儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

11月に見た映画

・ヴェノム


『ヴェノム』予告

ボヘミアン・ラプソディー


映画『ボヘミアン・ラプソディ』最新予告編が世界同時解禁!

・銃

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・グースバンプス モンスターと秘密の書

・ 殺しの分け前/ポイント・ブランク

・ 月光仮面

月光仮面

月光仮面

 

月光仮面 絶海の死斗 

月光仮面 絶海の死斗

月光仮面 絶海の死斗

 

 

以上、7本です。月光仮面、結構、面白いですね。少年探偵団シリーズからの影響が色濃くて、その手の話が好きな人にはかなりおすすめです。

映画感想:銃

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 恒例の手短な感想から

作り手の技量で素晴らしくなった、としか言いようがない

 といったところでしょうか。

 

 芥川賞作家でもある中村文則の「銃」を原作として、作られた本作なのですが、本当に素晴らしい出来であると思います。

 特に何が素晴らしいかは明白です。

 あのどうしようもない原作を傑作に作り変えてしまったことが、本当に素晴らしいとしか言いようがないのです。

 

 ハッキリ言ってしまって、原作は石原慎太郎を何から何まで、大劣化させてパクっている中二病小説*1以外の何者でもないです。

 と言いますか、中村文則という作家自体の作風自体が、「文系引きこもりが妄想世界でパンクやって自惚れているような」「今更、アプレゲールをやっている痛い中二病患者」としか言いようがない作風なのです。

 

 たとえば、本作の銃でもそうですが、なにかとてつもない衝動を抱えた少年が、銃という「人の生死をいくらでも操れる道具」を持つことで興奮し、次第に、その中に眠っている衝動が性的な欲望等々とともに現れてくるーーという、この筋書き自体が既に「石原慎太郎の小説っぽすぎる」内容でしょう。

 作中で、主人公はセフレやヒロインの女の子にあえて、怒られるように「性の悪徳」を行うわけですが、これらの行動、「陰茎で障子をぶち抜く」のと、意味合い的にはなにも違わないわけです。


 そして、そんな筋書きの中で、なんとも「こじせた中二病の童貞作家の妄想」としか言いようがないリアリティのない描写が数々出てくる――言ってしまえば、魅力の欠けた石原慎太郎――慎太郎氏に喩えるのが不快ならば、もやしっ子がイキってアレックス*2コスプレしてるような内容と言い換えてもいいです。――それが本作「銃」の原作である「銃」という小説でした。

 

 そんなしょうもない原作が、まさかここまで、見事な作品になっているとは。

 

 これは一重に、映画の作り手たちの手腕によって、ここまでの作品になり得たのだと言って構わないでしょう。

 主演である村上虹郎中二病中二病と感じさせない――むしろ、中二病的な言動に説得力さえ持たせ、リアリティを補強してしまっている――風体と素晴らしい演技は文句のつけようがないです。

 悲劇のヒーロー気取りで、主人公がベートーベンを流すシーンなんて、あまりにも幼稚過ぎて普通ならば「寒すぎるわ!」と文句を言いたくなってしまうところですが、彼の風体、あの感じの演技で、やられてしまうと、なんだか説得力があるのですから不思議です。 

 去年の「武曲 MUKOKU」でも、素晴らしい演技をするなぁと思っていましたが、本作は更に素晴らしい演技をしています。

 

 そして、もちろん、カメラワークや美術、音楽のつけ方一つ一つにまで細かい配慮と工夫の行き届かせたうえに、最後の最後で観客に思わずああっと言わせてしまう演出プランを思いついた武正晴監督も評価されるべきでしょう。

「百円の恋」で、ようやく日の目を見た武監督ですが、本作においても、評判に違わない手腕を発揮しています。

 

 特に最後の「思わずあっと言ってしまう」演出とそこでの各役者の演技は、本当に素晴らしいです。あそこの演出のおかげで、本作は、原作のふわふわと宙に浮いた中二病的な結論やテーマを、ちゃんと「地に足がついたもの」へと落とし込めていると言って過言ではないです。

 

 原作では、この場面、ただただ、単に主人公が中二病的な感じでコワレタ(笑)ような描写で描かれており、読んでいて、背中が痒くなってくるほどアレな感じが満載だったのですが、本作ではむしろ「壊れていた主人公が戻った」かのように演出されているのが、本当に見事としか言いようがないのです。


 そして、だからこそ、「確かに、本当にこういう場面になったら、むしろ、人間ってちょっと頭のどこかで冷静になるのかもなぁ」と、実感を持つことができ、作者のマスターベーションが痛々しい物語を、ちゃんと観客の共感を呼ぶ物語へと昇華させることが出来ているのです。

 

*1:石原慎太郎中二病が結びついていることに驚愕される方もいるかもしれませんが、石原慎太郎氏は実は新海誠の「ほしのこえ」を鑑賞して褒めていたり、と結構ソッチの人たちとメンタリティが近い人間なのです。

*2:時計仕掛けのオレンジの

映画感想:ボヘミアン・ラプソディ


映画『ボヘミアン・ラプソディ』最新予告編が世界同時解禁!

 恒例の手短な感想から
あー良くも悪くもクイーンだなぁ
 といった感じでしょうか。


 別にクイーンのことを特別に嫌っているわけでもないのですが……ただ、本作に関しては本当にこの評価が似合うのではないでしょうか。

「良くも悪くもクイーンっぽい」と。

 良くも悪くもとはなんだ、とクイーンファンの皆様はお怒りになるかもしれませんが、実際、この映画はクイーンの中核メンバーたちがプロデュースした映画です。

 作り手がクイーン自身であるために、この映画は、どうにもクイーンの音楽や、あるいは、クイーンというバンドのビジュアルの方向性に近しい出来になってしまっているのです。

 

 自分からすると、クイーンというバンドは、まさにこの自伝映画のように、良くも悪くも「何か」を纏いたがるバンドだと思うのです。

 それはスター性とも言っていいでしょう。ただ、自分から言わせれば、それはスター性などという大層なものではなく、ただの見栄に近いことのほうが多いように思います。
 見栄えです。

 もちろん、クイーンは実力もあるバンドです。録音された楽曲が素晴らしい出来であるのは言うまでもありません。

 しかし、同時にその実力や、素晴らしさを実際以上に着飾ろうとしてしまう面も多く持っているバンドでもあります。自分たちの実力以上に、自分たちが素晴らしいものであるかのように、人を錯覚させることにこだわっていますし、それに長けているバンドなのです。

 クイーンというバンドは、フレディを筆頭に、メンバー全員が異様に、やたらに、その見栄を気にするバンドだとも言っていいです。

 

 そして、その上に本作があるわけです。この映画、いかがだったでしょうか。

 何もかもが、針小棒大に語られていて「どこが自伝だよ!」と言いたくなるほど、事実と話が変わってしまっているこの感じは、まさにクイーンというバンドをよく体現していると思うのです。

 映画としてドラマチックにするために、起こらなかったバンドの解散劇を付け足し、フレディという人物を事実よりも遥かに純粋すぎる人物として誇張し、そうして、いろんなものを継ぎはぎし、誇張しながら、自分たちのスター性・特別性をこれでもかと誇示する、この感じです。

 これほど、クイーンというバンドを体現していることはないでしょう。

 
 だからこそ、この映画は、いわゆる自伝映画やドキュメンタリー映画にあるような、魅力が極めて乏しいものとなっています。

 あまりにも定型的なエンターテイメントの筋書きをなぞることばかりに注力するせいで、別にクイーンを題材に撮る必要性を特に感じない中身でもあります。

 もちろん、だからつまらないということはないです。観客を楽しませる仕掛けがあちこちに忍ばせてある本作は、ポップコーン片手に、楽しんでみる分には構わないものでしょう。

 ですが、それ以上のものはないわけです。

 テーマ性も……悪いですが、上記のような、定型文だらけの本編では、なにが言いたいのかもよく分からないのです。
 
 評論家の方々から良い反応が得られなかったのは、ここが原因でしょう。

 クイーンは、この自伝映画でさえも、無駄に見栄を張ってしまっているのです。 
 

 しかし、おかげでこの映画は、まさに「クイーンの楽曲のような」快感を得ることはできるわけです。

 絢爛に、とにかくドラマチックに、作られている本作はクイーンファンの方々から好評が出るのも当然といえば当然なのでしょう。

 彼らは別に「事実の、ドラマチックではないクイーン」など見たくはないわけです。

 それくらいならば、神格性を背負ったままのフレディでいてほしいわけです。

「あぁ、普通の人とは違ったんだ。やっぱりフレディは、特別なんだ」と、そう信じていたいのです。
 
 だからこそ、彼らにとっては本作は最高であり、批評家の評価とは正反対の感想が出てくるわけです。

 そういう意味では本作は素晴らしい作品でもあるわけです。
 

 なので、本作は、良くも悪くもクイーンらしい映画なのだと、自分は思うのです。

映画感想:ヴェノム


『ヴェノム』予告

  恒例の手短な感想から

SFホラーとしては失敗作。が、面白い。

 といったところでしょうか。

 

 決して本編がつまらないというわけではないのですが、こう評するのが本作に対しては的確でしょう。

 宣伝が上手すぎてしまった、と。

 予告編の巧妙な編集や、ポスターのビジュアルなどがあまりにも秀逸であるあまり、本編を見たときの「あれ、思っていたのと全然違うものだった」という感じは、どんなに本作が好きな人であっても認めざるを得ないのではないでしょうか。

 

 事実、自分もかなり本作に対しては好感を持っているのですが、それでもやはり、「予告編の期待からすると二割引きの出来である」と言わざるを得ません。

 ――己の体が寄生され、少しずつ侵食されていくという恐怖極まりないシチュエーションならば、きっと本編は、アメコミヒーローものでありながら一線を画す内容であるに違いない――おそらくは、スピーシーズやエイリアン的なSFホラー要素がふんだんに混ぜられ、ゲームのR-TYPEのような、グロテスクな造形が跋扈するような――そんなヒーローものになるんじゃないか――。

 そんな高すぎる期待、いえ妄想に胸を膨らませていたために、そんな要素なんて僅かしか入っていない本作に、やはり肩を落としてしまう面はあるのです。

 

 シーンによってはSFホラーとして落第点と言ってもいい箇所も存在しています。ハッキリ言って、ちっとも怖くないのです。自分の体が寄生されていることへの恐怖感なんて、微塵もありません。ただ、ところどころ、びっくり箱のホラー演出が入って、子供だましに「わっ」と脅かしてくるだけです。

 エイリアンをオマージュしたと思わしきシーンなんて、描き方がお粗末すぎて、ホラーと言うより登場人物が全員アホのパロディコメディにしか見えない始末です。

 

 ですが、本作、自分としては好感を持ったのも事実なのです。まずなんといっても、本作の魅力は「ゆるい」という、そこにあるでしょう。本作は主人公も、他の登場人物も、なんならヴェノムでさえも、異様にゆるいのです。

 そこになんとも言えない共感を覚えるのです。

 地に足がついている感覚があるのです。

 このブログでは、結構前々から言っていますが、昨今のヒーロー映画は面白さはおいておいても、妙に神話じみていて、眉間に皺を寄せて難しい話をしている傾向がかなりあります。*1そのために、どうしても、話が壮大なものになってしまい、鑑賞していても「なんか、これ最終的に自分たちと関係ないところの話をしているなぁ」という印象をどうしても抱きがちでした。

 つまり、どこか雲の上の話を、地に這いつくばっている下賤の民がありがたがっている感じが、なんだかしてしまうことが多いのです。*2

 本作には、それをあまり感じないのです。

 最終的に、うだつの上がらない主人公と、うだつの上がらないモンスターが「一緒に力を合わせて偉そうな連中を見返してやろうぜ!」と言ってるだけの、極めて単純な心理と動機に、地に足の着いた人たちは共感せざるをえないのです。*3

 

 だからこそ、自分もSFホラーとして失敗していると思いつつも、本作に関しては「非常に面白かった」という評価になるのです。

 

 本作が評論家には不評で、観客には好評を得ているのも当然のことではないでしょうか。

*1:そのわりに、言ってる専門用語・学術用語などは誤用しまくっている――とも以前から言っていますが

*2:特に最新作のアベンジャーズは一層にその傾向が強まっています。

*3:この地に足がついているヒーロー観は、スパイダーマン・ホームカミングスから始まる「スパイダー・ユニバース」

シリーズ全体の傾向であるのかもしれませんが……

10月に見た映画

プーと大人になった僕


「プーと大人になった僕」日本版予告

・若おかみは小学生


劇場版「若おかみは小学生!」予告編

ムタフカズ


映画「ムタフカズ」(MUTAFUKAZ) 予告編

クレイジー・リッチ!


映画『クレイジー・リッチ!』予告編

 

以上、たったの四本でした。

あれ、新作映画しか見れてませんね…。完全に旧作の鑑賞を忘れていました。

映画感想:クレイジー・リッチ!


映画『クレイジー・リッチ!』予告編

 手短な感想から

気軽に見るのに、最適の一作

 といったところでしょうか。

 

 傑作というほどの作品ではないのかもしれませんが、映画としては十分に面白い作品ではないでしょうか。

 クレイジー・リッチ!と題された本作は、アメリカで育った中国系アメリカ人が、恋人の実家を訪ねてみたところ、なんと実は恋人は、シンガポールで巨万の富を築いた超大金持ち一家の唯一の跡取り息子であったーーという、なんとも、題材だけ聞けば少女漫画チックな物語となっています。

 

 実際、本作は女性向けに作られている面が多少なり見られる作品ではあるのですが、では、男性が見たらつまらない映画なのかというと、そうでもありません。

 確かに、題材こそ少女漫画チックではっきり言って非現実的な設定なのです。

 

 しかし、その題材の中で描かれるのは、例えば、同じ中国系でも、アメリカで育ったアメリカ系中国人と、中国の伝統を重んじているシンガポール系中国人の間にある文化的な溝や、あるいは庶民の文化の中で育った人と、大金持ちの文化の中で育った人の間にある認識の溝についてであり、そういったシビアな現実をちゃんと物語の中に組み込むことが出来ています。

「あぁ、やはり、中国人でも育った場所によって、ここまで人間としての差が出るんだなぁ」と納得できる物語になっているのです。

 

 そして、この作品は、その上で、この手の恋愛ものらしく「愛する人と一緒に居たいけど、現実的に考えたらまず無理」という、恋と現実に板挟みになる男女の姿を描くようにしています。だからこそ、表層的には悪い意味で非現実感のある設定でも、観客の共感を呼ぶことが出来ています。

 土台として現実的にありそうな問題を持ち込んでいるために、この板挟みで心痛める男女の姿や気持ちも、なかなかの説得力があるのです。

 

 また、随所に忍ばせてある暗喩も見事で、例えば、映画の序盤で「一夜しか綺麗な花を咲かせないーーつまり、一晩だけ咲き誇って、後は散ってしまうーー月下美人」を出すことで、ひょっとすると主人公の超大金持ちの彼との恋もまた、いずれは散ってしまうものなのではないか、と観客に暗に連想させようとしているのは、なかなか良い演出ではないでしょうか。

 その他の箇所でも、主人公たちの行く末をさりげなく、そして、若干不穏気味に描いていく演出が小気味よく挟まれており、その点でも感心されられました。若干、あからさま過ぎる演出も散見されるのですが……。

 

 もちろん、冒頭で述べたとおり、傑作と呼べる出来ではないのも事実で、本作のSNSの描写は、あまりにも幼稚な描き方で、かなり悪い意味でキョトンとしましたし、なによりも映画の終わり方にズッコケそうにもなりました。

 いや、この手の恋愛映画で最終的に、ああいうハッピーエンドになるのは、別段お約束みたいなものなので、構わないのですが、しかし、主人公にあれだけのことをして、あれだけ見下したことを言っていた人たちまで、あそこで「イエーイ!」ってなってるのは、さすがにちょっとないでしょう……。

 

 そういうわけで、本作、そこまで重く受け止める作品というわけでもないのです。ただ、気軽に見る映画としては十分に面白い内容となっています。

映画感想:若おかみは小学生!


劇場版「若おかみは小学生!」予告編

 恒例の手短な感想から

普通に駄作。なんで、これ評価されてるの?

 といったところでしょうか。

 

 巷の評判を聞きつけて、鑑賞した本作ですが「過大評価」という言葉がとても似合う作品でした。本作は評判の「今話題の素晴らしい作品」という評価からすると、驚くほどに、作品全体の出来が低調すぎるものとなっています。

 ハッキリ言って、見ていて何が面白いのかよく分からないほどに、つまらないのです。

 もちろん、評価する人たちがどこを評価しているのか、ということは分かります。

 十中八九、クライマックスの展開を見て評価しているのでしょう。かなり強引で、ご都合にも程があるほどツッコミどころだらけの展開で、もたらされたクライマックスでしたが、「でも、泣ける話だから、それでいいだろう。これは傑作だ」というのが、評価している人たちの気持ちなのでしょう。

 ですが、「それでいいだろう」で許容できる範疇というものがあります。この映画は明らかに許容できる範疇を大きく下回っています。

 いえ、そもそも、このクライマックス自体も、実はそこまで良い出来とは言い難いのですが……。

 

 この映画の問題点は根本的に「何がしたいのかよく分からない」というここに尽きるでしょう。

両親を事故で亡くしてしまった、主人公おっこが、祖母の旅館に引き取られ、そこで出会った幽霊に旅館を継ぐように頼まれて、『来るものを拒まない』という華の湯温泉の旅館を継いで若おかみを目指し、いろいろな事情を抱えるお客様と出会っていく中で、両親の死というトラウマを乗り越える話」――この映画のあらすじを簡単に書き出してみましたが、この時点で、一つの映画としてあまりにも要素が多すぎることは明白です。

 いえ、映画でなかったとしても、単純に物語としても、異様に設定が多すぎます。

 パッと見ても「この映画は死をテーマに話がしたいのか?」「死をテーマに、といっても幽霊、両親、どっちの死が主題なのか?」「旅館で働くという話をテーマにしたいのか?」「それとも、出会っていくお客さんたちをテーマにしたいのか?」等々、どういう話にしたいのかがサッパリ見えてこない内容となっています。

 

 そのため、このあらすじを一つの物語として、成立させたいのならば、どうしてもテーマを絞る――ある要素の描写を抑え、ある要素の描写を強調することで、方向性を明白にするという抑制が必要になってきます。

 大人向けの映画でも当然、そういったテーマの取捨は必要ですし、子供向けアニメ映画ならば、なおのこと、話をぼやけさせないために、よりくっきりとテーマを取捨する必要性があります。

 で、この映画はそういった抑制によって、どのテーマへ絞ったのかというと――これがまったくどのテーマにも話を絞っていないのです。

 

 おそらく、未鑑賞の方は前述までの文章を読まれて「え、クライマックスの両親の死に繋がるように描写を絞ってるんじゃないの?」と思われるかもしれません。が、残念なことに、この映画は全てのテーマに対して、逐一、曖昧な描写しかしないのです。

 

 ちょっと話が逸れますが、うじうじして、いつまで経っても、何がしたいのかハッキリ言わない人って居ますよね。

 なんだか、音楽活動だか小説活動だか分からないけれども、なんか創作活動でもやっているらしくてバイトで生計を立て、しかし「そこそこいい年齢に達しているからやめどきかもしれない」などと口走っておきながら、就職などは別にしないで「じゃあ就職しろよ」と言われると、急に「いやでも、両親が年老いていて、介護しなきゃいけないから田舎に帰らないといけないかも」と言い出し、「じゃあ田舎帰れよ」と言われると、今度は「まだ帰るほどの年齢じゃない、創作活動あるし」とか言い出す、煮えきれない人――おそらく、この文章を読んでいる人も何人か思い当たる人がいることでしょう。

 この映画は、まさにそれです。

 

 主人公・おっこが両親の死を受け入れているような描写を出したかと思ったら、次のシーンでは両親の死を受け入れていないようなシーンを入れ、「え、結局、おっこは両親のこと、どういうふうに認識してるんだ?」と疑問に思っていると、そこから関係ない「幽霊がどうしたこうした」という話が始まり「あぁ、この幽霊たちの話が主軸なのかな」と思っていると、今度は「お客さんがどうしたこうした」という話を始め、「じゃあ、今度こそお客さんを饗す話が主軸になるんだな」と思っていると、そのお客さんの話の途中から、また「両親の死がどうした」という話が始まり「え、やっぱり両親の死をテーマにしたいの?」と思っていると、また今度は関係ない「幽霊がどうしたこうした」という話が始まり――本当にクライマックスの直前まで、こんな調子で、一体何を話の主軸にしたいのか、さっぱり分からないままなのです。

 そして、クライマックスになって急に「やっぱり、おっこは両親の死を受け入れてませんでした!」と言い出したかと思ったら、次の瞬間に「でもおっこは両親の死を受け入れました!良かったね!ほら、あなたも感動感動!」と薄っぺらく言い出すのが、この映画なのです。

 

 泣ける場面が来たら「あー泣けるっ」ってなる瞬間湯沸かし器みたいな人以外は、そんな唐突な描写で感動できるわけが無いでしょう。

 原作や、元々のTV放映版も、こんな無茶苦茶な構成になっているのかなと簡単に調べてみましたが、どうやら、全然違うようですね。

 ちゃんと話の主軸を「旅館と幽霊」に絞ったりしているらしく――つまりは、なぜこの映画がこんなにしょうもない出来かというと、一重に、この映画の作り手がそうしてしまったから、というだけの話であるようです。

 

 監督はジブリ出身の方とのことで「自分たちの理想とする、おゲージツアニメーション(笑)を、原作を改変してまで押し付けようとするジブリの悪癖」がまた出てしまいましたね、という感じでしょうか。

 

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