映画感想:ボヘミアン・ラプソディ
恒例の手短な感想から
あー良くも悪くもクイーンだなぁ
といった感じでしょうか。
別にクイーンのことを特別に嫌っているわけでもないのですが……ただ、本作に関しては本当にこの評価が似合うのではないでしょうか。
「良くも悪くもクイーンっぽい」と。
良くも悪くもとはなんだ、とクイーンファンの皆様はお怒りになるかもしれませんが、実際、この映画はクイーンの中核メンバーたちがプロデュースした映画です。
作り手がクイーン自身であるために、この映画は、どうにもクイーンの音楽や、あるいは、クイーンというバンドのビジュアルの方向性に近しい出来になってしまっているのです。
自分からすると、クイーンというバンドは、まさにこの自伝映画のように、良くも悪くも「何か」を纏いたがるバンドだと思うのです。
それはスター性とも言っていいでしょう。ただ、自分から言わせれば、それはスター性などという大層なものではなく、ただの見栄に近いことのほうが多いように思います。
見栄えです。
もちろん、クイーンは実力もあるバンドです。録音された楽曲が素晴らしい出来であるのは言うまでもありません。
しかし、同時にその実力や、素晴らしさを実際以上に着飾ろうとしてしまう面も多く持っているバンドでもあります。自分たちの実力以上に、自分たちが素晴らしいものであるかのように、人を錯覚させることにこだわっていますし、それに長けているバンドなのです。
クイーンというバンドは、フレディを筆頭に、メンバー全員が異様に、やたらに、その見栄を気にするバンドだとも言っていいです。
そして、その上に本作があるわけです。この映画、いかがだったでしょうか。
何もかもが、針小棒大に語られていて「どこが自伝だよ!」と言いたくなるほど、事実と話が変わってしまっているこの感じは、まさにクイーンというバンドをよく体現していると思うのです。
映画としてドラマチックにするために、起こらなかったバンドの解散劇を付け足し、フレディという人物を事実よりも遥かに純粋すぎる人物として誇張し、そうして、いろんなものを継ぎはぎし、誇張しながら、自分たちのスター性・特別性をこれでもかと誇示する、この感じです。
これほど、クイーンというバンドを体現していることはないでしょう。
だからこそ、この映画は、いわゆる自伝映画やドキュメンタリー映画にあるような、魅力が極めて乏しいものとなっています。
あまりにも定型的なエンターテイメントの筋書きをなぞることばかりに注力するせいで、別にクイーンを題材に撮る必要性を特に感じない中身でもあります。
もちろん、だからつまらないということはないです。観客を楽しませる仕掛けがあちこちに忍ばせてある本作は、ポップコーン片手に、楽しんでみる分には構わないものでしょう。
ですが、それ以上のものはないわけです。
テーマ性も……悪いですが、上記のような、定型文だらけの本編では、なにが言いたいのかもよく分からないのです。
評論家の方々から良い反応が得られなかったのは、ここが原因でしょう。
クイーンは、この自伝映画でさえも、無駄に見栄を張ってしまっているのです。
しかし、おかげでこの映画は、まさに「クイーンの楽曲のような」快感を得ることはできるわけです。
絢爛に、とにかくドラマチックに、作られている本作はクイーンファンの方々から好評が出るのも当然といえば当然なのでしょう。
彼らは別に「事実の、ドラマチックではないクイーン」など見たくはないわけです。
それくらいならば、神格性を背負ったままのフレディでいてほしいわけです。
「あぁ、普通の人とは違ったんだ。やっぱりフレディは、特別なんだ」と、そう信じていたいのです。
だからこそ、彼らにとっては本作は最高であり、批評家の評価とは正反対の感想が出てくるわけです。
そういう意味では本作は素晴らしい作品でもあるわけです。
なので、本作は、良くも悪くもクイーンらしい映画なのだと、自分は思うのです。