映画感想:ドント・ブリーズ
恒例の手短な感想から
えっと、その……なにこれ…?
といった感じでしょうか。
いやー、あの……一体、サム・ライミとフェデ・アルバレスは、本作を通じて何がしたかったんでしょうか。確かに、エンターテイメントとして論理的に構築された話作りや、見るものを引き込む上手いカメラワークなど、この映画は、非常に高い技術が注ぎ込まれていることがよく分かります。
分かるんです。
しかし。
それでも、あの……なんなんでしょう。この映画の、なんとも表現し難い不快感は。
それも映画が不快な内容、というわけではないのです。まあ、ホラーなので不快なのは当たり前です。問題はそこではなく、作り手であるサム・ライミとフェデ・アルバレスの傲慢さが透けて見えるところが、非常に、なんとも不快な映画なのです。
まず、この映画は必ず問題になるところが一点あります。言うまでもないですが、視覚障害者をホラーの怪物に仕立て上げるという、とてつもなく大きな問題です。当然ですが、目が見えないだけの人を化け物扱いにするのは、かなり酷い話です。本作も、そこは気を使っていて、一応、殺人鬼役となるお爺さんには、様々な設定が凝らされています。
イラクで失明した元軍人であったり、途中で明かされる秘密などによって、「視覚障害者じゃなくて、この”お爺さんが”怖いんだぞ」ということを前面に押し出しているのです。
なるほど、確かにこうすれば、視覚障害者をホラーに持ってきても問題にはならないでしょう。……一見すると。
しかし、同時にそうやって、お爺さんに設定を足せば足すほど「……え、じゃあ、なんでお爺さんを盲目にしたの?」という疑問が出てこざるをえないのです。「元軍人で、性格がアレなお爺さんが怖い話」なら、わざわざ視覚障害者なんて設定を足す必要がないでしょう。
それも「盲目になった分、嗅覚が優れている」なんて、偏見丸出しなクソファンタジー設定までぶち込んでまで、お爺さんを盲目にした意味って……なんですか?
主人公たちが、極限まで音を出せないという、その恐怖を描きたかった、とか、そういう理由なのでしょうか……?
しかし、この映画、そのわりには主人公たちは、普通にバンバン激しく息してるんですよね。こそこそ話し合ったり、スマホのバイブ鳴らしながら通信しあったり、音出しまくりなんですよね。むしろ、息に関しては普通のホラー映画と比べてもちょっと多すぎやしないか、と疑問に思うくらいです。ハッキリ言って、酷評された、実写版「進撃の巨人」の「音を出さないで移動しろ」シーンと同じくらいか、それ以上に酷い出来です。
というわけで、「声が出せない状態を生み出すために視覚障害者を――」という言い訳をするにも、映画の内容が杜撰すぎるのです。で、話が戻りますが、わざわざ視覚障害者なんて設定を足した意味ってなんですか?
盲目で、ウロウロ動き回るお爺さんが面白いからですか?
あるいは、盲目だと、"怖さが増す"んですか?
……どちらも、自分にはまったく理解できない感覚ですが。
ハッキリ言いますが、意味は無いですよね。
ただ、見世物小屋的に「そうしたほうが、みんな興味持つから」という理由で、設定を出しただけでしょう?……いやぁ、スペルを撮ったサム・ライミが、こんなガッカリするような映画を作ってしまうなんて、本気で残念です。
こういう映画を作る場合、普通は「視覚障害者に対する、世の中が思う偏見」を上手いことを利用しながら、ホラーに仕立て上げたりするものじゃないんですか?
例えば「世の中の人たちは、視覚障害者のことを一律でまったく視覚がないと思いこんでいるけど、実はそうじゃない」ということを利用して、ある種、ゾッとする瞬間を生み出すとか。そういう作りにしないと、視覚障害者の設定を入れた意味がないでしょう。
今回は、かなり世の中の反応と違う感想になっていると思います。が、どうしても自分は「視覚障害者をどこかで、軽蔑したり、偏見で見ている視点がないと、こんな映画は撮れない」と思うのです。