

 それは911です。主人公のサリーは、事故の後、ショックから何度か『あのハドソン川の奇跡で失敗して墜落してしまう幻覚』を見るのですが、この墜落する飛行機の様子が、完全にニューヨークのビルに飛行機が突っ込んでいった、あの悲劇を思い起こさせるような描写にあえてしています。

 事実、セリフ上でも、しれっと911のことを暗に言っている場面が存在しています。

 

 つまり、クリント・イーストウッドは『ハドソン川の奇跡』と『911』が表裏の存在であると考えているのです。少なくとも、ニューヨークという街にとっては、そうなのだと。

 

 そして、どうして『ハドソン川の奇跡』が『911』と表裏と言えるのか、ということを、この映画はサリーの騒動を中心にしながら少しずつ描写していくのです。

 ――話は少し変わりますが、この映画、予告編を見た段階では…あるいは記事をここまで読んだ段階では、サリーのみを主人公とした映画だと思うのではないでしょうか。実は違います。

 この映画は、確かにサリーを中心としてはいるのですが、彼のみが主人公というわけではないのです。実はこの映画は、彼を中心とした群像劇となっています。

 特に『ハドソン川の奇跡』が起こった当日の様子は、沿岸警備隊や、管制塔や、乗客や、様々な人の視点から『ハドソン川の奇跡』を描写しており、サリーの視点もその中のあくまで一つ、という扱いになっており、群像劇としか言いようがない描き方をしているのです。

 

 ようするに、これこそがハドソン川の奇跡』が『911』の表裏と言える根拠なのでしょう。あの瞬間を中心に、様々な人が次々に動きを見せたことが――たとえ、その一つ一つの中に、結果的に無駄骨な苦労があったとしても、全員がその瞬間にとっての最善を尽くそうとしたことが、表裏と呼べる要因なのだと。

 

 それをほぼ、説明なしに(最後にちょっと字幕が入る程度)で画面だけで伝えようとしてくる、この映画はまさに「上品な良い映画」でしょう。

 テーマに限らず、細かい描写でも、この映画はほとんど説明を入れません。ただ、人々の視線の動きや、表情や、座り方などで、状況や感情を描写してくるのです。これが良い映画でしょう。

 劇中に出てくるジョークも、とても気が利いていてオシャレでした。最近の、幼稚にもほどがある洋画のギャグには、うんざりしていたのですが、本作で久々に、頭の良い笑いを聞けたことにも満足しています。これが良い映画でしょう。

 

 これが良い映画なのです。

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